2014年

7月

22日

全体論という見方

 

1.      私たちが,(多少でも,自覚的に,探求的に)生きるかぎり,大きな関心事の一つ(ある場合は,つまり哲学)は,(私たちを含んだ)この世界は何であるか,それをどう理解するか,説明するか,(そして,自覚して生きる)にあります。ここでいうこの世界とは,新規に構築された特別な(形而上学的な)領域のことではなく,現前に与えられているこのありのままのことであり,私たちの生活そのもの,私たちが生きていること自体です。日常語で,それぞれのニュアンスの下で,現実とか,生活とか,あるいは,与えられたまま,ありのまま,などに当たるものです。

 

こういった意味での世界については,私たちはまさにその中に生活していますから,各人,それなりの理解(それぞれの,実在感覚?)を持っていますが,しかし,ことがらが十分に整理されていないので,確定した一般論はできず,群盲象をなでるように,ひとひとによって,いろいろに理解され,説明されるのが現状です。ここでは,内容の吟味は先延ばしにして,それを,とりあえず,Wと呼んでおくことにしましょう。Wとは,現実のこと,生活しているそのこと自体ですが,問題は,それが何かということです。その理解の仕方によって,私たちの生活の仕方も違ってくるのです。

 

2.      先ず,第一に, Wは,「白紙」や,「のっぺらぼう」ではありません。Wは,ある「区分け(分節)」を伴って,与えられています。この区分けされた一つ一つを「個物」といいます。区分けは方法的(作成的,認識論的)な,個物は存在論的な言い方ですが,もとは同じもので,同じことがらの両面です。

 

区分け,個物については,次が言えます。

① Wにおいて,いかなる区分けがなされているか,何が個物とされているかには,不定性があって,唯一に固定されているわけではありません。そのどれを取るかによって,Wが決まってくるのです。

② 区分け,個物には,階層性があり,それぞれは,ある序列のもとに並びます。

 

  •   区分け,個物とは何か,いろいろに理解できますが,一般には,常識的に周辺に存在すると思われている事々物々,感覚的に区別され,それぞれが独立して存在していると思われているものごとのことで,具体的に示せば,このイス,あのイス,このツクエ,あのガラス窓,この家,空気,私,某君,この電車,駅,道路,地球,日本人,アメリカ人,血縁,親切,・・・,青い,やわらかい,優しい,・・・,歩く,走る,・・・,などの言葉(独立語,つまり,名詞,形容詞,動詞,副詞,・・・)で示されているものです。私たちの生きている世界(W)は,「のっぺらぼう」ではなく,そのような「区分け」のされ方そのものであり,個々の区分けの存在的な表れが「個物」です。

 

  •  区分け,個物の階層性とは,例えば,「このイス」,あのイスは,共に「イス」であり,イスやツクエは「家具」であり,家具は,また,「物体」の一種という,この序列です。そしてまた,このイスは,このイス以前に,「木材」(の集まり)であり,木材は,炭素あるいは「炭素原子」である,そういうことです。このようにして,<炭素原子→木材→このイス→イス→家具→物体→・・・>という序列が成立します。右を上位,左を下位と呼ぶことにしましょう。この序列が,区分け,個物における,階層です。

 

  •  人間生活において,言葉は様々に機能していますが,言葉は,本質的には,こうした区分け,個物に対応するものです。上の実例が具体的には言葉で示されていることからもわかるように,区分け,個物とは,私たちにとって,具体的に,分かりやすくは,言葉で示されます。こうして,区分け,個物,言葉は,相互に,対等な身分のものとして,対応します。根本的には,三者は同じ事柄の言い換えだと言ってもよいでしょう(例えば,個物が基本的なものとしてあって,それを,区分けだとか,言葉として,解釈する,説明するというのではなく,呼び方は違うが同じものだという,この理解が大切な点です)。

 

  •   さらに,区分け,個物,そして,その階層性のあり方を,分かりやすく示すのが,集合論というモデルです。

 

  •   集合論の体系では,個物(区分け)を要素と呼びなおし,要素の全体の集まりを,一つの世界として想定し,個体領域と呼びます(個体領域における,要素の数は,ゼロ,複数,無限と許されますが,多く複数あるいは,無限です)。次に,その個体領域における要素(個物)の任意の集まりを考え,(つまり要素にある区分けを施し),それを「集合」と呼びます。集合と区分けは同じ事柄を指します(区分けが決まれば集合が決まり,集合が決まれば区分けも決まります)。したがって,集合は,区分けを別な言い方で表したものです。つまり,これまでの「区分け=個物=言葉」に加えて,「=集合」でもあるということになります。それ故,区分けや個物を考えるのに,集合で考えることができる(モデルである)ということなのです。

 

  •   集合には,他の集合の部分集合であるという包含関係が成り立ちます。この包含関係による順序付けが,区分け,個物の階層性ということになります。「包含関係」,「ABに含まれる,ABの部分集合である」は「AB」と記号化されます。したがって,「イス⊆家具」ということになります。

 

  •   この集合論における基本的用語(概念,道具)である,「ある要素がある集合に属する(∈)」,「ある集合がある集合に含まれる(⊆)」,「すべての要素(∀)について」,「一部の要素()について」,「結び(∩)」(複合集合),「交わり(∪)」(複合集合)に絡んで,集合論上に成り立つ法則が,いわゆる論理です。集合が,区分け,個物,言葉と同じものなら,その法則である論理も,区分け,個物,言葉の世界に成り立つことになります。

 

Wは,このような,<区分け,個物,言葉,集合>から成立する全体,あるいは,区分け,個物,言葉,集合のことです。Wは,方法的(制作的,認識的)にみれば区分け(の全体)であり,存在的にみれば個物(の全体)であり,言語論的には(操作的には)言葉(の全体)であるということになります。どの言い方をしても同じものです。

 

Wについて基本的なことはこれだけです

 

3.       そこで,次の問題は,こういった「世界(W)」を,(「現実,生活」を),内容的に,どのようなものとして理解するか,説明するか,自覚するか,です。その仕方によって,現実も,私たちの生活も違ってきます。

 

 その<理解,説明>に,大きく分けて,2つの方式があるというのが,ここで私の述べたいことです。一つは,私たちの多くが受け入れている,いわば,日常的常識的な<理解,説明>の仕方,これをAと名づけることにします。これが我々の理解の仕方のマジョリティですが,しかしながら,Aには,Aの内部ではどうしても理解できない,説明できない(解けない)問題がいくつか,あります。(その代表的例は,非存在の問題と,自我の問題です)。そこで,それを解決しようと,もう一つの<理解,説明>が,要請されます。これをBと呼ぶことにします。標語的に言えば,前者は,「要素構成的な立場」,後者は,「全体論的な立場」といえます。もちろん,基本的にはAに立ちながらも,その中にいくつかの亜種が成り立ちます。Bについても同様です。

 次に,この二つを,それぞれ,検討してみましょう。

 

4.      Aは,Wを,次のような枠組みの中で,説明します。

     先ほどの一般論からすれば,世界には,様々な区分け,個物が,様々な形で認められるのですが,Aでは,それら区分け,個物の中から,特別な,区分け,個物の集合を選び出し,それを実体,実在と名づけ,独立して,一つの領域とします。

     実体,実在の特性は,

ⅰ 固定的

ⅱ 作られたものではない

ⅲ それより下のレベルの階層を持たない,階層性において底なるものである

(逆に言えば,これが,実体,実在の定義ということです。)

     上記に従うと,Wにおける,区分け,個物の中,ある階層のものが,Wの中で特権化されて,認められることになります。そうすると,その際,それから外れた,それより階層性において上位の,区分け,個物が,そこに残ります。それらは実体,実在とはされませんが,区分け,個物としてはそこにあり,ある機能は持ちます。そこから,Wにおいて実体,実在とされた,特定の区分け,個物と,それ以外の,区分け,個物の二元論が成立します。後者を「概念」と呼ぶことにします。概念の身分については別に問題にされます。(概念)

     Wの世界には,ある必然性,つまり,法則が成立しています(決定論的世界)。

法則には2つあって,一つは,区分け,個物,それ自体の特性から成立する法則(論理法則に代表される),一つは,(区分け,個物のあり方は,変化するとされますが,)その変化にかかわる法則(時間が導入され,因果法則という形で問題にされる)です。Wは,法則にしたがいますから,決定論的世界と言うことになります。

     Aに従えば,Wは,「実体,実在」と,「概念」を区別し,それらの間に成立している「普遍的な法則」の存在を認めた世界ということになります。その際,実体,実在は,固定化された,階層性の底にあるもので,したがって,作られたものではないものになります。しかも,そこには普遍的な法則が成立していますから,Aに従ったWは,それ自体,完結した,固定化された,独立した領域ということになります。それを,「対象世界,有の世界」と名づけることにします。しかしながら,Aでは,その他に,この固定化された独立した対象世界に,その外から,認知的に,行為的に関わる,「自我」と呼ばれるものの存在を認めます。自我の役割は,認知と,行為ですが,さらに,この自我自体が,ものとして,それ自身,有の世界の一要素でもあるのです。そこにある種のアポリアが生じます。(対象世界と自我,主客二元論)。

 

5.      Aは,「実体・実在」,「概念」,「法則」,「対象世界」,「自我」をキータームとする,Wの理解,説明ということになります。Aについて,基本的なことは,以上で終わりですが,以下,補足的に説明を加えておきます。

 

  •   Aでは,区分け,個物の中から特別なものを指定し,それを基礎としてWを組み立てましたが,一般論としては,区分け,個物は階層的に様々であって,特定の階層の個物に特権があるわけではありません。もし特定の階層に特権を認めるならば,そのための根拠が必要になります。そのためにAの立場では,認識論とか哲学として,例えば,実在とか,五感で観察可能であるもの(感覚与件)とか,別個の概念を別に立てて,それに結びつけることによって,特権的な区分け,個物を説明してきました。しかし,結局,Aの中で説明する限り,こういった区別は,根拠なく,恣意的なものだと言わざるを得ません。

 

  •   日常常識的なWの理解(世界観)では,目の前に知覚される,他と区別されて,独立して存在していると思われる事々物々(このツクエ,このイス,・・・)を,そのままの形態で,実体,実在であるとします(素朴実在論と言います)。

 

  •   それに加えて,日常の常識的な世界理解には,普遍主義的な見方というものが繰り込まれています。普遍主義とは,素朴な立場で実在とされる個物よりも階層が上位の区分け(個物)である概念を,いろいろな意味で認めるということです(例えば,神,国家,倫理,道徳,・・・)これらの身分としては,それをも実在とする立場もあれば(イデア論),観念的なものとして別な存在物として立てる立場もあり,また,人間の認識能力の中に内在化する立場(理性)もあります。

 

  •   もう一つ,日常常識的理解では,ここでいう実体,実在(一番下のレベルの個物)は,実体,実在として,その下の階層を持たず,そこが出発であるようなものですから,それ以上,分解できないのですが,それを敢えてして,素朴実在論からしたら実体であり,実在である区分け,個物に,さらに下の階層を認め,あるいは,想定し,素朴な立場からは実体,実在とされていた個物を,さらに下位の個物から構成されるものとして理解しようとします。一番底の,区分け,個物を,素朴な立場よりさらに下げるということです。これが近代科学の立場です。具体的には,分子や原子や素粒子と呼ばれるものの導入です。

 

  •   私たちは,日常,あるいは,ある時代以後,科学の知見を,世界理解に取り入れています。その科学は,究極的には,日常常識的な立場での個物を,もっと下位の個物からの構成物とみなすことによって,日常常識的な個物の性質をさらに説明しようとするものです。出発においては,素朴実在論的な世界理解を下敷きにした上で,そこにおける区分け,個物を,下位のレベルの区分け,個物からの構成として,理解,説明しようという立場です。

 

  •   さらに,日常常識的な世界理解では,論理というものを認めています。

論理は,人間に内在的な普遍的な能力のように誤解されて,(理性など呼ばれて)世界を構成するもう一つの究極的なものとして奉られたりしていますが,これは,①個体と概念の所属関係,②概念同士の包含関係,③複合概念の構成,に関して成立する規則に過ぎません。①の「個体と概念の関係」とは,要素がある集合に所属するか否か(∊)であり,②の「概念の関係」とは,集合同士の包含関係(⊆),③の「複合概念」とは,概念を結合して新しい概念を作ることです。それは集合についていえば,補集合,結び,交わりを作ることです(そのことは言葉についていえば,notandorで単語を結びつけることに当たります,これらを論理語と言います)。私たちの日常言語は,基本的には,①,②,③を内容として構成されていますから,①,②,③に付随する論理は,理性など持ち出す必要はなく,単に言葉に内在するものだとして,説明がつきます。

 

以上,日常常識的な世界理解は,Aの立場に立つ素朴実在論を出発点として,それに普遍主義,科学,論理などの内容が加わったもの,と言ってよいでしょう

 

*科学,論理について,さらにくわしくは,拙著『哲学の勧め(補遺)』の「科学とは何か」,『同書(本編)』の「第4章(1)論理とは何か」,『同書(補遺)』「論理学概説」を参照ください。ともにこのHPの「古い倉庫」にあります。

 

したがって,実在,客観,実体,真理,法則,必然,構成,自我,主体,認識,行為,主客二元論,・・・が,説明Aにおいて用いられる,キータームになります。

 

6.これに対して,Bは,Wを理解すべく,次のように考えます。

     すべてのことがら(すなわち,あらゆる区分け,個物,あるいは,現実,生活のすべて)を包み込む「全体」を想定し,そこから,あらゆる,「区分け,個物」,あるいは,「現実,生活」をみます。

     Aにおいて全体といわれるとき,全体は,要素の存在を前提とし,既存の要素の集合,あるいは,既存の要素からの構成として説明されます。したがって,全体は,要素に対し二次的な,そして,構成的,有限的な,したがって,固定化されたものになります。Bの全体は,そうではなくて,実体,実在であるなしに関わらず,すでにあったもの,そこに現にあるもの,新規に現れるもの,何か訳の分からないものまで,あらゆるすべてが包み込まれる,すべての出発点としての,部分からの合成ではなく,部分に先立つ,一次的な全体です。

     そういった全体は,次の特性を持ちます

ⅰ 不分明である

(分明とは,要素からの構成として説明されるということです。Bでは,全体は,要素からの構成ではありません。)

ⅱ 不定,流動的

  (出発点ですから,形が定まらない,分析的でない)

ⅲ 開かれた全体である

(すべてを包み込む全体ですから,内容が限定されていません。この点を開かれたと称します。これに対して, Aにおける全体は,既存のものからの構成として,固定的なものとして閉じています)

ⅳ イメージとしては,そこからすべてが成立してくるような,「混沌」ということになるでしょう

 

     現実であるWは,そういった全体の中に部分として成立しています。

 

  •   Bに立つことによって,「現実や,ことがらや,生活」は,仮(設)となります。なぜなら,それらは,Bにおいては,実体,実在ではなく,またそれらに基づくものでもなく,不分明,不定,流動的な全体の部分とされるからです。

 

  •   このBは,Aにおける矛盾,行き詰まりの成立,それへの批判として成立したものです。したがって,Aにおけるキータームである,実体,実在,概念,法則,必然性,決定論,客観,真理,要素からの構成,自我,主客二元論,その他は,BにおいてAの意味では成立しないことになります。それに対して言えば,Bを特徴づけるキータームは,全体,不分明,不定,混沌,非決定性,仮設性(反実体),などになります。

 

  •   Aをとるか,Bをとるかの要点は,それによって,私たちの生き方(生活の仕方)が変わってくることにあります。これまでの私たちの生き方は,Aに基づいたものでした。

 

  •   Aにおいて,生きるとは,それ自体,実体,実在である自我(主体)が,まず環境を理解し(認知し),そのように理解(認知)された環境の中で,自我(主体)が環境と関わり合う(行為),すなわち,自我(主体))による認知と行為のことでした。

 

  •   しかし,Aにおいて,その中では解決できない問題がいくつか発生します。その代表的ものは,①「自我とは何か」,②「非存在(死)とは何か」に納得する説明が与えられないことといってよいでしょう。このことは,生きることを中途半端にします。なぜこの問題の説き難いのか。そこでは,自我も,非存在(死)も,自我は,対象世界の外のものであり,非存在は,対象世界の否定であり,その意味で,共に,Aによる世界(W)を超えたことがらになります。ですから,それらは,Aの内部の問題として,Aの内部の努力だけでは処理しきれないのです。それを解くためには,Aという枠組み(パラダイム)を変えなければならないというのが,Bの登場なのです。

 

  •   一方,Bにおいては,そこでの出発点である全体はすべてを含む全体ですから,現実も,ことがらも,自我も,非存在(死)も,同様に,全体の中のものとして,(Aにおけるように外のものとして,二元論的に扱われるのではなく),全体の中で(ただし開かれた全体の中で)一元論的に扱われるというのが,解決へのヒントです。

 

7.ところで,この,「Aの行き詰まり」,そして,「AからBへの転換」ですが,Aに解けない問題が生じ,矛盾,行き詰まりを感じても,それをあくまでもAの中のことがらとして,Aの中で解決を探るというのが,通常のやり方です(内部問題として)。それぞれの説明方式の底には,特定の思考の枠組み(パラダイム)があるということが自覚されていないからです。それに対して,問題の解決,矛盾の解決を,思考の枠組みを変えること,パラダイム変換によってやろうというのが,Bのやり方です。そこでBが提示されるわけです。

 

ところがAからBへの転換は,理解しにくい。Aに長年親しんできたから,また,通常,理解とは,Aに立ち,ことがらをAの中に落とし込んで納得することだと,あくまでもAの中のことがらだと思われているからです。ですから,Bへの転換の納得は,それほど単純ではありません。そこで,Bを志向する人は,Bのイメージをもつ人は,様々なやり方でその内容を説明しようとします。その説明の仕方はいろいろになるのです。これまで,Bを示すべく,いろいろな仕方の説明が提示されてきました。

 

8. Bの要点は,

     不確定な,不分明,無限である「(開かれた)全体」から出発すること

     そして,この全体の中に,現実も,生活も,自我も,非存在までも,すべてが,包み込まれること,現実,生活(すなわちW)は,開かれた全体の中に,部分として成立するものであるであること,

     それによって現実,生活(ことがら)は,仮設という在り方にされること

でした。

 

従って,Bの理解の困難は,

     不確定な,不分明,無限である「開かれた全体」とはどういうものか

     開かれた全体の中にあることによって,(開かれた全体の部分であることによって,)現実やことがらは仮設となるのですが,仮設とはどういう在り方か(Aでは,ことがらは,仮設のような作りものではなく,実在,実体として,根拠づけられたものとしてあることになっていました)

     自我も,非存在も,世界の外のものではなく,全体である世界の中に包み込まれたものであること(Aは,認知主義,主客二元論に立って,それらは体系の外のものだとします)

その辺にあると思います。

 

以上で,全体論的立場の説明は終わりです。さらに,いくつか補っておきます。

 

9. (補遺)

 

  •   Aでの行き詰まりを打開しようとして,「関係性の立場」とでもいうべき主張がなされることがあります。つまり,行き詰まりの原因は,孤立した個物を立てるところにある,本来個物は他との関係において成り立つものであり,独立した個物は本来的に成り立たないのだというのです。そして,仏教でいう縁起をこの関係性のことだとして説明しようとします。これはミスリーディングだと思うのです。なぜなら,個→関係性→全体と並べたとき,関係性は個を超えていますが,例えばabの関係があったとき,それは,abの関係だから,この場合は関係をいうために,先に,abが成り立っていなければなりません。縁起という在り方は,aなり,bなりの実体性を否定し,それらが仮という在り方をすることを主張します。関係性の立場では,abの実体性を消し得ませんから,縁起とはいいがたいのです(あえて言えば,縁起Ⅰ)。そうではなくて,縁起とは,例えばここでいうaが,開かれた全体の中に位置づけられること,それだけなのです。つまり,Bのもとに理解されることです。その際は,aは,bがなくても,相手がなくても,関係がなくても, 実体のないもの,仮設ということになります(縁起Ⅱ)。

確かにことがらはネットワークのもとにありますが,縁起とは関係性のことではないのです。

 

  •   Bでは,ことがらは全体のもとにあると言いました。全体にも,閉じられた全体と開かれた全体が考えられます。閉じられた全体とは確定した全体です。そのもとでは,全体について,個体からの構成される道筋がはっきりしていますから,逆に全体から構成要素としての個体を割り出すことができます。一方,開かれた全体は不定,不分明,不確定,混沌ですから,全体から個体を確定することはできません。ただ,個体が,全体の中にあるということが,言われているというだけです(個体の必要条件として)。しかし,そのことによって,個体は,仮という,作られたものという,在り方をすることになります。仏教の説明方式に従えば,それが「空」ということなのです。Bでいう「全体」とは,すべてを包み込むということ(例えば,自我も,非存在も,その他も),それ故,残されたものは何もないこと,「開かれた」とは,その中におかれた「現実(ことがら)」は,「仮設」という在り方になること,を意味するわけです。

 

  •   Bというパラダイムの受容,特に,Aに基づいて承知していた現実(ことがら)が仮設であることの納得は,なかなか難しいのですが,現実(ことがら)が仮設であるとしても,事態は,これまでと(事実として捉えていたときと),全く変わらないというのが,このことに対して強い説得性を持つように思います。事態は変わらないながら,しかし,仮設と理解することによって(パラダイムBをとることによって),生活の仕方が違ってくるのです。それによって,自我とか,生死についてのいくつかの難点が解決されるということ,そのためのBという工夫なのです。

 

  •   哲学,思想(あるいは,もののとらえ方)の歴史的変遷の中で,古典論理,科学に認められるような内容(要素構成的思考,法則普遍的思考,決定論,実体論,真理論),つまり,ここでいう説明方式Aに対する批判は,多々行われてきました。そして,その批判が共通に向かうところは,全体性を,そこに取り込もうということであったように思えます。現実に,ヘーゲル,プラグマティズム,ホワイトヘッド,大乗仏教,西田哲学,その他は,そういった全体論に立ちます。その際,問題は,全体がどのようなものとされているか,それをどのような形で取り入れるかであり,そのやり方にはいろいろあり得るわけです。

 

  •   私もここで,その流れに従って,私流に,全体論の導入をやってみました。まとめて言えば,次ページの図に概略が示されるようなものです。いささか補足しておきますと,

 

① 全体性の導入において(Aによる説明方式に,全体という要素を導入するについて),要素主義は残したまま,追加という形で,全体を(B方式を)導入する,こういうやり方が多くありました(それは,実在論,リアリズムから世界を見ること,そこから抜け出せないということでもありました)。両方認めるとすると,要素と全体の二元論になりますが,要素論と,全体論は矛盾するのです(要素論をとると,真の意味での全体はなくなってしまいますし,全体論をとると,本質的に要素はないことになるのです)。そこで,一部には,現実(ことがら)の世界を,それ自体,要素と全体の矛盾を含む,矛盾的なものであるとして(矛盾的自己同一とか,根源的直観とか言う言葉によって,ある意味で,超越的な,神秘的なことがらとして),説明することになります。私は,それはミスリーディングで,全体論(方式B)を採用した時は,要素主義(方式A)は捨てなければいけない,全体しかないという,ある種徹底主義をとらないと,全体導入の意味がないと,考えます。

 

 ② 方式Aは,科学(あるいは常識)に代表される思惟であり,そこに成立する論理が古典論理です。一方,方式B(全体論)は,宗教的思惟の本質を示すものであり,そこでは,古典論理と異なった論理(もう一つの論理)が成立していると,私は,考えます。そうとすれば,ABの対立は,端的には,「科学」と「宗教」との,「古典論理」と「もう一つの論理」との対立であり,そう解釈するのが,理解を分かりやすくし,また,その次の議論にとって有益だと思うのです。

 

  • Bが宗教的思惟といわれるものの本質であるとする点は,すぐには納得されないかもしれません。詳しくは,また,別に述べます。

ただ,特にこの点に興味ある方は,私の小論,①「宗教的思惟とは何か―ひとつのスケッチ―」(『岩本泰波先生記念文集』,広大会出版,2001),②「もう一つの論理」(東京国際大学,商学部紀要73号,2006)をご覧ください。このHPの,「古い倉庫」→「紀要論文・ほか」,にあります。前者に,少々,触れておきます。

 

  •   そこでは,宗教的思惟とは,次のようなものとされます。

① 宗教はことがらの問題ではなく,考え方あるいは思考の枠組みの問題である。

② 宗教を成立させる思考の枠組みは,アポステリオリズムとでも呼ぶべきものである。

 ここでいうアポステリオリズムとは,アプリオリズムの考え方を逆転したものです。アプリオリズムとは,上のAのように,「現実,生活」を,「それに先立って成立している,確実なる,実体,実在,法則,自我,その他」(アプリオリなもの)から構成されるものとして説明しようとするものです。それに対してアポステリオリズムは,アプリオリズムのいう先立つものは,実は先立つものではなく,後から外挿的に作られたものであって,「現実,生活」の方が,すべての出発点であって(逆に先立つものであって),それのみがそこにあるものである。したがって,世界は,アプリオリなものを前提とせずに,根拠抜きに,説明抜きに,ありのままにただある事になる(根拠なしにただある事を仮設性というのです)。それは,Aを否定し,あるがままの,開かれた全体を出発点とし,その部分として世界を見るというBの立場に合致します。だから,Bの本質は宗教的思惟であると言いたいのです。

 

  •   そして,宗教的思惟をとることによって,次のようなことが成立します。

① 世界は我々にとって,以前よりも,直接的で,親しいものになる。根拠というクッションを置かずに世界に接触できるからである。また大切なものになってくる。徹底した意味でそれしかないからである。

② 根拠のない世界,夢幻(仮設)の世界であるから,こだわらないでよい世界である。執着は意味を失う。執着はすべての苦の原因である。

③ この世界を我々は選ばずに全面的に受け入れることになる。したがってその意味で,我々は自分で生きるのではなく,生かされてある事になる。このことによって,己への執着から解放される。選択がないから,執着がないのである。

 

参考図

ここで図を示したいのですが,ブログでは,うまく描けません。次にリンクしてください。

「全体論という見方」参考図

 

 

 

2014年

5月

07日

老人学その2-老人とは

 

前回(昨年6月)は,「老人学,その1」と称して,老人のおかれた状況を述べました。今回は,「老人学,その2」として,老人とは何かの一般論を,やってみます。

 

 その前に,老人を考えるための道具立てとして,次の2つを準備しておきます。

 

 <1> 老人に根源的に関わる話題は,死,あるいは,生と死の関係ということでしょう。それを論じるには,「生(生きている)」,「(死(死んでいる)」という概念をどう理解するかから出発しなければなりません。

 

 まず,(人間が)「生きている(生)」とはどういうことでしょうか。人間は,意識をもち,それによって,自覚的に周辺と関わり(認知),また,自分自身の行動を,ある範囲で,自分でデザインし(意志),認知や意志の結果について,好悪の評価を自分の中に抱きます(感情)。それが人間の生の特性です。それによって,人は,認知的に,行動的に周辺と関わり,感情として周辺を評価し,周辺を含んだ全体として,周辺と切り離せない形で,人間の生活は成り立っています。ですから,人間の生を,人間個体に内在的に考え,単なる刺激への(受動的な)反応とか,種の保存というような,生物的な意味での「生命」(個体の能力,機能)に限定して理解したのでは,不十分なのです。そして,ここで問題にしているのは,(生物一般ではなく,)我々,人間の具体的な生と死ですから,生を,広く,人間が人間としてそこにあること自体,人間生活の全体,もっと言えば,人間そのもののこととして広げて扱うのが適切と思えます。その立場に立てば,人間の生とは,(人間という生物に属する個体の,内在的な,一能力,一属性ではなく),「私たちを含んでここにあるすべて」,「私たちに与えられているすべて」のことになります。身近には,「この世界」,「現実」,「実在」,「自分」などの言葉が指し示す内容なのです。その内容を,あえて,構成的に示せば,生とは,①私たち自身のあり方(内面性),②私たち相互の関係(社会性),③周辺の事物(環境),の総体ということになります。これは,旧来の,「生(生きていること)」を,人間に内在的な,神秘的な,実体とする見方(その場合は生命などと言われる)に対して,「生(生きていること)」を,外から見えるものとして,行動的にとらえる見方なのです。

 

 それでは,「死(死んでいる)」方は,何なのでしょうか。一般には,生の否定として,生が,「そこにあるすべて」「この世界」「現実」「実在」「自分」のことであるとすれば,それらがそっくりなくなってしまう事態ということになります。

 ただ,この場合,一般には,我々の生活も,また,ものの理解(認知)も,生というこの世界(現実,実在)の中でのことがらであり,生の外のものではないとされますから,生活も理解(認知)も,生の中のことがらについては成立しますが,生の外のことがらについては,同じ意味で成立するとは言い難いのです。もしそうとすれば,生自体の否定であって,生の外部のことがらである死を,理解することは,(内部のことがらに対すると同じ意味では,)できないことになります。ですから,「死んでいること(死)」,すなわち,「そこにあるすべて」「この世界」「現実」「自分」がそっくりなくなってしまう状態(「非存在」)は,生の中では,(つまり,自分にとっては,現実としては,実在的には)本質的に理解できないことがらになります。生の方は現実のことだからよく分かりますが(逆に,分かるとはすなわち現実である,「=現実」ということです),死の方は,現実の否定であり,したがって,「分かる」の否定でもあり,分かることの対象外ですから,死については,何も分からないのです。そのことを承知しながら,「死」をあえて表現するとすれば,「分からない(不分明)もの」「(それでも存在すると仮定すれば)何か混沌なるもの」と言わざるを得ません。死に対する恐怖というような思い入れは,分からないことに対する恐怖と同種のものなのでしょう。

 

 そうとすれば,死の問題とは,そういった死が一体何であるのか,すなわち死それ自体の問題ではなく(不分明だからその答えはない),生とどう繋がるか,生との関連においてどのような意味を持つのか,(優れて,)生とどう繋がるかの問題なのです。

 

 <2> 準備として,もう一つ,一般論をしておきます,2つの概念の関係についてです。概念とは,一般には,言葉において,単語(名詞,形容詞,動詞など,自立語)によって示されていることがらの内容ですが,論理学としては,概念とは,(外延的に捉えれば),そこに話題になる個体の全体領域(話題領域)があって,その中から,ある任意の個体の集合を取り出した部分集合(あるいは,それを可能にする区分け)のことです(これが一番わかりやすい説明です)。そう考えたとき,2つの概念(集合)の間には,次の5つの関係が成り立ちます。

 

2つの集合(概念)をA,Bとして, 図示すれば,

 


このブログの画面では,図が描けませんので,下の集合論の記号から察してください。)

 

             ②          ③          ④         ⑤

 

  ・ AB        左がA,右がB      中の丸がA        中の丸がB        左がA,右がB

                     外の丸がB          外の丸がA

 A=B)              (AB)         (AB)           (BA)          (A B ⍉)

 

  上記の関係を,言葉で言えば,

      ABが同じものである,(言葉の言い換え) 例;概念「生物」と概念「生き物」

      ABは,全く別物である, 例;「動物」と「植物」,

      ABに含まれる, 例;「動物」と「生物」

      BAに含まれる  例;「動物」と「生物」

      ABの一部が共通である, 例;「陸に棲む生物」と「海に棲む生物」

 

 その上で, Aを「生きている」(生),Bを「死んでいる」(死)として,「生」と「死」を①~⑤に当てはめて,具体的に両者の関係を考えてみますと,

      生と死が全く同じものである,区別がつかない,言葉としての同じことの言い換えである。

 例えば,「生死一如」というような特別な立場です。

      生と死は全く別物である。

 例えば,「生はこの世のことがら,死はあの世のことがら」,「穢土と浄土」

      生(A)は死(B)に含まれる。

このことは,

 集合算の記法では, {A⊆{B} (ABの部分集合),

 論理記法では,    AB  (AならばB),

 と書けます。

 さらに,論理学的には,「AならばB」は,「AであってBでないことはない」,「AであるためにはBでなければならない」,「BでないならAでない」と読み換えることができ,こういった場合,「BAの必要条件である」と言います。

 つまり,③の示すのは,「生きているものは必ず死ぬ」,「死なない生はない」,「生である限り必ず死ぬ」,「死は生の必要条件である」,「生は死ということがらの中の一部である」,「生は死の一種である」,ということです。

      ③と対照的に,生きること(A)の中に死(B)があることになりますから,死は,生のもつ性質の中の一つ性質として,ちょうど    病気のように,人生の経緯の中の一こまになり,したがって,死なない生もあることになります。後者を永遠の生と呼んだり,   そこに不老長寿を求めたりするのはそれです。

 ⑤     生死に関して三分法が成立し,生があって,死があって,その間に,生と死が混ざった中間状態(仏教では中有などと言いますが)があるということになります。これも通俗によくある死生観です。

 

* 念のために,論理学上のことを一言付け加えておきます。上で,生と死という概念の関係を扱いましたが,概念を外延的に捉えたとき,概念とは個物の全体領域(全体集合)の存在を前提とし,その部分集合のことでした。しかし,ここでの,生や死という言葉(概念)は,見かけ上は,個物の集合を示してはいません。ここでは概念を,外延,集合ではなく,内包的に,意味において,扱っているからです。しかし,内包的な関係(意味的関係)は,外延的な関係(集合の関係)に移し替えることができます。いろいろな表現があり得ますが,例えば,「生」を「生の(生きている)場合」,死は「死の(死んでいる)場合」と書き替えるのです。別の分かりやすい例でいえば,「努力すれば成功する」というようなことを言いますが,努力するも成功するも集合ではありません。しかし,「努力する場合は成功する場合である」というようになおせば,集合の関係として理解できます。上記の③「生は死に含まれる」は,「生きている場合は死んでいる場合の一部である」「生きている場合は死んでいる場合に含まれる」と読み換えるわけです。

 

  以上の<1><2>を前段として,老人とは次のようなものです。

(老人とは次の3つの要件を満たすものである。その要件を満たすものを,老人と呼ぶ。老人に成りたかったら,次の3つを受け入れなければならない)

 

その1  「生」と「死」の2つの状態をあわせ持つ。

  •   ただし,ここでの「生」とは,前段に述べたように,「現前のすべて」,「自分,世界,現実,実在」と言い直せるようなことで,「死」とは,それと異質な,一般にはその否定としての,あえて言えば,「非存在」,「不分明な混沌」です。
  •   その上で,「生」と「死」,すなわち,「現前のすべて」と「非存在(不分明な混沌)」の関係として,前段に述べた分類の中で,③,すなわち,「生」は「死」に含まれる(生は死の一部)をとります。「生きている場合は死んでいる場合の一部」である,「生の必要条件としての死」「生,現実」(存在)は,「死,不分明な混沌」(非存在)の中に成立する,ということです。
  • そのような前提の下で生きている人間が老人ということになります。2つの状態をあわせ持つとはこの意味においてです。

 

その2  通常いう人間の中から老人を除いた部分を仮に人類と呼ぶことにします。老人と人類は別な種である,種において違う(こう捉えるべきである)。

  • 種において違うとは,異なった分類項目に入るということです。例えば,犬と猫。

 

その3  老人は,人類に,正確には人類の持つインフラに,寄生して生きている。

  •  人類の持つインフラとは,物的ものだけではなく,社会システム,倫理,文化を含んでのことです。

 

3つの条件を,もう少しくわしく説明しましょう。

 

まず 「老人は生と死の二つの状態をあわせ持つ」(その1)に含まれる意味です。

  •    多く,「生」と「死」の関係は,

        生と死は独立した二つの別なことがらである (②),

        死は生の中のできごとである (④),

        生と死とそれを繋ぐ中間の状態を認める(三分法) (⑤), この3つのどれかにおいて考えられています。

         ②では,生と死は全く別なことがらです。例えば,死に伴って,生にはなかったものとしてあの世や天国が現れることになります。

        ④では,死を,病気のような,人生のなかでの一つの偶然的なできごとと捉えます。

        ⑤では,生と死の中間的状態(この世からあの世への途中の状態)があるとされます。

 ②,④,⑤に共通な理解は,死を,現実的な,経験的な,実在的なことがらとして,生と同じカテゴリーの中のものとしていることです。もとより,それが,認識的には正当なやり方ですが,ただ,それに従うと,生と死についてアポリアが生じ,そして,その立場のもとでは,そのアポリアは解けないということです。

  •    一方,前段によれば,「生」とは「現前のすべて」「現実」のことでした。(言いなおせば,現前のすべて,現実を生と呼ぶのです,それは現実というものの定義,あるいは,生の定義といっていいでしょう)。一方「死」は,生の否定であり,「現前のすべて」の否定として,「非存在」「不分明な混沌」でした。それは,現実とは異質な,現実を離れたものです。この意味で,両者は異なった領域のことがらで,両者を含むような個体の全体領域は考えられないわけで,いわばカテゴリーが異なります。例えば,カテゴリーの違う「人間」と「バロック音楽」について,比喩的に,「人間とはバロック音楽である」(①)とか,「人間はバロック音楽ではない」(②)は言えるかもしれませんが,包含関係は言えないわけです。ですから,③のように,カテゴリーの違う生と死の関係を集合の包含関係でいうには無理があるかも知れません。人間と哺乳類のようにはいかないのです。
  • 生と死に関して③をとることは,生と死はカテゴリーが違うことを認めた上で,死は,生の必要条件としてあると主張することです。しかし,本来,死は,生のように実在的,経験的なものではありませんから,生と死はカテゴリーが違っていて,事実としての両者の包摂関係(集合で言えば包含関係)は言えません。ですから,ここで言われている内容は,事実的な包摂関係ではなく,死は,生の必要条件であるという,それだけなのです。死は生に対して,いわば論理的に要請された概念ということになります。かく,死は,生の必要条件として,生を含む何ものかとして要請されるというだけで,現実(実証的に発見されるもの,経験的に探すもの)ではありません。現実であるのは生だけなのです。ただ,その生が,論理的な要件としての,必要条件としての死のもとにある,そういうふうに仮定する,それだけなのです。このように,「死」は論理的概念(要請)で,現実的概念である「生」とはカテゴリーが違いますから,経験的,実在的意味で,生が死に変わったり,死とは生の一形態であったり,生と死の混合状態が存在したり,人間を解剖したら生の部分と死の部分が別々にあった,というようなことはないのです。
  •  ③に従えば,死は生の必要条件ですから,死なない生はありません。ということは,(④と逆に,)生の方が,死という全体の中での状態であるということです。その意味で,人が生きていることは(生の中にあることは),それは同時に,死の中にあることです。ただし,ここで,あくまでも,死は,現実的ものではなく論理的な要請なのです。(現実的なのは生のみですから)。
  •  ただ,このことは分かりにくい。生は現実,死は現実ではないにもかかわらず,③をとるならば,生は現実でありながら,死の部分として,現実的ではないことになります。これは矛盾です。生の背後に,必要条件として,現実的でない不分明な混沌としての死を置いたために生じた矛盾といえます。(この矛盾を,現実の立場から解こうとすると,「矛盾的自己同一」とか,「即非の論理」とか,「根源的直観」とか,そういう説明が必要になってきます)
  • 矛盾,確かにその通りですが,ここは,以下のように考えると説明がつくと思われます。(あるいは,こういった説明の仕方がその事柄の意味といえます)。

 まず,「現実的」の意味するのは何かです。「現実的」という言葉には,2つの内容が含まれています。一つは,①「実体として(A)」,もう一つは,②「存在する(B)」です。概念「現実的」の中には,AB2つの内容が入っているわけです。

「実体」(A)とは,「最終的な根拠を持った,否定できないもの(実在)」,「最初かあるもの」,「作られたのではないもの」,という意味です。

「存在する」(B)とは,「そのものを他と区別する区分けがなされている」,「概念として成立している」,ということです。仏教では,前者を自性,後者を分別と言います。

 現実は,まず,(ⅰ)区分けとして成り立ち(B),次に,(ⅱ)実体として認められた(A)ものです。普通に私たちが考えている現実とは,こういうものです。任意の物体,例えば,「この机」について考えてみてください。まず,この机は区分けで(概念で),それが本当にそのようなものとして存在して(実体であって),「この机」は現実的となります。概念だけなら,観念的ということです。

生について,通常の理解では,生は現実そのものとして,ABの二つの性質を持つことになります。そして,その上で,③をとることによって,その生は,死の中のものとして,その現実性は否定されるのですが,その際否定されるのは,現実性の中,Aの方であって,Bは否定されないで残ると考えたらどうでしょう。何故なら,Bも否定されると,そこには何もないことに(何も言われなかったことに)なってしまう,何物もなくなってしまい,理解も,説明もなくなってしまうからです。そこを,「生」は「死」を必要条件としているとすることによって,生は,実体としては否定されるが,しかし,区分けとしては(存在としては)成立している,そう考えるのです。「実体ではないが,しかし,存在はする」とは,イメージとして言えば,仮(設)としてあるということです。仮(設)とは,存在はするが非実体的にということです。

  •   「仮(設)」あるいは「非実体的な存在」の特性は,

 ) 作られたものであるということです。実体としてもとからあるものではないから,どこかに作られた,(区分けされた,成立した,存在することになった)という出発点を持ちます。ただし,誰によって作られたかの問題は本質的ではなく,大切なのは,もとからあるのではない(仮設,非実体的な存在)ということだけです。         

 (ⅱ) 実体としてもとからあるものではなく,作られたという出発点を持ちますから,本来的な固定性を持ちません。原理的には,どうにでもあり得るわけです。これでなければいけないという一意性(根拠)は,アプリオリには,ありません。ですから,白が黒になっても(白が黒であっても)論理的にはかまわないわけです。生は,死を必要条件とすることによって(実体性を失うことによって,仮設となることによって)そういった権利上の多様性(非固定性)を持ちます。

 (ⅲ) 実体としてもとからあるものではないとは,無根拠にある,と言ってもよいでしょう。

   A(生)がB(死)に含まれるというとき,現実であるA(生)から出発してB(死)を考えると, B(死)をも,現実的として考えないと,つじつまが合いません。これは旧来の立場です。その際は,死(B)を生と同じく,現実のものとすることから,死の問題の解き難さが出てくるのです。一方,非現実であるB(死)から出発して(Bを必要条件として),A(生)を考えると,A(生)も非現実的ということにならざるを得ません。しかし,A(生)は全くの無ではありません。我々の生活は現にそこにあるからです。そこで,Aは非実体的な存在として,仮設であるということになるのです。

  •    このように,生が,死という領域の中で自覚されるようになったことは,この形で,生が死と繋がったことです(あるいは,死が生と繋がった)。死の問題の困難は,死が生と断絶していたことから来ました。そのことが生に不安をもたらしたのでした。死が生と繋がれば,死は不分明で混沌であったとしても,生と隔絶したものではなくなります。 生に連続して捉えられます。生と死のつなげ方には,いろいろなやり方があり,それが,様々な死生観ということなのですが,ここでは③をとるということです。
  •   ③において,生は,死の中にあります。それは,生を中に含んだ死という全体の中で,生を考えることです。生をその一部とした全体を,外に意識した,そのような全体に立ったということです。しかし,そこは,このように全体に立つことによって,死とは何かが明らかになったということではなく,逆に,生というものが,従来の理解とは違ったものになったということなのです。(この全体を,私は,他のところで,「開かれた全体」と呼びました。ことがらを理解するには,根本的に2つの立場があって,一つは,ことがらを,要素構成的に,法則普遍的に,考える,もう一つは,不分明な全体を出発点に,その中にことがらを置いて考える,の2つです。前者は,対象を固定的,実在的に捉え,後者は,仮設的に捉えると言えます。ここでは後者をとるということです)。
  •   生は,死という,「不分明,混沌の全体」の中にあることによって,全体に融合して,全体の部分として成り立つものとなります。全体が,必要条件であり,出発点であるとはそういうことです。生は,要素構成的に,普遍法則的に説明されるべきものではなく,不分明,混沌の全体の中に,新たに成立するものとされます。言い直せば,旧来の理解と違って,私たちは,(死という)全体の中で,根拠なく,ただ生きているだけなのです。私たちの生は,最終的要素や世界の法則という根拠によって成立したものではなく,それ自体が出発です。ですから,それ以外にありようはなく,他の選択肢はなく,逃げ場所はどこにもなく,ただ,生きているだけなのです。ただし,このことによって,生は,旧来の理解におけるよりも,私たちに親しいものになってきます。直截に,純粋に,くもりなく,はっきりとよく見えてくることになります。旧来の理解のもとでは,生は,要素からの,法則からのいわば経緯を持った構成物でしたが,こちらは,与えられたまま,ありのままといってよいものです。これは,道元ふうにいえば,「有時の而今」(即今)とか「現成公案」(ありのまま),親鸞ふうにいえば,「即得往生」とか,「自然法爾」というようなことなのでしょう(逆に,これらの語は,こう解釈したら分かるだろうということです)。これは,生を独立したものではなく,死と繋がったところで,不分明,混沌の中にあるものとして見ることから派生します。

 

次に,「老人は人類の一部ではなく,人類とは別な種である(種が違う)」(その2)の意味です。

  • 通常は,老人も,人間の一種だとされます。人間の中に,幼児もいれば,青年,壮年,老人もあって,それぞれ特性があって,区別されるが,皆,人間であるということにおいては共通である,とされています。だから,老人も人間だということです。それに反して,ここでは,老人を,老人以外の人間,人類と区別して,人類から切り離し,別な種類のものだと考えようということです。種が違うとは,馬と牛が違う,鳥と魚は違うというようなことです。
  •    ただ,老人が別な種であるとは,人類が,連続的に,老人という別の種に進化(退歩)するというのでもなく,老人は人類の一生の中のひと時の一つの位(状態)なのでもない,人類と老人の間には,断絶,飛躍がある,ということです。その断絶の意味するのは,老人はもと人類であったとしても,老人という種に移った(?)とき,人類でなくなった,人類としては一度死んでいる,だから,老人は,人類としてもう一度は死ぬことはない,種が違うとはそういう意味です。
  •   快不快とか,幸福不幸とか,成功不成功とかは,そしてそれに基づく序列づけは,人類における価値意識です。種の違う老人のもとでは,そのような価値意識は成立しません。老人(種)においては,すべてのものは,人も,物も,みんな同等で,そのような区別は成立ないのです。何故なら,死が必要条件である(すべてのものは死ぬ,すべてなくなってしまう),ことがらが永続しないという前提の下では,如何なる価値も成立しないのです(ですから,道徳の成立のためには,魂の不滅が要請されるというKantの主張は正しいのです)。したがって,人類であった頃(?)のすべての序列的なものは,老人種では何の意味もありません。それらは,老人になったときに,みんな捨てられるのです。(老人とは,みんな一緒にゴミ箱に投げ込まれたようなものです,ごみ箱の中では,すべてはゴミですから価値的区別は成り立ちません)。人類の持つ概念体系,価値観は,老人(種)においては,すべて捨てられている,意味を持たないものになっています。時に,老人においても,いまだ,自分を人類だと思っている人,価値の普遍性を捨てられないでいる人,人類のいろいろなインフラを俺のものだと思っている人(その成立は己の功績だと思っている人)がいますが,それが,老人当人についても,人類についても,諸困難成立の源泉なのです。

 

「老人は,人類のインフラを利用して,その中で,(それに寄生して)生きる)」(その3)の意味です。

  •  老人は,人類とのインフラの共同使用によって,人類とつながっています。それが唯一の老人(種)と人類の接点です。
  •  ただ,ここで寄生すると表現しても,必ずしも,悪い意味とはかぎりません。寄生虫と本体の関係は,寄生という表現にこだわらないことにすれば,単に,関係の一つのあり方なのです。

 

以上をまとめますと,

 

1)     「生」とは,現前のすべてのことです。「死」とは,それらが消滅した状態です。(ですから,後者については,説明し難いのですが,でも,イメージあるいは言葉がないと,話が先に進みません。そこで,死とは,「不分明,混沌たる全体」としておきます。)

2)     生と死の関係としては,多く,

        「死」は,生の外の異種のことがらである(②)か,

        「死」は,生の中の一つのできごとである(④),

として,捉えられます。しかしながら,前者では,死は生と無関係になりますし,後者では,死は,例えば病気のように,生における一現象に矮小化されます(死んだのは偶然で,単に運が悪かったのだ)。両者とも,生が,全面的に,内的に,死と繋がりません(②や④のような言い方は,むしろ,死を生に結びつけようとしています)。生における死の問題は,生の死に対する繋がりを見いだすことによって,解決されるのです。

 3)     そこで,前述の③をとって,生を死の一部分として,死を生の必要条件として考えることにします。これは,自分が(生が),死の中にあると承知することです。こういう形で,生は死と内的につながることになります。死とは,不分明な混沌でした。生は,不分明な混沌の中におかれることによって,(旧来のように確定的な要素や普遍法則から構成されたものではなく),それ自身,新たに作られたものである,それ自身が出発点である,と解釈されることになります。そのような輪郭を与えられ,ありのままに,見えてきます。生だけを考えていた限りでは見えなかったことがらです。死は生のなれの果てではなく,生の誕生の条件なのです。この意味で,死の問題は,本当は,生の問題なのです。

4)     こういったことが納得されて,老人の生は,人類の生とは異なったもの(別の世界)になります。両者は断絶したものです。しかし,そのことによって,人類とは違った(存在として,価値観において,生活の仕方において),老人の生活があり得ることになります。

5)     老人としての生活の仕方は,人類に寄生している(インフラを共有している)という点で,人類の生活の仕方と似ています。しかし,意味合いが根本的に違ってきます。

6)     それでは,以上の私の説明は,正しいものなのでしょうか。そういった追求はしなくてもよいのです。有体に言えば,要するに,この説明は,生と死をつなげるための,一つの物語なのです。本当かどうかよりも,これによって,生と死がつながる(他のやり方もあったとしても),死の問題に一つの解決が与えられるかもしれない,そこが肝要なのです。

 

以上のようにして,ここまでの議論は,結局は,生と死を結ぶ一つの物語ですが,この物語作成の種明かしは,次にあります。

  •   「生」と「死」の間に,半分生きていて,半分死んでいる「老人」という中間帯を考えることによって,生と死の間の隔絶,段差がある意味で埋まる,生と死が連続になります。この連続性は,生における死の問題の解決にあたって重要なヒントなのです。
  •   人類から違う種である老人に移ることは,(人類として)一旦死んだことです。もし,死とは人類における(生における)問題ならば,老人においてことはすでに終わっていて,老人には死の問題はないことになります。
  •   また,老人のこういったとらえ方は(特に老人は人類ではないということは),老人の生き方に,一つの示唆を与えます。老人は,人類と同じ生活をするものではないのです。
  • ただ,老人をこのように捉えるについて,この立場と,通常の立場の間には,生と死の関係づけについて,死の解釈について,根本的な枠組みの違いがあります(通常は②④,こちらは③)。ですから,ここで述べた立場,③に基づいて生と死を理解するためには,生と死をどう見るかについての,②④から③への,いわばパラダイムの転回(パラダイムシフト)が必要です。通常の②,③に基づく死生観のもとには,いくつかのアポリアが生じます(それが死の問題なのでした)。その解決には,死生の理解に対するパラダイム変換が必要です。そうでないと,生の内部だけでは,問題は解決しないのです。あるいは,そのようにして問題は解決されるのです。永遠の生,死の否定,あるいは,「不老長寿」を求めて,実証的,経験的,希望的に,妙薬を山奥に探すというリアリズムではなく,死の問題はパラダイムの変換の問題として,論理の問題として,解決されるだろうというのが私の立場です。
  •  以上,素直な,まじめな老人連からは,あるいは,通俗的な立場からは,自虐的な老人観と言われるかも知れませんが,逆に,こういった死生観,老人観に立つことによって,また新しい生活が開けてくるのだろうということです。

 

以上,いささか論争的な,アイディアの提示でした。

 

しかし,それはそうとしても,いかにも,勝手な,恣意的な議論で,正しさの根拠が示されていない,勝手な言い放しではないか,都合のいい物語に過ぎない,と批判する人が,少なからずいると思います。そういった批判に対しては,次のことを準備しておきます。

  • 文系の探求は,最終的には,こちらの希望に合わせて,上手に物語を作ることです。その物語がうまくできていれば,それが真理なのです。(物語も,真理も,生活の道具です。そのことはまた別に論じます)。その辺は理系のやり方とは違います。ここでの議論は,文系の議論ですから,第一に,出発点の問題自体がはっきりしていません,問題自身にあいまいさがあります。さらに問題解決の方法が事前に統一的に与えられているわけでもありません。ですから,問題をはっきりさせながら,それを解く方法を探しながら,結局は,最適な物語を作るということなのです。ただし,一般に最適とは目的に合わせて最適ということでしょうが,ここでは目的もはっきりしていないわけですから,最適と言っても暫定的にということになります。ちょうど時宜を合わせて,「理研」とかO氏の話題が喧しいのですが,あちらと違って,ここには,実験ノートも権威もありません。自由放任です。それでも,そこにできの良し悪しは言えることは言えるのです。(ただ,理系といえども,物語作りであり,皮をむいてみれば,同じ構造であるというのが,こちらからの言い分ですが)。
  • 認識,認知について,通常は,①人間には,身体的,精神的(神経的)に,正しい認識能力(理性)が与えられており,それに従って認識が行われる限りでは,その認識の結果は,それら(理性)に根拠づけられて,真理であるとされます(ときに間違いはあるが,それはその機能が正しく用いられなかったということです)。また,もう一方,②認識の対象は,一意であり,それ自体として存在するとされますから,それを根拠として,その対象に合致した知識は,真理である(実証)とされます。内的な能力(理性),実在する外的な対象,これが,真理の根拠になって,認識は,真理として,成立する,とされます。
  • これに対して,認識は,認知は,都合のよい物語の採用である,というのが対極の考え方です。例えば,男子というものがそこにあったとして,それはなぜ男子かといえば,生理的な構成要素がこれこれであるから,こういう機能を持つから,そのことに基づいて男子であるというのが,旧来の説明です。これに対して,前に言及したことのある一般意味論などでは,男子とは力強く,勇敢に振る舞うものであるという物語(イメージ)があって,ある人間が,いわば男子というイメージを受け入れ,そのように行動しようとするところに男子は,男子(男子という物語)として成立する。(男子のイメージを受け入れたいわば男子は,女々しい行動はとらないのです)。つまり,男子という物語の作成,受け入れが,男子という認識,生活形態成立の基盤なのです。男子だから男子らしく行動するのではなく,男子という物語を受け入れるところに(男子らしく行動するところに)男子が成立するのです。そして,その物語が,うまくできていて,広く生活において役に立てば,それが真理である,そうなります。
  •   言ってしまえば,理性に根拠づけられた,あるいは,対象に根拠づけられたとされる,いわゆる真理も,よく考えれば,なぜ,理性や,対象に根拠づけられているならば,真理なのか,その説明のところは不明です。とすれば,その真理の代表である科学も,真理であることの根拠を最終的には示すことのできないから,(多分,それなりに優れた)物語に過ぎないことになります。ただ,現状,人類の多くがそれに従っている,ということなのです。
  •  ですから,生き死に,のような,これまで学問が(科学を代表として),伝統的に,メーンテーマとして扱ってこなかった領域については,なおさらに,物語の制作は意味があるのです。それは真理に変わるものではなく,それが真理そのものなのです。
  •   ただ,このあたりのことがらについては,いささか込み入りますから,また別に扱うことにしましょう。

 

最後に,もう一つ,言い忘れたことがありました。ここで,「老人は死という必要条件のもとで生きている」のだと言いました。でも,死を必要条件としていることは,老人のみならず,人類についても同じように言えることです(死なない人間はいません。ただそのことに深刻に気づいていないだけなのです)。とすれば,人類もまた老人と同じで,この点から,人間について,老人,人類の区分けは成り立たないことになります。そして,ここでは老人とは何かを問題にしましたが,人間とは何かについても,死を必要条件としていることは同じですから,人類も(つまり人間はすべて))仮という在り方をするという同様な答えが可能です。ただ,一般的には,生と死の関係について,②,④を前提にして議論をしますから,こういった考え方は異質とされます。

 

以上,いろいろ申しました。しかし,こうした見解は,一般的には,受け入れられないようです。一般論としては,生き死にのみならす,ことがら全般について,以下のように考えるのが普通だからです。曰く,

「こんな議論をして,どんな意味があるのか。そんなことを考えなくても,人並みに,普通にやっていけばよいのだ。生に対しても,死に対しても,問題が生じたところで,対症的に対処すればよい。すべてのことがらについて,結果がよければ喜び,気に入らなければ嘆き叫ぶ,それですべてで,生死に限らず,余計なことは考える必要はない。その場その場で,自分の利益を考えながらやって行けばよい。」

 こういうことです。こういった立場に立った上で,将来に対して,(過剰に)悲観的ならば,それはニヒリズムになり,将来に対して(空疎に)楽観的であれば,それはいわゆるヤンキーと呼ばれる層が体現している思考方式になります。

 

生き死になんかどうでもよいではないか,こう言われれば,これは強い立場で,上に述べた,か細い物語などは,吹っ飛んでしまいます。私なども,生とか死などといろいろ考えることなど(無意味なことは)止めて,要するに,それぞれの好みに応じて,例えば,「飲んだくれて,路上で死んでいけば」,それはそれで愉快かも知れないと思います。道徳的には,個人としては,みっともなくとも,だからと言ってそれが何だ,究極的には何の差支えもないのだ,と言われれば,その通りと心から考えます。それについては,最近,『独居老人スタイル』(都築響一著,筑摩書房)という本を読んで,さらに確信しました。

 

にもかかわらず,上記のような物語を考え,死を必要条件としたうえでの生を考えようというのは,そのことによって,また,新しい生が見いだせるのではないかということからです。あるいは,生きている以上は,始末をつけて,生きていかなくては,ということなのです。

 

この問題については,私自身,昨年6月以来,「老人学その1」に続いて,原稿として取り組んできました。もちろん問題は簡単ではなく,いまだ,納得しない部分もあるのですが,日にちが経ちましたので,とりあえず,試論として,いささか挑発的に,未定稿ではありますが,提示してみました。以上,その限界内のものです。

 

『楢山節考』における「おりん」の心意気の,哲学ヴァージョンと思ってもらったら,面白いかもしれません。老人になるとは,お山に行くということなのです。

 

 

 

 

2013年

9月

09日

真の意味での責任と自由 ― 今日の日本社会の根本問題 ―

 

今年で敗戦後68年になります。それに関連して,今日の我々の社会のあり方について,いろいろな議論がなされます。最近話題の,ともに若い世代の論客の書いた,2つの本を読みました。

  白井 聡 『永続敗戦論』 太田出版 2013.3.

  適菜 収 『日本を救うC層の研究』 2013.7. 

(あるいは「週刊新潮 22号(815日号)」)

 

 前者は,時間軸にそって,つまり,歴史分析によって,後者は,平面軸にそって,現状分析によって,今日の日本の基本構造を示そうとするものですが,この2つに示されている論理を合わせることによって,そして,それに,私の解釈(後者については多少の改変)を若干加えて,かなりうまく,日本の現状を説明できるのではないかと思うのです。そのことについて以下述べてみます。

 

 『永続敗戦論』要旨は次の通りです。(ただし,私の解釈も入っています)

 

 1945年,大日本帝国は,連合軍に,敗れた。それは総力戦において敗れたのであるという(総力戦とは,対等な国同士の戦いではなく,正義の国からする,道徳的に犯罪者とされた国への正義の戦いである)。こういった場合,この戦いは,道徳的な,あるいは,原理的な戦だから,敗れた側は,主権も,国体もすべて失い,過去を清算して,無に帰するわけである。しかし,45年敗戦後,日本は,現実としては負けた状況にあったけれど(本当は負けたのだけれど),そのようには進んでこなかった(そうしなかった)。国体は護持され,その後の経済的発展により,アジア諸国への優位は,戦前と違った形ではあるが,維持され,民主主義という近代化もなされ,むしろ旧道徳に縛られた戦前よりも,快適な生活が成立したのだった。

 

 無に帰すことなく,過去を清算しないで,そういうことが可能であるについては,そこにトリックがあったのである。つまり,敗戦後すぐに,日本は,連合国の(現実としてはアメリカの)従属下に入り,アメリカの言うことをきくことによって,アメリカの傘下に入ることによって,すなわち,アメリカの一部分になることによって,アメリカと同等の立場,(戦勝国とは言わないまでも)少なくとも敗戦国ではないという立場をとり得たのである。

 

言いなおせば,敗戦国になることによって(アメリカの部分になることによって)戦勝国になる(アメリカの一部になる,少なくとも敗戦国にはならない)という,パラドックスが,日本には成立したのである。敗戦という状態を,敗戦処理により終了させないでいる限りでは,日本は敗戦国ではない。敗戦処理とは,戦争の責任を自覚し,国を無化し,指導者層は永遠に引くという過程である。そして,もし運がよければ,苦難と努力の末に,全く新しい原理で,社会を再興することになる。敗戦のままの状態にとどまり,敗戦を終了にさせない,こういう状況にあることを,著者は,「永続敗戦」という。アメリカの部分となることによって,アメリカと同等になる,という構造である。

 

戦後,日本は,保守(指導層)も,そして,革新(反体制派)も,ともに,このトリックを受け入れ,そういう道を選んできた。

 

本来なら,敗戦の後には,敗戦の始末が続き,国は無に帰すのである。日本国は,敗戦はしたが,アメリカの懐に入ることによって,敗戦の始末をしてこなかった(つまり,内外に向けて,戦争責任を誰も取らないまま,国は存続し続けた)。敗戦の始末をして,無に帰して,違う原理で出直すべきところを,敗戦状態を清算しない方が,都合がよかったから(実際に,民主主義,自由主義を手に入れ,経済的繁栄を得,表面的には栄えてきた),敗戦の決着をつけることなく(戦争を終了にすることなく,そのままアメリカに従属することによって),今日まで68年たった。が,その矛盾する状態は,さすがに,今日,維持できなくなってきた。国内的には,成長経済体制の破綻,3.11問題,・・・,国際的には,アメリカの相対的弱化,中国,韓国の発展などの事態の成立がその理由である。

 

 これまで,保守政権は,敗戦状態を永続的に維持すること(つまり,対米従属)を,基本方針としてやってきた。それは,敗戦処理をすることによって,いわば国体が変えられることを恐れたからでもあり,経済成長を優先するためでもあり,根本問題を論じないというメンタリティにもよってでもあった。だから,戦争責任の議論を避け,反米勢力に対して厳しく当たることになる。しかも,それは保守政治家だけではなく,今日日本人全体にわたる,一般的意識になった。(特に,保守内部における反米は,芽のうちにつぶされる,鳩山由紀夫失脚などはその証左である)。しかしながら,永続敗戦の論理はもはやもたなくなった。

 

 以上を,分かりやすく下世話に言えばこうである(この書の著者がそういっているわけではない,荻原の解釈である)。ある地方の町にNという集団があって羽振りを利かせていた。その隣接の町には,CとかKという対抗集団があったが,そちらは,当時弱体だったので,Nは,それらを脅して,傘下に入れ,縄張りを広げようとして,傍若無人にふるまった。こういったNの横暴さを危惧したのが,もっと広域を支配する大きな集団Aであり,Aは,ある時,力によって, Nをつぶしにかかり,Nは総合的には力がなかったので,結局負けた。その時Nは自分の集団(の種)がなくなるのを恐れ,何とか維持しようとして,今後は戦わないこと(丸腰になること),Aには逆らわないことを誓って,Aの傘下に入った。それによって,NにはAという後ろ盾ができ,Nは,もとの町と周辺に集団を維持し,生業も順調で, CとかKに対しては,以前と同様,(昔とは違った形で)優位さを保ち,それなりに集団は大きくなった。ところがここにきて,後ろ盾であるAの力に陰りが生じ,CKが力をつけてきて,実力でNを超える勢いになってきた。けんかに負けた後,Nは,Aに従属することによって集団を維持してきたのだが,この原理は,ここにきて,行き詰り,このままではやっていけないという現状である,今後どうするのか。

 

 もう一つ,この著から面白い議論を紹介しておきます。

 それは,政治体制について,顕教的部分と,密教的部分という区別です。

 

 戦前の日本の体制は,天皇中心の国体の護持であった。頂点は天皇にある。それは大日本帝国憲法にある通りで,これは体制に対する,顕教としての,解釈,説明である。ところが明治の元勲たちは,実際には,天皇親政を表向きにしながら,実権を持たせず,立憲君主制国家として,国を運営してきた。これが密教的部分であり,「天皇機関説」はその解明である。同様に,戦後の日本において,民主国家,不戦,経済主義は顕教的部分である。ところが,現実の政治の運営は,アメリカ従属(永続敗戦-敗戦のままでいる,敗戦処理をしない)で行われてきた。これは密教的部分である,と言う。

 

『日本を救うC層の研究』の要旨は次の通りです。

 

 2004年自民党は,郵政民営化を実現すべく,ある広告会社に「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略」という企画書を作らせたそうだ。その企画書では,国民を,2つの座標軸の組み合わせによって,A層,B層,C層,D層の4つのグループに分類して分析しようとする。

 

4つのグループとは,中学数学で習った,2つの座標軸によって,平面を4つの象限に分ける,あれをイメージすればよい。つまり,直行するXY2つの軸によって,平面は4つに分けられる。その,右上の部分をA,右下をB,左上をC,左下をDとするのである。座標軸の目盛は,Y軸は上に向かって,IQの高さを示しているとする。IQとは喩で,内容的には,与えられたことがらを,目的に応じて迅速に処理する有能さ,合理的処理,科学的処理における有能さと言ってもよい。学力的にはいわゆる巷でいう偏差値でもよい。横軸,X軸の目盛は,もともとの企画書が,小泉郵政改革のものであったから,狭くは郵政改革への支持度,もっと広くは,郵政改革の裏にある,改革,革新,革命への志向,グローバリズム,普遍主義(国家体制や道徳原理についての)など,根本的には,近代主義,経済成長主義の流れに沿った,今日の多数派の主張への支持の度合いである。その度合いは右に向かって強くなるとする。

 

 それぞれの層の特性を,具体的に言えば,

A層は,結局は,今日の多数派のとる,近代主義,経済成長主義の原理に立ち,それにそった現実的テーマを,主導して提示し,その実現に向かって,合理的に考え,行動する能力をもつ指導層である。時の多数派の主張に深くコミットし,それを実現すべく主導する勢力である。現実的に言えば,財界の勝ち組企業,大学教授,マスメディア(TV),都市部ホワイトカラーがその代表であるという。

 

B層は,大衆的層であり,A層の提示したテーマを,素早く,しかし,無批判,無自覚に取り入れて積極的に担ぐ。著者に言わせれば,「権威を嫌う一方で権威に弱い,テレビや大学教授の言葉を鵜呑みにし,踊らされ,だまされたと憤慨し,その後も永遠に騙され続ける層」となる。ただし,B層は一概に無教養とはいえず,また,B層とは低学歴というわけではない。彼らは,新聞を丁寧に読み,テレビのニュースを熱心に見る,そして,そのことによって,自分たちは理性的,合理的に判断していると思い込む。ただ問題は,彼らが選んだ結論,そして,それを根拠づける論理が,自らが考えたものではないこと,つまり,結論もそこへの筋立ても,その場の勢いで,無批判に,多く感情的に受け入れたものであることである。しかし,いったん受け入れると,排他的に支持し,ファナティックに行動する。結局,A層に踊らされることになる層である。具体的には,主婦層,若年層,シルバー層に多く見られる。

 

それに対してC層は,合理的,理性的能力は高いが,A層,B層のように,近代主義,成長主義,それによる時流のテーマにコミットすることはなく,批判的である。この場合で言えば,改革,普遍主義,グローバリズムには,否定的な層である。C層は,A層,B層が信奉する,彼らにとっては当然と言える主張に対して,原理的な観点から批判を加えようとする。それ故,現実には,少数派である。D層については,主題的には取り上げていない。

 

著者は,この分類を受け入れ,その中でのB層の役割に注目して,否定的に取り上げ,いくつかの著作と週刊誌などに記事を書いてきた。その論に従えば,具体的には,当時の小泉選挙を勝利させたのは(あるいは,著者に言わせれば,日本をダメにする危険があるのは),この,軽薄に騒ぐB層である。そして,A層の,近代主義的志向と経済成長主義,それに無批判に乗ったB層の大衆性,被扇動性(著者は愚民と言う),これが今日の日本社会に停滞をもたらし,混乱をもたらす要因であると述べる。こういう状況に対抗すべく,それらに批判的な,根本的には,反近代主義的で,反成長主義的で,(真の意味で)保守的な,そして高い知的な能力と教養を持つC層に期待する,という。

 

以上は,2つの著書の要旨のいささか恣意的な紹介で,以下は,私の見解です。

 

まず,「永続敗戦論」の主旨は,私の読み込みも含めて言えば,こうなります。日本は太平洋戦争において敗れました。しかしながら今日まで,こちらから敗戦処理をしてきませんでした。敗戦処理がなされて,決着がつけられていないから,敗戦時から,今日まで,ずっと敗戦状態にあると言えるわけです(永続敗戦)。敗戦処理とは,敗戦の後始末をつけることで,国を無化し,それまでの指導者は第一線から永遠に引くことです(これはもちろん,一人残らず自決してしまうというようなことではなく,意味的にということです)。これが,戦勝国側からでなく,こちらから,戦争責任をとるということです。ところが,今次の敗戦では,国は無化されず,そのことと連動しますが,指導層のトップである,天皇陛下は,戦後もそのまま天皇陛下でした(国体は護持された)。これが,敗戦処理がなされずに経緯したということを,最も象徴する事柄と言えます。それが意図的であったか,成り行きであったかには議論があるでしょう。また,このことは,昭和天皇個人の問題ではありません。(ややもすると,わが国では,誰か人物について,その責任問題を論じると,その人物を含んだそのことがら自体ではなく,その人物が,誠実であったとか,常に国民のために働いたとか,自己犠牲的であったとか,貧しく苦労をしてその地位についたとか,そういう個人的資質に話を持って行って,感情論に持ち込み,そこで話は終わり,ある場合は,それ以上進めるのはタブーになります,それ故,ことがいつまでも最後まで進まないのです。ここではそういうことを言おうとするのではありません)。敗戦処理が行われなかったということは,こちら側からの戦争責任がとられていないということです。(A級戦犯の処罰は,こちら側の問題ではなく,相手方のことがらで,B,C級戦犯は,これは責任の問題ではなく,戦争の犠牲者です)。

 

要するに,今次大戦で,我々は,負けたのに,敗戦処理をしてこなかった。ことがらの後始末をしないで,ただ経緯にまかせること,これを無責任と言います。犬の糞をそのままにして散歩を続けるなどもそれです。永続敗戦とは,言い換えれば,敗戦時に,日本は責任を示してこなかった(敗戦処理をしなかった),無責任に今日まできた,ということです。この無責任は,アメリカへの従属という形で,戦後の日本にとっては,都合のよいことだったのですが,さすがに,今になって,国際状況の変化とともに,ほころびが生じてきました。またそのことの負の影響が出てきました。

 

しかし,それもさることながら,私はこの無責任体制に由来する,もう一つの,日本社会の,倫理的破たんを言いたいのです。それは,それ以後,日本人全部が,日本全体が,無責任を容認するようになってしまったことです。責任をとるというようなことが,本質的意味では,行われなくなってしまいました。責任をとるとは,ことがらを起こした組織を無化し,指導者は一線を永久に退くことです。例えば,今日,ある団体なり,企業が,何か不祥事を起こす,その責任の取り方は,幹部が並んで頭を下げて謝る,(これはいわば敗戦です)。でもことはそこまでで,その後は,その団体も,その幹部も,そのまま残存し,しばらくして,ほとぼりが冷めた以後,その団体,企業,担当責任者は復活し,再び繁栄する。永続敗戦と同じ構造です。責任とは,その団体はなくなり,幹部はいなくなることでなければなりません

 

どうしてこういう無責任さが一般化したのか。それは,今次の敗戦において,敗戦処理がなされなかった,戦争責任がとられなかったことに由来します。一旦そのことを見せられた上は,敗戦という国家の大事においてそうならば,巷の些事においておやということになります。これは日本人社会について,倫理的な大きな損失です。責任を意識することなく,ことがらを行える,やって失敗しても,責任は問われず,過去は捨ててリセットできる,となれば,ことがらは軽くなります。ことがらに歴史の重みが欠けてしまうのです。歴史は,無味乾燥な時の流れではなく,消えることのない悔恨とともに,責任をとることにおいて意識されるものです。

 

今日の日本の無責任体質の出発点は,敗戦時にあり,68年の積み重ねの上に,定着してきたものです。もっとわかりやすく言えば,今次戦争で負けても,天皇制も天皇陛下も存続し続けてきたのだから,(無責任),一番上がそうならば,我々,下端の行動も,その構造に従ってよいだろうということです。それ以後,天皇陛下が,国民にとって,(無意識的にではありますが)無責任の象徴になってしまった(あるいは,怖れ多くも,そうしてしまった)わけです。もとより,ここで,昭和天皇個人をどうこう言っているのではありません。

 

今日の日本人の責任論については,もう一つ別な視点から,言うことがあります。確かに,上に述べたように,戦後,我々は,責任意識において希薄になってきました。しかしながら,それは,自分が責任をとることにおいて,極めて希薄になったのであって,その反面,他人の取るべき責任については,逆にシビヤーだという現実があります。他人のミスについては,どんな些細なことでも責任をとるように追求する。どうでもよいようなことにまで,責任と言われる。そういう事態はあちこちで認められます。でも,間違いとかミスは人間である以上,社会生活上,しばしばあることで,これは責任の対象ではないのです。そこまでやられると,委縮してしまって何もできない。責任は,意図してやられたこと,自覚してやられたことに対して,生じるというか,そこに前提として事前にあるものです。そして,それは,他者からいわれるよりも,自己の内から生じる倫理感なのです。根本に対して甘く,枝葉に対して厳しく,その辺が,逆になっている。

 

どうして,このように,責任の追及が,自己については,甘く,他者に対しては厳しくなったのでしょうか。精神分析的言い方をすれば,自己責任を取らないことに対するコンプレックスが,他者の責任に対する厳しさに出てくる,これも間違いではないかもしれません。自己については寛容なくせに,他者に対しては寛容でなくなったというような,個人主義,利己主義に由来するものもあるかも知れません。それに合わせて,こういうこともあるのではないでしょうか。つまり,日本人は(戦後政治において主流であった保守層は),永続敗戦状態を維持することによって,民主主義と,経済的繁栄を得たが,ことがらにおける責任意識を失っていった。一方,保守支配の対抗勢力としての革新陣営も,最初はともかく,結局は,敗戦の後始末をせずに(これは結構リスクを伴う作業ですから),敗戦状態に止まることによって(結局,アメリカを排除できなかったことによって),結果的には,民主主義と新憲法を安直に得ることができました。そこから,民主主義と新憲法を重視せざるを得ないことに基づく,過度の権利意識と,それを妨げるものに対する,これも行き過ぎた他罰主義(責任追及)が生じたのです(民主主義と新憲法を,孫をかわいがるように大事にし過ぎた,孫がちょっと怪我でもしようものなら,大騒ぎになるのです)。本当に敗戦処理がなされていたら,国は無化され,経済発展も,民主主義も,新憲法も,諸権利も,このように簡単には手に入らなかったかも知れません。安直に手にするために敗戦処理をして来なかった。ですから,(一方での無責任の横行とともに,)過度の権利意識と他罰主義(責任追及)は,永続敗戦状態の確認でもあるのです。意識下の構造はそういうことではないでしょうか。このことは我々にとって,メリットもありましたが,ここにきて,弊害も生じているということです。

 

つまり,今日の社会の問題の一番は,行為において責任を意識しなくなったこと(行為に芯がなくなった),無責任社会の成立です(植木等のいうそれより重篤です)。その淵源は敗戦処理をしないで来てしまったこと(永続敗戦状態)にあります。そのことのつけが,現今の社会の劣化として(特に倫理的劣化として)現れているということです。

これを立て直すには,敗戦時まで戻って,再出発しなければならないのかもしれません。

 

次に,適菜氏の4層分類の議論については,横軸の内容をちょっと変えて,私流に4つの層を改変して議論してみたいのです。

Y軸をIQの程度によって目盛ることについては適切と思います。目的が与えられた時,その目的を効率よく,達成すべく,働く能力です。論理的能力,合理的処理能力,数理的能力,情報の量,情報を集める能力,記憶力,そして,集中力なども,ここに入るでしょう。目的に合わせて,情報を収集し,材料を集め,有効に処理する,そういう能力です。こういった能力の高い人が,受験などでは有能ですから,学力偏差値などはこの軸のものでしょう。世に,頭がよいという,その序列を表す軸です。

 

ただ,人間の頭の良さには,もう一つの指標があるように思うのです。IQ,・・・は,目的が定まった後の対応能力です。それに対して,その前に,どのような目的を設定するか,どの目的を選ぶか,というのも,知能,広く,智慧に関係します。目的はいろいろにあり得ます。また,いろいろに設定できます。そこに働く智慧です。また,もう一つ,対象世界を,どういう見方のもとに見るか,どういう思考の枠組みのもとにとらえるか,ということもあります。どういう立場に立つかによって,世界のあり方も,生活の仕方も,違ってくるのです。見方,枠組みもいろいろ有り得て,いろいろに設定できます。その際の能力,智慧です。IQ,・・・は,あくまでも,目的が定まったうえでの,特定の見方が設定されたうえでの,効率性実現の能力です。一方,目的の設定も,枠組みの設定も,生きることにおいて,我々が意識しなければならない,大切なことがらです。それは,IQ,・・・とは区別された,総合的な能力であり,おそらく,無から形を作り出す想像力(イマジネーション),その底にあるさらに高い目的に導かれた道筋とでもいうべきもの(志)に関連するでしょう。こういった能力,あるいは,センスと言ったらよいのかもしれませんが,その度合を,新たに横軸に取り,縦軸と組み合わせてみようというのです。横軸を何と名づけたらよいか,智慧,想像力,志,倫理性,そういったものの度合いです。

 

しかし,これでもあいまいですから,もう少し具体的に言うと,我々が生きているについて,決まった枠にがんじがらめにとらわれて生きている人がいます。それしかない,それが真理だと思って,その枠内で,行動する人々です。枠が決められた上では,IQ的能力が,有効に(迷いなく,早く),発揮されます。これが,世間的には,頭のよい人となります。受験勉強に成功した人,あるいは,優秀な官僚などは,少なくとも,このタイプでしょう。成果は確実だし,頭の回転は速い,目的や,枠組みが,最初から決まっていれば,その点での躊躇がないから,こうなります。

 

しかしながら,人間の生活は,何を目的に生きるかによって違ってきますし,どんな枠組みを受け入れて世界を捉えるかによっても,違ってきます。そして,人間の,能力,智慧は,その点においても,大いに働きます。そこで,その点に着目して,目的や枠を固定して考える人々を右に,目的や枠の選択に自由度があるとする人々を左にして,横軸を考えます。右によるほど固定的で,自由度が少ない,左に行くほど,自由度が高く,創造的である,こう振ります。もっと,突っ込んでいえば,この世界は,本来,不分明で,混沌としてあり,その不分明や混沌の中に,我々は,生きる目的や,それを認識する枠組みを,作り上げて,あるいは,選択して生きていくのだと考える人(そういった考え方のもとに,根源的には,自由と言うものは成立します)は左,世界は固定的で,真理は動かしがたく,それは絶対だと考える人は右,ということになります。

 

言いなおせば,A層,B層の人は,世界は一つ,真実は一つと考え,その世界や,真実の内容を,何らかの方法で手に入れている,あるいは,手に入れることができるとしているわけです。何らかの方法とは,一般的には,合理性によってであったり,科学であったり,常識であったり,場合によっては,何の根拠もなく信じ込まされて(洗脳,教育)であってもかまいません。とにかく,そこでは,世界は固定されたものとして捉えられます。これに対して,軸の左側の住人,C層,D層の人たちは,世界は本来,不分明であり,混沌であり,根拠とか最終的よりどころはどこにも存在せず,その不分明,混沌の世界を,我々は,自由に,書き割って(分節化すると言います)生きていくのだ,そうして見えてきたものがこの現実の世界である,とします。そのようにして成立した世界は,我々が分節化したものですから,もとからある,固定化されたものとしての,真理ではなく,真理に対して,身分としては仮設と呼ばれるようなものになります。彼らにとっては,世界は仮設なのです。ですから,近代主義や,グローバリズムや,普遍主義,成長主義(改革,革新)というようなものが言われても,それらを唯一の真実,唯一の世界のあり方,真理であるとはせずに,書割(分節)の仕方の一つであり,仮設である,もとは混沌,不分明だとしますから, A層,B層のように,それに強くコミットしないし,それに対しては,批判的になるわけです。以上に従って,横軸は,左方向により自由,右方向に固定的ということにします。

 

 確かに,現実に世の中を牛耳っているのは,A層,B層です。それが多数派です。我々の多くもそこにいます。そこには,全員がそうと思い込んでいる一つの世界があるだけで,人々のすべきことは,その世界の中で,それに合わせて効率よく生きることです。(ですから,CDは異端で,通常はあり得ないことで,間違いとしてあるだけで,だから,横軸は不要で,軸は効率性を追求する,狭義の頭の良さを示す,縦軸だけでよいとなります。)

 

 しかしながら,そのA,Bの世界にも,これは私たちが現実に生活している世界ですから,承知のように,様々な問題が生じます。そしてその問題の一部は,その世界の中の原理で,その世界の内部で,解き得る種類の問題です。日々直面する,生活上の多くの問題は,そういった種類のものです。しかし,問題の中には,なぜ近代主義なのか,なぜグローバリズムでなければならないのかというような,原理に触れる問題もあります。こういった問題は,その世界の中で解こうとすると,出発点である前提に当たりますから,理詰めだけで,客観的には解けないで,最後は,お前は,疑うのか,裏切るのか,信念が足りないというような,水掛け論になって,その結果の最悪の場合が,戦争であったり,倫理的,宗教的な根深い対立であったりします。

 

 こういった後者のような状態から抜け出るには,その世界を外から見ることが必要で,そのための横軸の導入です。世界のあり方は,いろいろである,要は,選択の問題,創造性の問題であって,唯一の真実と言うものがあって,それをめぐる喧嘩の問題ではないとして,CD層の立場に立つことです。ここでは,唯一の真理という考え方は否定されていますから,世界のあり方は,複数であって,どれが正しいかではなくて,相互に独立,対等ですから,したがって,喧嘩にはなりません。もし双方ぶつかったら,暫定的にどれかを選ぶまでです。政治的場面でいえば,それが,議会主義ということで,ことは喧嘩ではありませんから,材料は隠さずにすべて出して,双方の理屈の構成も,手の内すべて示して,最後は全員で暫定的に決めればよいのです。AB層でも議会主義はありますが,そこでの議会は喧嘩の手段ですから,材料は隠すし,手の内は明らかにしない,騙しあうことによって(これを議論と言います),最後はB層を動員して,多数派工作をするのです。

 

 適菜氏は,私とは,横軸の意味づけが違いますから,C層,D層と言っても同じものを指しているとはいえませんが,彼は自分の言うC層を,上質の保守勢力として,評価しています。私はC層よりも,D層に注目します。D層とは,横軸の左側ですから,D層にとって,世界は,不分明で,混沌,世界はあるがその中身は分からないとなります。裏からいえば,A層,B層の特性である,真理は一つであるという(否定的に言えば,独りよがりの,洗脳された,ヤンキーふうの,肯定的に言えば,科学,真理を根拠とするとされる)囚われから抜け出て,自由の世界に生きているということです。ただ,D層の人間は,縦軸の下方ですから,頭が悪い(気が利かない,効率的でない,ぼんやりしている)。志は秘めているが,ぼんやりしている,そういう層です。AB層からは,バカにされ,差別されるような層です。喩えて言えば,あの「寒山拾得」のような,賢治の「みんなにデクノボーと呼ばれ,褒められもせず,苦にもされず」のような,イワンのバカの国の住人のような(イワンの国では,手に豆のない人は,つまり身体で働かない人は夕食にありつけません),もっと高級ふうに言えば,良寛のような,西行のような,あるいは,山下清のような,そういう人たちの世界です。

 

D層の世界の住人達は,自分の手に負える範囲で生活しているというのが特徴です。責任の負える範囲で生きているということです。そして,これしかないという思い込みはもちません。ですから,すべてから自由です。責任と自由,A,Bの世界では絶滅に向かいつつある概念ですが, Dの世界ではこの二つは根本的意味において,成就されます。世界の人々が,皆,D層になって,D層人間として生活するようになれば,よいのです。

 

今日の社会は,つまり,AB層ですが,根本にこの問題を抱えていて,行き詰まっている,と言うのが,紹介した二つの著書の(私がいささか深読みした)論点だったと思います。その解決には,横軸を導入して,左側に渡ること,縦軸の上部を絶対視しないで,下部を尊重すること,つまり,AからDへの,いわばパラダイム変換が,必要なのです。

 

 昨日は,2020年のオリンピックの東京開催が決まりました。これは,典型的な,A,B世界の話題です。案の定,決定を受けて,A層はにんまりし,B層の一部は,早朝から,新宿,渋谷に結集して,はしゃぎました。メディアのバックアップも始まりました。開催にこぎつけるまで, A層は,A層の特性として,有能に,周到に準備してきました(様々な手口を使いました)。これはA層の得意とするところです。これからは,B層の取り込みが,マーケティング手法によって,始まります。A,Bの世界は,自転車の走行のように,最悪の場合は戦争も含めて,常に漕いでいないと(動いていないと)倒れる世界です。A,Bの世界の欠陥は,本質的に,今自分のしていることが何だということを知らず,あるいは,そのことに対する意識と,探求(反省)精神に欠けたまま,ただ,動いていることです。そのことから抜け出そうとするなら,パラダイムを変換しなければなりません。

 

2013年

8月

11日

近代主義批判,脱成長,共同体,福祉社会

 

前に,「貨幣,金融」,「市場,マーケッティング」について,いささか反抗的に書きました。

 

1)貨幣は,(実体である)物品やサービスの,交換の道具,手段として,つまり,(実体的)対象に対して二番目のものとして用いられているうちは正常だが,やがて,それを超えて,実体の裏付けのない,架空のものまで交換の対象(すなわち,商品)にし,そして,二番手だった貨幣的価値が,逆に,商品,サービスを支配するようになり,つじつまだけ合えばよいという,仮想の世界を作り出す。

2)市場が,実体に裏付けされた,現に存在する商品やサービスの交換の場所として,商品,サービスに対して,二番目のものとして成立しているうちはよいのだが,その関係が逆転,市場の方が先行し,それにつじつまを合わせて,商品,サービスが仮想され,そして,さらに,仮想が実体化されるようになる。

このように,貨幣も市場も,現実を,実体を反映している範囲にあればよいのですが,どうしても,自らの論理により,それを超えて,つじつまだけ成り立てばよいという,仮想の領域,非実体の世界を作ることに,突き進んでしまうのです。そして,さらに,本来仮想だったものを実体化してしまうわけです。そこに我々の普通の生活(なんといってもそれが実体の根拠なのです)と,実体を超えた仮想の領域の間の,不具合が生じます。

 

しかしそれでは,実体とは何でしょうか。一概には決まりません。むしろ,実体を何にするかは,その人の生き方を表明するものだといってよいでしょう。ここで議論している経済領域についっても,いわゆる複雑な金融商品まで実体とする立場もあり,ネット上に成立しているネット市場も実体とする人もいます。その際の必要条件は,つじつまが合うということでしょう。また,人によっては,つじつまが合わなくても,脅しや,詐欺による,物品の交換も,世の中に現実にある事柄として,実体だとするかもしれません。私のここでの立場は,実体概念を狭く捉え,具体的な日々の人間生活に強くつながり,それぞれが実感を持って感じられるような事柄,あるいは,それに基づくような事柄を実体とよび,貨幣も市場も,そういった実体に関わる範囲のものでなければならないというものです(あるいは逆に,そういうふうに人間生活を定義するのです)。脅しや詐欺は,人間の普通の生活に本来的なものではありません。金融商品や,ネット市場は,確かに現実に存在しますが,複雑なお膳立てのうえにガラス細工のように成り立つ,作られたものです。はたして実体と言えるのかどうか,実態の強さ,確実さを持っているかどうか。

 

何が実体で,何が仮想かは,事前に,決まっているものではなく,区分けの,線引きの問題です。そして,どの線引きを受け入れるかによって,事柄のあり方,人々の生き方が決まるのです。わたしは,上に述べたように,現実の生活に基づいた,我々の実感に結びつく事柄を実体と呼び,人間も,社会も,その上に組み立てるのがよいと思うのです。

 

貨幣も市場も,生活上の便利な道具ですが,今日現実に生じている混乱,不具合をさけるためには,実体性の裏付けを超えない範囲で使うという,線引きが必要なのです。金で金を買うとか,売れることを根拠に必要のない商品,有害な商品を認めるという弊害は,その線引きの妥当性から生じます。人間生活のなかで,経済活動とは,物を作り,それを使う(消費する)ことの全体ですが,その過程に,今日は,貨幣と市場が(金融の論理,マーケティング思考が)深く関わり,本来道具であった貨幣と市場が逆に主役になってしまっている,言いなおせば,生活という実体が,拡張された,貨幣,市場という仮想にのみ込まれてしまっている,ここに,生活と経済の不具合が成立するわけです。

 

 そういった生じたこの世界の不具合に対面して,大きく,3つの立場があり得ます。

 

第一は,不具合の存在を全く認めずに,金融と市場主義を,際限なく推し進めようという自由主義。

第二は,不具合に気づき,不具合に対処しようという立場。これに,二つあります。一つは,規制によって不具合を直そうという立場。何らかのやり方で金融と市場の働きに制限を設け,そこを超えさせないようにする,究極的には,国家権力による規制になりますが,罰則を伴って,現実的な手法といえます。

 

もう一つは,貨幣の機能や,市場のあり方に,倫理を導入するものです。倫理の導入とは,人間の本性に基づいて,あるいは,社会の秩序維持を必然とすることによって,線引きを超えないように期待するという立場です。これについては,昨今,企業倫理などいわれますが,しかし実際にはなかなか難しい。倫理はまさに,Sanction(制裁,処罰)の外にその根拠を求めるものですが,Sanction伴わないと,現実生活では,ことがらの統制は難しいのです。

 

要するに,不具合,混乱を改める方法が,貨幣と市場の機能を,物品(商品,サービス)交換のための道具の範囲に戻すこと(そうすれば,貨幣と市場がつくる仮想的な商品というようなものは成立しません)にあるとしたとき,そのために,規制による,倫理によるという二つの道が考えられるわけです。しかしながら,規制とか倫理によるやり方は,貨幣や,市場の存在を認めたうえで,つまり,経済の世界を認めて,その内部に線引きをし,線引きの内と外を区別し,外を捨てることです。経済を認めたうえで,その中で,不都合な部分をはぶこうとすることになります。一般に,このやり方は,問題を内部問題として処理しようとするやり方だと言われます。このやり方での解決は,この世界はこのままずっとあり続ける,ただその内部の,機能,構造を変えるということになります。これは,世界は実在する,ただし,その構造と解釈には,多少の変更はありうるという,基本的には実在論です。また,一般的には,多方面に関して,多くの人の考えるところです。

 

 しかしながら, 第三の道があります。それは,現行の世界そのものを変えてしまう。経済,あるいは,経済活動というものに対して言えば,経済に対する見方,あるいは,経済というもの,経済観をそっくり変えてしまうことです。もっと,厳密に言えば,見方を変えれば,それ以前の見方のもとにあった世界はなくなってしまうわけですから,これは,現行の世界を否定することです。ある事柄に対して見方を変える(これを,パラダイムの変換と言います),それによって,それ以前の世界を否定する,あるいはもっと徹底的には,それによって,世界が変わる(世界を変える)ということです。

 

今日我々が経済と呼ぶ現象,活動は,歴史のある時点以後成立したものです。その成立以来,今日までの展開に対して,ある解釈を施して,整理したものが,今日,我々のもっている経済観です。これは,絶対ではなく,一つの見方です。その,(それを通さなければものも見えてこないという),一種のフィルターなのです。この「見方+α」のことを,今日は,パラダイムと言うわけです。パラダイムという言い方で,一番大事なことは,パラダイムとは分かりやすくは,事柄に対する見方のことですが,それは同時に,事柄自体のあり方のことでもあり,パラダイムが変換されたことは,世界自体が変わることなのです。

 

第三の道とは,経済現象に対する,パラダイムを変換して,経済を捉えよう,それによって,これまでと違った新しい世界をそこに見ようということです。そもそも,私たちが今日経済として捉えられているものは,何を経済現象とするかを含めて,近代の見方,近代のパラダイムに基づいて成立しているある種の事柄に過ぎません。パラダイムを変換することで,近代の成立以来,経済と呼ばれてきた事柄をご破算にして,新しい世界に入ろうということです。分かりやすく,極端に言えば,それは経済から離脱し,これまでの経済活動を破棄するということです。(こういうやり方での革命なのです)。

 

破壊するといっても,通常の物の売り買い,交換価値を貨幣の形で保存するといった,実体を伴った通常の貨幣の役割,そして,そういう事柄の成り立つ場の設定(市場の設定)は,人間生活の便宜として,否定する必要はありません(その範囲では不具合は成立しませんから)。ですから,そういった部分は残しながら,非実体的な機能が否定されている,そういったものとして世界を捉えることにする,それはいわばパラダイム変換によってなされます。それが第三の道です。

 

要するに,今日求められているのは,経済の中の改革ではなく,経済自体のパラダイム変換(経済の破棄)が必要ということであります。

それについて,このところ読んだ本を3つ紹介しておきましょう。その方向性が分かります。

 

l  セルジュ・ラテゥーシュ著,中野佳裕訳,『脱成長は世界を変えられるか』(作品社,2013)

要点は次の通りです。

 

 「すべてのものを際限なく増大させることはよいことであり,また,可能だ」,という発展主義の思い込みが,一般の経済現象の理解にも,経済学にも,信仰の如くあり,それが経済については,経済成長優先主義(経済成長モデルと呼ぶ)を成立させてきました。このモデルに従って近代の経済は解釈されてきました。ラテゥーシュはそれを「成長信仰」とよびます。

 

経済成長優先主義のもたらした内容は,

  1. 生産力至上主義 (生産過剰にいたる)
  2. 過剰消費とグローバル化した消費社会の成立
  3. 技術進歩への信仰 (科学というカルト)
  4. 経済成長は正常で必然的であり際限なく続くものだという,経済成長優先主義と際限なき経済発展という宗教(信仰)に基づく経済システムへの我々の依存
  5. 宣伝,クレジット,製品の旧式化というマーケティングの技法(マーケティングの成立は,1950年以降)

 

このような成長主義の発展の結果として,環境が経済を支え切れなくなり,カタストロフ(人類の滅亡)が,遅かれ早かれ,到来します。ローマクラブの3回にわたる報告書(第1回は『成長の限界』,1972)によれば,

  1. 資源の危機を根拠に,文明の崩壊を2030に設定しています。(第一報告書)
  2. 環境汚染を根拠に 2040に設定 (第二報告書)
  3. 食糧危機を根拠に 2070に設定 (第三報告書)

 

これに対して, 持続可能な発展ということがよく言われます。

「経済的に効率的で,生態学的に持続可能で,社会的に公平で,民主主義に基づき,地政学的に容認可能で,文化的に多様な」,いわゆる,「持続可能な発展」という概念です。しかし,これは,ラテューシュによれば,経済成長モデルの内部の話であり,発展理論の「手直し」に過ぎないことになります。たとえて言えば,これは,社会メカニズムの変革でなく,傷口の包帯を変えるだけだというのです。我々の言い方でいえば,内部問題としてということになります。

 

問題は,手直しではなく,経済自体からの脱出です。経済から抜け出す。すなわち,すべてのものを際限なく増大させることはよいことだというという成長信仰からの脱出(パラダイムの変換)がラテゥーシュの主張になります。

 

その具体的内容は,以下のように示されますが,これはいわば反経済と言ってよいかもしれません。成長を信じるという生き方(生活),すなわち,経済生活を変えることなのです。

 

  1. 簡素な生活(慎みと配慮,ディーセントな社会)
  2. 自主的な選択(自律)
  3. 欲求の内発的抑制(利己心,権力欲,所有欲に支配されない自由な批判の道)
  4. 労働,土地,貨幣という擬制的商品を社会関係の中に再び包括させること
  5. 地域との結びつきの回復(母なる大地との結びつき)
  6. 経済という信仰を放棄(消費という儀式,貨幣というカルトを断念)(無神論)

 

その上で,本書には,いくつかのそういった社会の実例が分析されて示されます。

 

l  広井良典著,『創造的福祉社会―成長後の社会構想と人間・地域・価値』 (ちくま新書 2011)

著者は,人類の誕生来,20万年にわたる人類史を俯瞰した時,そこには生産規模の増大,人口増に示される3つの成長の時期があり,それぞれの成長期の後に,今度は生産規模や人口増が横ばいになる,定常状態の時期が続くと言います。定常期とは,成長期の物質的生産の量的拡大に対して,質的文化的発展への内容の定着期であり,いわば文化創造の時代と言えます。しかも,それぞれの定常期の始まりの時期に,新しい文化的価値が一気に形成されます。

 

 発展期,定常期の内容は,次の3つです。

 

  1. 人類誕生(20万年前)から約5万年前まで(狩猟,採集社会)。そして,それに続く定常期,その始まりを「心のビッグバン」と呼ぶ。
  2. 農業開始(1万年前)からBC8~4世紀まで(農耕社会)。そして,それに続く定常期,その始まりを,「枢軸時代」「精神革命」と呼ぶ。
  3. 17世紀から今日(産業化社会)。そして,それに続く定常期,それが,内容はいまだ固まらないが,今日はじまりつつある。

 

心のビッグバン(文化のビッグバン,意識のビッグバン)とは,人類に意識というものが成立した(もっと詳しくは,反省的意識,意識に対する意識の成立である)。その具体的現われが,今から5万年前の,突然現れた加工された装飾品,絵画,彫刻のような芸術品などの成立である。

 

枢軸時代(ヤスパースの呼称),精神革命(伊藤俊太郎の呼称)とは,紀元前5世紀前後に,仏教,ギリシャの哲学,儒教,老荘思想,ユダヤ宗教が,相次いで,離れた地域で成立したことである。それらは,みな,個々の人間を超えて,普遍的な原理を志向するものである。

 

まさに,現代は,産業化による成長が頭打ちになり,第三の定常期が始まろうとしているところである。そこに,どのような,新しい文化,原理が成立するかは,まさに今日の問題である。

 

こういった俯瞰の上で,著者は,限りない生産力の拡大,経済成長の追求という第三番目の時代の後に,実現されるべき社会のありようとして,「創造的福祉社会」「創造的定常経済システム」と呼ぶものを提唱します。創造と福祉,創造と定常経済は,あるいは矛盾するように思われるかもしれませんが,ここで,著者が創造性というのは,「人々の創造性が真に開花し実現されていく社会(福祉社会,定常社会)」という意味での創造性ということになります。

 

著者はこの本で,社会システム,特に社会保障の在り方については,具体的な議論を展開していますが,私が捉えた範囲での,著者が目指す社会について,大きな流れを,箇条書きに取り上げておきましょう。

 

  1. 成長の追求に対して定常化。定常期とは文化的創造の時代である。義務としての経済成長からの解放
  2. 成長主義の経済の中では,進んでいる,遅れているという時間軸が優位であった。(先進国,都会)。それに対して定常期には,各地域の風土的・地理的多様性,固有の価値が再発見されていく。(時間に対して空間が,歴史に対して地理が優位になる社会)。ローカルが大きなテーマになる。
  3. 人間関係の重視,人間にとってコミュニティ(他者との関係性ないし社会)とは何か。特に,個人と個人がつながるような都市型コミュニティをいかに作るか。それには関係性とは何かを考え直さなければならない。(共同体からの個人の独立という近代原理,すなわち,個人の自由という原理,への批判)
  4. 人間を自然の中で(地球環境の中で)考える。(自然からの人間の独立という近代原理,すなわち,自然の開発という手法への批判)
  5. そのうえで,個人を出発点とするが,その個人は共同体の中に成立し,共同体は自然の中に成立する,この重層性の自覚。
  6. 個人の追求からくる倫理の外部化(「私利の追求を積極的に肯定する」,「個人の自由を制約するものは原理的にはない(他人の自由,権利と抵触することを除いて)」に対して,倫理の再・内面化。その内容が上記
    5.である。
  7. 「個人あるいは人間一人ひとりがそれぞれ固有の内在性ないし潜在的な価値を持っており,それを引き出していくこと,あるいはそれが実現されるべく支援や働きかけを行っていくことが<福祉>である」という(アンソニー・ギボンズ)理解。それによって,創造的福祉社会という概念もまた理解される。

 

l  内山節著,『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』(農文協2010)

 

18世紀以後,ヨーロッパは,封建領主システム,宗教支配システムを改革し,近代化という方向に向かった。日本の場合は,遅れて,明治維新以後,その流れに乗り込むことになる。

 

その近代化とは何であるのか。次の3つが内容である。

  1. 国民国家の形成
  2. 市民社会の形成
  3. 産業主義,市場主義の成立(資本主義の形成)

 

この近代主義を進めていくことが,人類にとっての正解(真理)であるというのが,一般の流れである。それから400年たった今日でも(さすがに,様々な不具合が出てきて,その調整はなされるが),その流れはかわらないのではないか。国家正義,個人主義,経済的な拡大主義,成長主義,これらの確認,確定が,追求のテーマになり,そのことの実現が,人間にとって,真理であるということになる。これは,今日に至っても,人々のいだく共通幻想である。

 

そして,歴史上,こういった近代化の発展を妨げてきたのが,社会的には共同体の存在であり,共同体に基づく思考であった,とよく言われる。そこでは,共同体は,前近代の置き土産であり,克服されるべきものなのである(そのように,近代化論では言われてきた)。近代国家の成立も,市民革命も,産業革命も,成功したとすれば,共同体の解体,共同体的思考の清算が前提となる。旧来,共同体に対する論はそのように,近代主義を妨げるもの,反近代主義としてなされてきた(たとえば,あえて,本書と同じタイトルであるが,大塚久雄『共同体の基礎理論』)

日本において,明治以降,共同体否定の論の代表は次の3つであった。

  1. 社会主義の陣営からする批判
  2. リベラル派の批判
  3. 国家体制派の側からの批判

 

これらはすべて,近代主義という,共同幻想の枠内での議論である。社会主義は,資本というシステムは否定するが,他のやり方による,やはり生産力の拡大と豊かな消費の追求であり(ただそこでは,平等な配分という視点が強調されるが),社会主義が成功したとしても,それは,近代主義の内側のことがらである。リベラル派はそのまま近代主義であり,近代国家はその発展のためには,近代主義を必要とする。しかしながら,今日の問題は,近代主義自身の受容あるいは拒否なのである。

 

こうした,学問的な一般的共同体理解に対して,現実の日本の共同体には,独特なものがあった。日本の伝統的共同体の特異性として

自然と人間の共同体(人間だけの共同体ではなく)

  1. 生と死を統合した共同体(生きている間だけの共同体ではなく)
  2. 自然信仰,神仏と一体化した共同体
  3. 進歩より永遠の循環を大切にする共同体
  4. 合理的理解よりも,非合理的な諒解に納得する精神をともなう共同体
  5. 個人は,共同体とともに生きる個人であり,共同体は,いわば,自分たちが生きる小宇宙であるという理解

 

そう言った日本の共同体の伝統を肯定的に受け入れて,著者は,共同体について次のように積極的な主張をします。

 

  1. 共同体への,これまでのような近代主義からの批判,否定でなく,共同体をこれからの社会を見据え,未来向きに,肯定的に捉えようとする態度。
  2. 近代主義は,人間を,最終的な個体として,そしてその本性は知性あるとする,いわば,人間中心主義であるが,それに対して,人間は,関係性において成立する,本来,自然,歴史,文化との関係の中で成立するものだとする理解をとる。個体でなく関係性がすべての出発点である。
  3. 自然と人間の共同体。(個体のみの集合ではなく)
  4. 生と死の統合の中での共同体。(これによって,個人の平等感が成立,悉皆成仏と言う主張はその例である)
  5. 共同体の重層性。小さい共同体から出発し,それらの共同体が,さらに大きな共同体をなし,必要に応じて順に大きな共同体が機能していく。(最初から,何か理念に基づいて,大きな共同体が成立し,それが小さく分かれていくのではない)

 

 それに対して,近代主義は,人間は個人である,その内容は知性である,とする共同幻想に基づくものであり,知性を信じ,個人を信じることができた時代の産物であり,個人の知性が歴史を進歩させる力になるという,そういう時代は終わった。

 

現に,私たちの社会には,個人主義や知性に基づく様々な矛盾が山積みになっている。自然の破壊,バラバラになった人間たち,不安に包まれた時空,どこに行ったらよいかわからなくなった未来,とりあえずの経済主義など。

 

この課題の解決には,近代主義を残しておいて,その人間主義と知性重視に基づいて,その原理の内部で,それを改革していくのではダメで,近代主義自体を捨てて(つまりパラダイムの変換),人間は,自然,歴史,文化との関係の中で成立するものであるとの関係性の立場に立ち,人間を,個体にも,知性にも還元されない時空,すなわち,関係の場の中で,とらえることが必要である。そこにおいて,共同体も新しい,基本的な意味を持ってくる。

 

 そう言った日本の共同体の伝統を肯定的に受け入れて,著者は,共同体について次のように積極的な主張をします。

 

  1. 共同体への,これまでのような近代主義からの批判,否定でなく,共同体をこれからの社会を見据え,未来向きに,肯定的に捉えようとする態度。
  2. 近代主義は,人間を,最終的な個体として,そしてその本性は知性あるとする,いわば,人間中心主義であるが,それに対して,人間は,関係性において成立する,本来,自然,歴史,文化との関係の中で成立するものだとする理解をとる。個体でなく関係性がすべての出発点である。
  3. 自然と人間の共同体。(個体のみの集合ではなく)
  4. 生と死の統合の中での共同体。(これによって,個人の平等感が成立,悉皆成仏と言う主張はその例である)
  5. 共同体の重層性。小さい共同体から出発し,それらの共同体が,さらに大きな共同体をなし,必要に応じて順に大きな共同体が機能していく。(最初から,何か理念に基づいて,大きな共同体が成立し,それが小さく分かれていくのではない)

 

それに対して,近代主義は,人間は個人である,その内容は知性である,とする共同幻想に基づくものであり,知性を信じ,個人を信じることができた時代の産物であり,個人の知性が歴史を進歩させる力になるという,そういう時代は終わった。

 

現に,私たちの社会には,個人主義や知性に基づく様々な矛盾が山積みになっている。自然の破壊,バラバラになった人間たち,不安に包まれた時空,どこに行ったらよいかわからなくなった未来,とりあえずの経済主義など。

この課題の解決には,近代主義を残しておいて,その人間主義と知性重視に基づいて,その原理の内部で,それを改革していくのではダメで,近代主義自体を捨てて(つまりパラダイムの変換),人間は,自然,歴史,文化との関係の中で成立するものであるとの関係性の立場に立ち,人間を,個体にも,知性にも還元されない時空,すなわち,関係の場の中で,とらえることが必要である。そこにおいて,共同体も新しい,基本的な意味を持ってくる。

 

2013年

7月

15日

「第二世代の女性」論

 

 また,別の話題ですが。

 一部(右寄り)ジャーナリズムのなかで,3人の国母ということが言われるようです。もちろん,ここでの国母とは比喩的な言い方で,日本国の全体的問題にかかわり,その解決に関して,象徴的な役割をしているというような意味なのでしょう。国母とは,古典的,文字通りには,天皇の母あるいは皇后という意味です。それでは3人とは誰々でしょうか。まず,美智子皇后,次に,横田早紀江氏,次に,櫻井よし子女史です。美智子皇后は言葉の本来の意味で国母ですが,他の二人は違います。また,ここで,このお三方が,この呼び方をされることを好んでいるかどうかは別な問題で,(多分迷惑と思っているのではないかと推察しますが),この言い方を,肯定的に受け取るか,批判的に受け取るかは別にして,ただ,皇后陛下,横田夫人については,それなりに納得させるうまい言い方になっていると思うのです。

 

 以上を前置きに,私の論じたいのは,皇后陛下,横田夫人を例に,女性の世代論なのです。

 

 まず,第一に指摘したいのは,皇后陛下,横田さんとも,おかれた境遇において,実に過不足ない(そこは,過でも,不足でもダメな世界です),見事な,行動をとっているということです。状況に対して,完ぺきな適応です。私たちにとって,皇室問題も,拉致問題も,批判は許されない,タブーの領域です。ということは逆に,そこにおける当事者は,外から無言にでも批判をされることのない行動を常に心がけねばならない,その上で,さらに,その領域が発展していくように,象徴的にリーダーシップを発揮しなければならない。ちょっと外れると壊れてしまうような,ガラス細工のような微妙な世界でもあるのですが,その点で,お二方とも見事に,ことを,わざとらしくなく,極めて自然に展開させています。しかも,女性として,です。

 なぜ,こういうことが可能なのか。ここで,世代論です。私は,それは,お二方の,個人的な資質によるのではなく,お二方が日本の近代化来の女性の歴史の中で第二世代に所属することによると思うのです。

 

 では,第二世代とは何でしょうか。端的に,結論を言えば,自己というものを,今ふうの自由な自己としてではなく,自分が置かれた状況における自分の役割として確立している,そこにあります。簡単に言えば,自分が役割を選ぶのではなく,役割によって自己を確定するということです。

 

 例えば,そのことを肯定するわけではありませんが,分かりやすい喩でいえば,旧民法のもとに家族制度がありました。家の存続が第一でしたから,当時の女性は,その中に,その家の嫁として入るわけです。嫁には課せられた役割が,なかなかハードな役割が,ありました。己を捨てて,課せられた役割に従う,そして,その原則は強固に身についていて,さらに,それに適うような,能力を,幼児期から訓練によって備えていた,多かれ少なかれ,そういうことです。

 

 それでは,それは,どの世代でしょうか。境界は幅がありますが,おおむね年齢的に言うと,大正以後の生まれで,今75歳以上(せいぜい下げて70歳)の世代であろうと思います。皇后陛下は昭和8年の生まれ,横田さんは,昭和11年の生まれだそうです。しかし,今日,大正初年生まれは100歳になりますから,現実には,現在生きている75歳以上の女性ということです。でも,この下限をどこにとるか,ここは微妙で,議論の余地があります。

 

 この第二世代の特性をもっと具体的に言うとこうなります。社会の中で生きていくには,人々に与えられた役割というものがあります。社会は,その役割の総合としてあります。その際に,自己というものが最初から確立してあって,その自己が納得して己の役割を選ぶと考えるか,役割を果たすことによって自己が確立されていくと考えるか,二つの道があります。第二世代は迷いなく後者をとるということです(批判者からは,自己が確立していないなどといわれる点ですが)。ミード流に言うと社会的自我ということになります。

 

その特性を,私がこれまで接した第二世代の人々を思い浮かべながら,具体的に羅列してみます。みなさんそれぞれのイメージがあるでしょう。

l  与えられた役割を果たすことを,自己の使命とする。

l  まずは家庭内で主婦として仕事をこなす(炊事,子育て,しゅうとの世話,・・・)。

l  家の外に対して,しかるべき応対ができる。(適切な人間関係を作れる,形式的な付き合いがきちんとできる,・・・)

l  他に対する接待(ホスピタリティ)

l  それらに対する訓練を受けている

 こういったことが迷いなく身体にしみこんで,なされるのです。(そのことに,旧憲法,旧民法,したがって男女差別の問題が関与していると言ってよいでしょう。)

 

これに対して,第二世代以降今日までの女性を,第三世代と呼ぶことにしますが,第三世代は,自己から出発します。どの役割をとるかは,自己の選択の問題になります。ですから,旧世代に課せられていたもろもろのことがらは,必然性ではなく,気に入ったら,納得したらやるという選択の対象になります。そこが第二世代と第三世代の違いです。

 

例えば,第二世代は,家庭内の,炊事,育児,外との付き合いを,自分の役割として心得ていた。それゆえ,そのためのトレーニングを受けてきています。だから,身についたものとして,迷わず,それらをします。第三世代にとっては,これらは,選択科目ですから,(実際には選択の余地なくやらざるを得ないケースが多いのですが,)そこにちょっと,間がある,義務感,身近さにおいて,距離が出てきます。その距離は,第二世代と年齢が遠くなるにしたがって,だんだん開く。つまり,自分ごとではない,その事柄に対する,最終責任者とは,意識しないのです。

 

したがって,第二世代が得意としていた,家事一般(炊事,洗濯,掃除・・・),育児,近所付き合いを含めておつきあい(特に形式的な)が,第三世代ではおっくうになります。確かに,これらは,誰かがやらなければならない事柄ですが,女性がやらなければならないという根拠はどこにもないからです。

 

私がここで言いたいことは,第二世代のような行動がとれるか,第三世代的な生活をするかは,人間の資質の問題ではなく,受けてきた教育,環境,訓練の問題だということです。分かりやすく言えば,皇后陛下や横田夫人が,見事に役割をこなしているとすれば,もちろん当人の能力の高さ,そこに至るまでの経緯はあるでしょうが,もともと第二世代に属する女性が,その境遇に入ったからだと思うのです。

 

事柄として,分かりやすいという目的からのみ言いますが,皇室については,皇太子妃が,神経症を患い療養中であること,そしてその原因は多分,その立場,役割からくるストレスによるであろうこと(もとより正確なことは何も我々にはわかりませんが),これは,本人の資質ではなく,皇太子妃が,明らかに第三世代に属することからくるものなのです。第三世代の皇太子妃には,皇后のような振る舞いはできない,もし,第三世代の誰かがまねしたとしても,人工的で,ぎこちないものになります。

 

皇太子妃でなくても下々でも,第三世代は,第二世代がきわめて自然にこなしていた,外との形式的なお付き合い,敬語の使用,見知らぬ人ともきちんと話せる,炊事,育児を義務とする,それが不得手になります。(もとより,なんで,それらを女性がしなければならないのだという,権利的問題は残りますが,ここでは現象としてということです)。それは,第二世代と第三世代では,どちらが,女性として,人間として,望ましいかというような問題ではなく,教育,環境,訓練が違うのです。

こんなことを思いながら,NHKのテレビ番組「クローズアップ現代」(710日放映)を見ていましたら,この5月に66歳でヒマラヤのダウラギリで,遭難して亡くなった,女性登山家河野千鶴子さんの話をしていました。彼女は,看護師をしながら,3人の子を育て(第二世代),50歳で登山を始めて,その後8千メートル級の山をいくつも単独行で踏破(シェルパはつきます)しましたが,その動機は,女性としての役割を負わされ,そのことに不自由を感じていたこと(第三世代)にあるとのことでした。女性としてはつらつと生きる道を登山に見出したということでした。(「山に行けば,男女の線引きもなく,一人一人の瞳が輝いていた」と残されたノートに書いています)。つまり,第二世代と第三世代の境界領域,その間の板挟みということです。この第二世代から第三世代への移行に,男性中心の社会から男女平等の社会への移行が対応していて,議論は大きくなるわけです。(テレビ番組には,田部井淳子さんもいて,キャスターの国谷氏,もう一人ゲストの女性作家の3人で,その辺について,話が盛り上がっていました。)この過渡期,第二世代,第三世代の境界領域には,また,興味深い問題があります。

 

皇后,横田さんは,特別な境遇におかれた第二世代ですが,世俗の第二世代も,今次の大戦をはさんで,日本社会の中で,きわめて影響力のある,いわば,一つの文化を体得していた世代と言ってよいでしょう。しかし,第二世代は,下限を70歳と下げても,あと20年も経てば,いなくなります。いわば,絶滅危惧種です。20年たって,第三世代ばかりになったとき,世の中はどうなるか(すでにその状況は始まっています)。第二世代は,いわば選択の余地なく,炊事,育児,外との付き合い(これは要するに人間関係の保持ということです),これらを,女性として(ここがポイントです)引き受けてきたわけです。その世代が消えてしまう。その仕事はどこに行ってしまうのかということです。今日すでに,外との形式的付き合い(人間関係)は面倒なだけの,不要物として,廃棄される方向にあります。でも,炊事,育児は,誰かが,やらなければなりません。誰がやるか。一つの道は,市場にまかせて外注にだす。もう一つは ,男がやることにする(ただ男は能力的に意志的に信用できない)。あるいは,画期的な新しい社会システムを作り出す。そんなところでしょう。難しい問題です。

 

さて,ここまで,第一世代については触れてきませんでした。第一世代はすでに絶滅種です。それは,第二世代以前の女性,日本の近代化(明治維新を目安にして)来,明治の終わりまでの女性の世代と言えます。この人たちの代表は,乃木将軍の夫人の乃木静子です。彼女は,夫に殉じて死にました。また,NHKのテレビで,戊申戦争をやっていましたが,この間ひょっとのぞいたら,会津藩士の夫人連が,子供まで含めて,刺し違えて自死している場面でした。この世代は,状況によれば,夫に殉死できるのです。別の話題でいえば,夫にいわゆる妾の存在を許す世代です。これが第一世代の特性です。第二世代にそこまではできません。この感覚は,第二世代には失われたものでしょう。

 

ついでに世代批判というものがありますが,下世話に言えば,第二世代から見れば,第三世代はだらしないかもしれません。しかし,第一世代からいえば,第二世代は基本ができていないということになります。(第一世代からいえば,夫の死後のんきに生き延びるなどは,妾に騒ぎ立てるなどは,生ぬるい限りです)。もっともこれはお話で,第一世代が全員殉死したわけではありませんし,第二世代にも,気合の入っていない人はいたわけです。

 

言いたいことは,かく,世代の違いは,生き方において,根本的な違いを招くものであり,人間生活にとって,大きな影響力を持つものだということです。しかも,世代の違いは,個人の資質でもなく,人間性の問題でもなく,受けた教育,育った社会のあり方に依存します。深い理由はなく,それだけのことです。だから,良しにつけ,悪しきにつけ,恐ろしいということです。乃木夫人から最先端のAKBまで,人はどれかの世代に入って行動するわけです。(私の希望を言えば,さすがに,ヤンキーふうはゴー・ホームに願いたいのですが)

 

以上,私は,女性たるものは第二世代的であるべきだというようなことを言おうとしているのではありません。ただ,私の年齢の者として,第二世代の女性とその文化の中で育ち,生活してきましたから,この絶滅危惧種になってしまった第二世代の女性,その文化をどう評価するか,それをどのように残すのか,残さないのか,第二世代の女性の果たしてきた役割を,簡単に市場が代替できるのか,ましてや,男が代わることができるのか,気になるのです。現実的には,今後,ハイブリッドというようなややこしい形で,ごまかしながら,やっていくことになるのかもしれませんが,とすれば,第二世代がきちんと万事をこなしていた時代は,その当事者にはご迷惑だったかも知れないけれど,(男女格差の問題にある程度の折り合いがついていれば)人間的な意味では,それなりの時代だったなと思うのです。

 

 以上,女性を対象に,世代論をやりましたが,その含むところは,男性は取るに足りないということです。第二世代に対応する男子のやったことは,戦争を始めて,そして負けた,その流れを誰も止められなかった,そして今に至るも反省していない,それに尽きます。それと,男子むきの,天下国家とか,会社・企業などという,パブリックではあるが,作りものの世界に対して,日々の炊事,子育て,お付き合いというような領域は,ローカルの極みであるが,実体的な世界であり,こちらが基本だということです。それを誰が担当するかは,今後の問題として。

 

2013年

6月

26日

老人学(1)―生死ー

 

少し話題が変わりますが,このH.P.でやりたいことの一つは,おおげさに言えば,老人学の構築でした。老人とは何歳からか,私にとっては,退職した70歳からとしています。それから2年ばかり経ちますが,なかなか老人の全体像がつかめず,それでも,このごろ,多少イメージが見えてきました。少しずつ書いてみます。

 

私の家の近辺はまだ畑があります。ときどき歩きますが,今は,田植えがすんで,「揃った,出揃った,早苗が揃った」という状態にあります。水田という泥地の上に,広く,青々とした早苗,きれいなものです。そこで思ったことは,作物の生育と,それに伴う大地の役割でした。でも大地の形態はいろいろです。砂地あり,荒地あり,また,泥地あり,耕された過保護の大地(畑と言います)に育つものもあるわけです。

 

同じように,人間の一生も,その時々,それぞれの大地の上に,成立してきたものだなと思います。青春時代は,弾力ある大地に将来を思い,壮年のころには,大地に踏ん張って生活を築いてきました。それでは,老人の大地は何なのでしょうか。あぜ道を歩きながら,それは田んぼのような泥地かなと思ったのです。中に入れば,膝まで泥で,踏ん張れない。進もうとしても急げない,何をやっても,効率が悪い,失敗も多い,くたびれる,ときどき転ぶ。しかし,老人の田んぼには,本物のようにいつか泥沼が,豊饒な大地として黄金に輝くようになるというような希望はない,老人は最後,泥地に沈んで終わるから老人なのです。田んぼというのは穏やかな,きれいな,比喩です。本当は,メタンの吹き出る,汚い,底なし沼にたとえる方が,正確かもしれません。でもそれでもこれも大地だというのが救いです。

 

老人生活の詳細は追々,老人学として,取り上げるとして,まず誰でも思う老年の大問題は,「先がない」「次がない」ということです。それで終わるということです。(生と)死の問題です。これには,いまだ万人が納得する解が与えられていません。でも,解くことはできると思うのです。ただ,方法を間違えると解けない,解は方法とセットなのです。また,深刻にやりすぎてはいけない。あまり深刻に取り組むと(実体的に取り組むと),迷路に,あるいは,洞穴に入り込んでしまって,感傷的になるだけで,本題と離れます。

 

問題の中心は,生と死は全く別物だと,両者の間には超えられない断絶がある,結ぶ術はない(と思われている)ことです。曰く,死は生の否定である,生は体験的にもよく分かっているが,死については全く分からない。だから生と区別されて,死は実体としてあるが,両者は異質なものである。こういった二元論です。そこからいろいろな問題が派生します。死の不分明さ,それに由来する恐れは,この二元論から来ます。死は生に連続して必ずくるが,その際,生は分かっているが,死は分からない,ということです。こういった,死への恐れや,不分明さ(疑問)を,どう解決するか,老人の解くべき問題の一つです。

 

解決に向けての,一つの方向は,二元論から問題が派生するのならば,二元論を一元論にしてしまうことです。生と死の間の断絶を埋めて,生と死を同じものと考えることです。宗教など言われるものも,究極には,こういう話題に答えるそのやり方に,それぞれの特徴があるのでしょう。

 

それについて,下世話な,通俗な話題を,4つ提供しましょう。(ただし,下世話,通俗的という言い方は,あえて言うので,否定的な意味合いはありません。この問題の解答は,下世話,通俗でなければ,意味がないのです。ここがポイントです)。

 

その1 

ある知り合いの,もう教会生活が長い市井の主婦の方との会話です。その方曰く,「キリスト教の信仰の核心は,永遠の命ということにある。牧師さんも言っていた,このことへの確信によって,人は,死を前にして,混乱しないで過ごせる,(死の恐怖から解放される)。そこに信仰の核がある」。

 

その通りでしょう。「永遠の命」とは,人は死なないということです。あるのは生だけで,ずっと生き続けるのだから,生と死の断絶もなければ,二元論も成立しません(永遠の命という一元論です)。こういう解決です。これは正しい解決だと思います。死は住所変更だということでしょうか。

 

その2 

若いころ,親戚の法事などに行くと,法事の後の接待の席などで,一族の年頭(長老)のような人がいて,お坊さんの隣に座って,もっぱら話し相手になっていたものでした。このごろ,法事があると,その役が私などに回ってきて,まさに隔世の感ですが,それも老人現象の一端です。そんなある時,お住持さんは生死の問題について,どんな説明をするだろうかと,ちょっと水を向けたことがあります。

 

住持さん曰く,「人が生きていくというのは辛いものである。生は苦である,また,世の中,何が起こるかわからない,生は無常でもある。生きているについて,そういう実感が大事で,私なども修行中は,身体的にも辛い,精神的にも恥も外聞も捨てざるを得ない体験をして,苦と無常について深く考えてきた。死というのは,苦と無常の最たるものだが,生も同様に苦であり無常なのだから,死は特別なものではない。従容として死を受け入れるというのが覚悟である」というような要旨でした。

要するに,人間はもともと死んでいるのだから,そのことを承知していれば,死は特別なことではない。もう一度新たに死ぬということはない。かくして,ここでも生と死の二元論は成立しません。これも正しい論でしょう。

 

生と死の断絶,生と死の二元論に対して,キリスト教(永遠の生命論)は,死は存在しない,存在するのは生だけである,という一元論で対応します。一方,仏教(苦と無常の理論)は,私たちはすでに死んでいる,生は見てくれのものに過ぎない,事柄はすべて死であるとして対処します。どちらに立ってもよいのですが,このことを納得できれば,死への無知も,死への恐怖も,成立しなくなるのです。

 

私は,これらはともに,正解だと思うのです。そして,非常に強力な解だと思います。ただ,極めて,通俗な議論だとも思うのです。ただし,ここで,通俗とは否定的に言っているのではありません。なぜなら,人間は,まさに通俗の世界に生きているのであるし,最前線の牧師さんも,お坊さんも,まさに,通俗の世界と,もう一つの世界を繋ぐ,繋ぎ目,インターファイスのような位置にある人たちですから,通俗につながらない答えは無意味なのです(仏教では通俗を「方便」といいます)。だから,上の議論は,多くの人に対して説得力あるものです(ちょっと疑点は残しながら)。また,これは,キリスト教と仏教の違いの,まさに通俗的な分かりやすい説明にもなっています。

 

その3

さらに,この問題に対する,もう一つの,これもまた下世話,通俗な説があります。それは,改めて,取り立てて,生とは何か死とは何か,生死はどのような関係にあるか,など,このようなことをぐずぐず言って,何になるのか。無駄じゃないか。このような,多分,答のない,時間つぶしな,答えがわかったからといって実質的な何の役にも立たない,つまり無意味な問題(こういう問いを,悪口を込めて,形而上学的問題といいますが)は,スルーするという立場です。

もっと下世話な例を出せば,生とは何か,死とは何かなど,気取ったことをいうなよ,気障じゃないか。ぐずぐず言わずに,生はノリで,死は気合でやっていけばいいんだ。(これは,今日流行のヤンキー思考です)。

 

現実に,死の問題などは,私たちの意識がはっきりしている間の話で(意識の遊びで),死ぬ間際には,次第に意識が混濁してくる,あるいは,今後,三度目の原爆が頭上に落とされたとすれば,原発が大爆発すれば,その時は,前触れもなく,意識がなくなってしまう,そこに何も問題は生じない。そういう,唯物的な解答なのです。無意味な,形而上学的問題を避ける,それらに答えない,このことを,釈尊は「無記」とよんでいます。これも通俗的に大正解でしょう。しょうがないものはしょうがないという立場です。

 もっとも,「方便」とか「無記」について,こういう文脈で,内容はこれだけに限って解説すると,仏教教理的には,ちょっと勿体ないのですが,でもこの通俗性は正しいのです。

 

その4

岸本英夫博士は,宗教学の碩学で,皮膚がんを患い,10年間の闘病の後に,1964年に61歳で亡くなりましたが,その体験をもとに『死を見つめる心』(講談社文庫,1964)という書物を残しています。岸本博士を通俗というと怒られるかもしれませんが,極めて通俗な見解を述べています。

 

 要点は,私たちは,日常生活で,日々,いろいろな別れを体験している。死というのはこのような別れの大仕掛けのものではないか。日常的な別れの場合,まさに日常的に,いろいろ心の準備をする。大きな別れについても,日ごろから,準備をしたらどうか。死の練習,死のトレーニング(これは博士の言葉ではありませんが),を折に触れてしたらどうか。練習,トレーニング,極めて,通俗なことがらです。でも正しいと思うのです。

 

 参考に,博士の著書から引用しておきます。(上掲書p.30 「序章 別れのとき」の<死への心の準備>,<死の別れの意味>から)

 

 「人間は,長い一生の間には,長く暮らした土地,親しくなった人々と別れなければならないときが,必ず,一度や二度はあるものである。もう,一生会うことはできないと思って,別れなければならないことがある。このような「別れ」,それは,常に,深い別離の悲しみを伴っている。しかし,いよいよ別れの時が来て,心を決めて思いきって別れると,何かしら,ホッとした気持ちになることすらある。人生の,折に触れての,別れというのは,人間にとっては,そのようなものである。人間はそれに耐えていけるのである。

 死というのは,このような別れの,大仕掛けの,徹底したものではないか。死んでいく人間は,みんなに,すべてのものに,別れをつげなければならない。それは,たしかに,ひどく,悲しいことに違いない。しかし,よく考えてみると,死にのぞんでの別れは,それが,全面的であるということ以外,本来の性質は,時折,人間がそうした状況に置かれ,それに耐えてきたものと,まったく異なったものではない。それは,無の経験というような,実質的なものではないのである。

 死はそのつもりで心の準備をすれば,耐えられるのではないだろうか。ふつうの別れのときには,人間は,いろいろと準備をする。心の準備をしているから,別れの悲しみに耐えてゆかれる。もっと本格的な別れである死の場合に,かえって,人間は,あまり準備していないのではないか。それは,なるべく死なないもののように考えようとするからである。ふつうの別れでも,準備をしなければ耐えられないのに,まして,死のような大きな別れは,準備しないで耐えられるわけはない。では,思いきって準備したらどうであろうか。

 そのためには,今の生活は,また。明日も明後日もできるのだと考えずに,楽しんで芝居を見るときも,碁を打つときも,研究をするときも,仕事をするときも,ことによると,今が最後かもしれないという心かまえを,始終もっているようにすることである。そして,それが,だんだん積み重ねられてくると,心に準備ができてくるはずである。その心の準備が十分にできれば,死がやってきても,ぷっつりと,執着なく切れてゆくことができるのではないか。

 このように心の準備ということに気づいて見ると,ずいぶん,心が落ち着いてきた。死というものが,今まで,近寄りがたく,おそろしいものに考えられていたのが,絶対的な他者ではなくなってきた。むしろ,親しみ,やすいもの,それと出逢いうるものになってきたのである。」

 

「このことについて,さらに,つきつめてみると,死という別れと,ふつうの別れと,どう違うかということにゆきあたる。ふつうの別れのときは,今まで親しかった人や,その社会に分かれてゆくことはつらいけれども,また,つぎの行く手がある。その行く手のことを考えながら別れることができる。死の場合には,死後のことが分からない。あるいは,死後のことは考えまいときめた立場からすると,これは,行く手のわからない別れになる。そこに深刻さがあるのである。船が出ていく波止場の光景で考えれば,別れていくという事実はあるが,その船はどこに行くのかわからない。そういう別れだから深刻になる。しかし,死後のことはしらず,この人間生活だけが生活なのだという立場を徹底して考えると,人間の意識の中にあるものは,けっきょく,いままで,自分のやってきた人生経験だけである。われわれがしっているのはそれだけで,それ以外のことは考えられない。経験したことのない死後の世界を無理に考えようとするから,わからないで悶絶してしまう。われわれが悩みうる領域は,人間経験についての悩みのみである。

 この船出はどこへゆくのかわからない船出である。自分の心をいっぱいにしているのは,今いる人々との別れを惜しむということであり,自分の生きてきた世界に,うしろ髪をひかれるからこそ,最後まで気が違わないで死んでゆくことができるのではないか。死とはそういう別れかただ。私は,こう考えるようになったのである。」

 

「しかし別れのときという考えかたに目ざめてから,私は,死というものを,それから目をそらさないで,面と向かって眺めることが多少できるようになった。それまで,死と無といっしょに考えていたときは,自分が死んで意識がなくなれば,この世界もなくなってしまうような錯覚から,どうしても脱することができなかった。しかし,死とは,この世に別れをつげるときと考える場合は,もちろん,この世は存在する。すでに別れをつげた自分が,宇宙の霊に帰って,永遠の休息に入るだけである。私にとっては,すくなくとも,この考え方が,死に対する,大きな転機になっている。」

 

以上,老人として快適に生きるには,生と死の二元論を超えることが望まれるのですが,それにはどんな道筋がありうるか,下世話な,通俗的な,4つの見解(もう一度繰り返しますが,通俗性を批判しようというのではなく,私は通俗性にこそこの問題の本質があると言いたいのです)を紹介し,問題を,途中まで,考えてみました。ただ私は,結論は受け入れるとして,その説明の仕方に,別なものを考えるのです。それはいずれ述べます。

 

社会保険とか,年金とは別な,もう一つの老人問題を扱いました。

2013年

6月

22日

憲法とわび状

 

 日本の首相は安倍総理ですが,饒舌に発信するメッセージを聞いて,私には,合わないところが多いのです。それは,政治的信条という以前に,ものの見方,考え方なのですが。気づいたことを,少々述べます。

 

 例えば,テレビの画面で,何かの折に,指を一本立てながら,世界一を目指そうではないか,など言っていました。30番ではダメですかというのが,私の突っ込みです(2番ではダメですかといって大衆的に失脚した政治家がいましたが)。ことがらには,1番がいれば,20番も50番もいるわけです。1番がよいのなら,他はダメということになりますが,20番も50番も人間です。ことがらは全体として成り立っているのであって,そこにおける一つ一つには違いはありますが,序列はもともとありません。序列は結果に関して言える,仮設のもので,実体ではありません。しかし,序列に一極的にこだわるのが,この思考です。オリンピックでも,国際何とか大会でも,技術開発でも,そうです。序列上位をよしとする,勝った,勝ったという,こういう,競争的,序列的価値意識は,今日特に日本には無邪気に一般的ですが,単に考え方の傾向のひとつにすぎません。しかし,その根っこはどこにあるのでしょうか。日本人論として面白い問題です。

 「美しい日本」と何の疑いもなく言います。振り込め詐欺の横行,様々な小暴力の存在,いじめ(学校だけのことではありません),利己主義,他人の切り捨て,これらが美しいとは思えません。ちゃんと見えているのでしょうか。多分,自分の国は,他より優れていなければならない,だから,美しくて,全員が高い能力を持つ国であるはずだということなのでしょう。現実の観察ではなく,観念の先行です。ちょっと考えても,日本以外にも国はあって,人々はそれぞれに生活しています。日本だけが優れている根拠はありません。どの国にも良い点も弱点もあるのです。にもかかわらず,日本は,はなからアプリオリに優れているとする,こういった思い込み,これを夜郎自大と言いますが,こういう考え方の根はどこにあるのでしょうか。

 

 序列意識,誤った尊大な自己意識,こういった観念を捨てれば,平和で,もっと愉快な,別な世界が開けてくるのでしょうが。

 以上は前置きで,ここで論じたかったのは,憲法改正の問題です。総理は,日本の自立性を確保すべく(戦後レジームを否定すべく),憲法改正をしたいと言っているようです。私は,改憲は,この憲法の精神から,できないと思うのです。その理屈は次です。

 

 現行の憲法は,議会制民主主義,三権分立,議院内閣制,基本的人権の承認,旧来の身分制,家族制度の廃止,その他,日本国の,統治システムを,決めています。それに従って,戦後60年,日本国は運営されてきたわけです。それはそれでよいのですが,それに合わせて,憲法には,成立に際して,人々が共通に抱いていた精神というようなものが,その底に,あると思うのです。この憲法の精神として巷間,いろいろ言われます。民主主義だとか,戦争の放棄だとか。しかし,私はそうではなく,この憲法の精神は,それが「わび状」であったことにあるたのだろうと思うのです。そういうとらえ方が私にはぴったりくる。

 

 それでは誰に対する,何に対する「わび状」でしょうか。二方向に考えられます。

 

 第一には,日本の近代化来,日本の拡大主義の対象となった国々,そして,今次15年戦争の犠牲者,被害者に対して。つまり,対外的なわび状です。(アジア諸国が中心でしょうが)。こちらの恣意によって,相手に犠牲を強いたことに対してです。これまで日本の戦争責任というと,もっぱらこちらが問題にされてきました。ですから,こちらは,それなりに意識されてきました。

 

 しかし,これまで,抜けていたのは,第二の,次なのです。

 

 それは,自国民に対するお詫びです。日本の近代化,拡大主義,そして戦争,その過程において,日本国内で犠牲になった人々,望まないことを強制された,人生を自分の意志で過ごすことのできなかった,人々に対してです。それは,少数を除いて,ほぼ当時の日本人の全部といってよいでしょう。その中で死者としての犠牲者は,数字的には,兵士,民間人合わせて310万人といわれます。軍人230万,民間80万,沖縄戦19万,東京大空襲9万,広島原爆14万,長崎原爆7万などです。直接,戦死,爆撃死は免れても,家族をとられた,財産を失った,人生設計に変更を余儀なくされた,その結果その後しなくてもよい苦労を背負った,そういう人々ももちろん犠牲者です。当人の望んだのではないにもかかわらず,戦時体制に,当時の国家に,深く関わらなければならなかった人たちです。私の伯母で,主人が戦死し,いわゆる戦争未亡人として,戦後を生きた年寄りがいます。このことについて聞くと,伯母はそういう時代だったといっていますが,そういう時代であったこと,そういう時代を作ったことに対する反省,お詫びがあってしかるべきです。これが,新憲法の,戦争の放棄,基本的人権,平等などの規定,そしてその実践であったはずです。

 

 つまり,この憲法の精神は,対外的にも,対内的にも,過去の不都合を詫びることにありました。詫びるということは,過去の失敗は繰り返さない,という実践です。

 

 国というものがあるとするなら,その役割は,対外的な国威の昂揚ではなく,一番になることでもなく,自意識の過剰でもなく,自国民の福祉を大切にすることです。敗戦以前は,そういう体制でなかった,それができなかった,逆の方向に人々を強制した,犠牲を強いた,それは間違っていた,そのことに対する詫びが,憲法の精神であったと解釈したいのです。

 問題は,憲法発布後,60年になりますが,対外的にも,対内的にも,心から詫びてないことです。

 

 第一の対外的責任,詫びについては,しぶしぶでも(そこに問題があるのですが)話題にはされてきました。しかし,本気で詫びてはいないようです。

  1. 詫びるのは,国の存続や,新しい展開のため,せざるを得なかったからであって,それは便宜上である,
  2. これまで十分詫びたのだからもういいだろう
  3. 中には,今次の敗戦は仮の姿で,本当は負けていないんだという考えもある(このことについては,白井聡;『永久不敗論』,太田出版,が話題になっています)

 

 今日の中国や韓国との軋轢のもとはここにあるのではないでしょうか。詫びても,本気でなかったり,もともと悪いことは何もしていなかったとか,もう十分詫びたじゃないかとすると,それは詫びにならない。本当に詫びていると認められない限り,この問題は終わらないのではないでしょうか。少なくとも,その点で,日本国民は,これまで,うまくやってこなかった。お互いの不幸ですが,問題が長引くわけです。

 

 それでも,対外的な詫びの問題は,これまで,内外両方の立場から,取り上げられては来ました。それに対して,対内的な責任,詫びについては,蔑ろにされた,あるいは,意図的に無視されてきました。多分,こちらの対内的な責任,詫び,を意識させないように,意図的に,第一の問題の方を,過度に議論の対象にしてきたのではないかと私は勘繰ります。そのやり方は,日本が今日このように繁栄してあるのは,これら先人の犠牲あっての故である,分かりやすくは,犠牲を英霊に祭り上げて,詫びの問題を隠してしまったのです(詫びずに済ませてしまったのです)。だから,国内的にも,戦争の問題がいまだ解決せず,戦前の旧弊が,いまだ消えないで,英霊ならざる幽霊の如くふらふら出てくるのです。

 

 しかしながら,戦後,新しい国として出発せざるを得なかったとき,出発点にあったのは,これまでは間違っていましたという,反省と詫びであり,そして,それに見合う実践であったと思うのです。
そういう状況で憲法はできたのだから,憲法の精神は,わび状なのです。具体的に言えば,対外的には非を認め,対内的には,福祉社会を築きあげて,ようやく,詫びは適うわけです。

 

 わび状は,相手がもういい,許すというまで,こちらから,破棄するわけにはいきません。戦後60年の実践を振り返って,対外的に,また,対内的に,許されたといえるだけのことをやってきたかといえば,国際的には日本への信頼感の希薄さ,国内的には振り込め詐欺の常習化(こういう悪いやつがいる,詐欺というのは窃盗より潔くない,窃盗は自分の技術だが,詐欺は人の誠実さを逆手に利用している)をみても,自信をもって,そうは言いきれないでしょう。それ以前に,もっと厳しく詰めれば,本気では,詫びていなかった,と思えるのです。ですから,今日やるべきことは,戦後のレジームを組み替えることではなく,詫びるという憲法の精神に戻ることです。だから,詫びが認められるまで,もう許すといわれるような,平和で,安定した(美しい?)社会が作られるまで,憲法の改正はできないのです。そしてそれができないことを,人のせいにしてはいけないのです(努力と意欲の欠如)。

 

 憲法を改正することは,わび状を破棄することです。わび状の破棄は,こちらからいいだすことではありません。十分に誠意が通じたところで,相手の方から,もういいよと言われて,OKになるのです。

 

 今日の日本の問題は,戦後60年たっても,いまだ詫びの問題が解決していないことです(詫びていない,あるいは,詫びがかなっていない)。もう一度,わび状に戻って,そこを原点とする,そこにあります。

2013年

6月

08日

金融とマーケティングの落とし穴―マーケティングの巻

 

私たちの社会では,貨幣の媒介によって,様々な「もの」が,商品として,自由に行きかっています。そのことはよいのですが,その貨幣の機能の展開と拡大によって,①貨幣の対象(商品とみなされるものの種類)が,実体でないもの(社会によって作り出された仮想,概念的なもの,単なる仮想)にまで拡大され,②そして,それらは,すべて,貨幣の対象として,その意味で,同種のものとされ,最終的には実体として現実にあるものとされ(物象化),③さらに,貨幣の示す数字の序列によって,ものの方の差別化,序列化がなされるようになってきました。

 

私たちは,今日,貨幣のシステムの中で生活していますが,それは,現実には,貨幣の対象としての商品の中で生活することであり,その商品には,実体でない仮想的なものが実体と思い込まされながら混じっていますから,今日の貨幣システムを受け入れることによって,私たちは,全体としては,実体と仮想の入り混じった世界に生活していることになります。

 

そういうことが,なぜ起こったかといえば,本来,貨幣は,実体的なものだけを対象とする,交換の,手段,道具であったにもかかわらず,そのタガが外れて,あらゆるものが貨幣の対象とされ,実体でないような対象も含めて,すべては貨幣の対象とされ,実在とされ,それらによって私たちの生活は構成されるとされるようになりました。「もの」が先にあって,次に,それを動かす,手段,道具(貨幣)が成立するという順序が逆転して,道具,手段(貨幣)が先行して,それに合うように「もの」が想定されるという逆転が行われたわけです。

 

しかし,そのようにしてできた世界(私たちの現実にこの世界に生活しますが)には,実体と,仮想が混ぜこぜに入っていて,両者は原理が違うから,究極的には,アポリアが生じるという内部問題と,そういったシステム(世界)が,人間にとって,happyかという,外部問題があって,その問題が,今日,批判的に,露呈されつつあるということです。

前回はそのようなことを述べました。

 

こうした貨幣を媒介として行われる,(広義の)商品の移動の場が,市場です。

そして,この市場において,商品の移動が,より広域に,より効率的に行われるように,様々な工夫,努力がなされてきましたが,それらの総体が,マーケティングと呼ばれる分野であり,そこに,マーケティングの手法,マーケティング的思考というものが成立します。

 

マーケティングの内容は,大きく分類して,羅列的にあげれば,次のようになるでしょう。

     商品の情報を,受け手(消費者)に伝える (商品→受け手)

説明,広告,宣伝,・・・

     受け手が何を望んでいるかを知る (受け手→商品)

市場調査,需要の把握,消費行動の調査,・・・

     供給者から,受け手に至る,商品の移動を効率的にする (経路の整備)

流通,店舗,展示,支払方法,・・・

 

確かに,マーケティングを意識することによって,商品の移動は,量,効率ともに,格段に進歩していきます。

まず,消費者は,商品の情報を得て,選択の幅がでますし,流通の経路がしっかりしていることによって,品物を得やすくなります。一方,生産者は,消費者の側の儒要,期待を知り,すぐに的確に反応できるようになります。かくして,商品は,広く,効率的に流通するようになります。ここまでは,消費者という実体があり,生産者という実体があり,商品という実体があり,その間に,貨幣を媒介にして,市場が成立しますから,分かりやすい。ここまでは,マーケティングは,商品流通を,市場を,効率的にするための,手段,道具でした。

 

しかし,マーケティングの領域,手法は,貨幣がそうであったと同様に,自らに内在する論理に従って,拡大,発展していきます。

次には,こういうことが起こります。

    商品があったとき,また,商品の開発が企画されたとき,マーケティングは,その商品が売れることを目的に,広告,宣伝,価格の設定,消費者に対する心理操作など,様々な手法を駆使します。そして,その結果,そこに新しい流通の道筋(新しい市場)が作られます。この道筋は,商品にそって自然に作られ道ではなく,マーケティングの手法によって作られた道です。そして,今日,マーケティングが一般になるにしたがって,当初とは逆に,商品はこの道(市場)に合うようなものとして成立することになります。マーケティングが市場を作り,市場が商品を生み出し,制御するということです。

    かく,マーケティングは,自らの作り出した市場に従うように,商品を制御しますが,一方では,もともとはなかった需要を新たに作ることもします。消費者に対する心理操作と,目の前に,便利な購入の場を用意することによってです。マーケティングが市場を作り,そこに,消費者をはめ込むということです。

    マーケティングは,最初は,成立している,実体からなる市場を,効率的にする技法でしたが,いつの間にか,市場を作る技法になりました。しかも,技法ですから,もともと中立的です。ということは,目的が与えられれば,いかなる目的にでも対応するということです。原則として,そこには,手法を制限する原理はありません,手法は何でもありということになります。あらゆる手段を行使して(禁じ手なしに),目的に適うことがらを作り上げる,それをよしとするのが,マーケティング思考です。端的に言えば,手段,道具を工夫することによって,すべて,ことがらは作り出せるとする思考です。

 

要するに,流通に限定して言えば,マーケティングの手法を駆使することによって,そこに,新しい,本来なかった,その意味で仮想的な市場が作られるのです。そして,その市場を受け入れることによって(しばらくそこで生きることによって),私たちにとって,その市場が実体化,実在化されてくる,そういうことです。

 

以上,我ながら,拙い,冗長な,貨幣論,市場,マーケティング論を述べましたが,学問として,両方を十分に承知していれば,そこにおける術語を適切に用いて,もっと的確に話ができたでしょう。ただここでは,私の思う,根本問題を取り上げてみたということです。

 

最後に,私の意図を分かりやすくするために。下世話な喩えをしておきます。

今ここにAさんという人がいたとします(ここでAさんとは,some one あるいは,イギリスでいうJohn Dóeという意味で,特定な人のイニシアルではありません)。

あるとき,Aさんは,日本国の首相になろうと思いました。そこで,数十億円の資金と,数年の時間を与えて,大手の広告代理店と,自分を首相にするという企画の契約を結びました。Aさんはその時,白紙,中性的な人物で,政治的主張は何も持ちませんでした。おそらく,代理店は,Aさんに政治的色を付け,宣伝,広告を行い,大衆心理を作り,操り,つまり,マーケティングの手法によって,(日本の今の状況下では,)その企画を成功させるでしょう。それは多分オリンピックを招聘するより簡単だろうと思います。

 

ついでに言えば,さすがに,現状ではダメですが,貨幣と市場の操作に加えて,武力の行使も許されるとするならば,件の広告代理店は,世界制覇をも,受注できるでしょう(もっとも,こういうことが,受注,つまり,貨幣の対象でありうるとする思考が,まさに問題なのです。しかし,そういう世界が目の前にあります)。

 

現今の世界は,貨幣と,市場と,武力の混合(金融と,マーケティングと,軍事戦略との)として成り立っています。ですから,この3つを,掌握した,デーモンが現れたとしたら,この世界は,彼のしたい放題です。しかし,貨幣も,市場も,武力も,もともとは,(私たちが生きているのは実体の世界であるとしたうえで,そこにおける)手段,道具だったのです。(たとえば武力というのは,自衛のための手段であり,不正義に対する抵抗,牽制としての道具でした)。そういった実体に対して従であった手段,道具が,逆転して,実体の世界を支配するようになった,そこに問題が生じます。

 

以上「金融とマーケティングの落とし穴」と題して申したのは,貨幣や市場が不要だというのではありません。それどころか,貨幣と市場の成立によって,私たちは,大きな便宜を得ているのです。ただ,貨幣と市場が,拡大してしまって,本来の,手段,道具という範囲を超えて,それ自体が,生活,社会を支配するようになってしまった。実体を超えて,仮想の世界が入り込んできて,そちらが,主導権を握ってしまった。そこに,今日の社会の,いくつかの不具合のもとがあるように思うのです。さらに,仮想なるものに振り回されるのが,我々の生き方として,望ましいものとは必ずしも言えないでしょう。もしそうだとすれば,貨幣,市場の機能について,それらを,本来の,手段,道具に戻して,実体性と結びついた機能の範囲に境界線を引き,それを超えないようにする,多少超えても戻れるようにする,そのことが,大切と思うのです。実体の世界で生きるようにする,仮想の世界に生きないようにする(支配されないようにする),そのことです。

 

それでは,実体とは何か,仮想とは何か,これは,単純な2分法のもとで,どちらかを選べば,それで収まる問題ではありません。様々な問題を含みます。それについては,さらに,書きたいと思います。

2013年

5月

30日

金融とマーケティングの落とし穴―金融の巻

 

今,私たちの生活から,貨幣というものがなくなったとしたら,(貨幣を全く使わないことにしたら),どういう世界が開けてくるでしょうか。あるいは,同じことですが,歴史上,私たちの社会に貨幣が出現したことによって,何が変わったのでしょうか。ちょっと面白い想像です。

 

私たちの社会とは,もちろん,人間の集合体ですが,その要素としての人間の間には,財や,サービスや,情報のやり取りが行われています。そこに,それらの移動によって繋がる一つのネットワークが成立しているわけです。社会とは,こうしたネットワークのことです。私たちは,孤立して生きているのではありません。そういったネットワークの結節点として人間はあるのです。

 

それでは,これら(財,サービス,情報)はどのような仕組みで,この世界を移動しているのでしょうか。まず,分りやすく,財,その中でも,物品と呼ばれるものを取り上げ,その原理を考えてみます。

 

発生的に言えば,移動の最初の原理は,贈与です。贈与においては,物品は,与え手から受け手に,一方向的に,移動します。そして,そのことが成り立つには,その裏に,慣習,あるいは,儀式の存在が必要です。慣習や儀式を根拠として,慣習や儀式に従うという形で,贈与は行われます。したがって,そこには,そういうことを成立させる社会がなければなりません。

文化人類学がいうとおり,原始社会の交易は,贈与として儀式的な性質のものでありましたし,今日でも,母親が子供に母乳を与えるなどは,ある種贈与です。(その裏には,育児という,人間社会の特性である慣習あるいは本能が原理としてあるわけです。)

 

次は,物々交換です。これによって,人々は,贈与の受動性を超えて,自分に必要なものを,ある程度自分で選んで取得できるようになりました。ただ,これは,ものとものを突き合わせての直接交換ですから,そのための場の成立が必要で,そのことによって,効率はよくありません。

 

そこで成立したのが,第3に,「自分の持っている物品」を,いったん「貨幣」に替えて,その貨幣と交換に,「自分の望む物品」を得るという方式です。貨幣にも歴史がありますが,その時々に貨幣とされたものを媒介として,間接的な交換が可能になり,これによって,交換の自由度は増し,交換の場は広がり,ものの移動の効率は無限に近く上がります。また,今望まなくても,交換の可能性を,将来のために,貨幣の形で保管することも可能になります。これが標準的な貨幣の使い方です。

 

「贈与→物々交換→貨幣」と,このようにして,貨幣は成立し,便利に使われてきましたが,この段階では,貨幣は,あくまでも,物品を得るための,媒介,道具,手段になっています。だから,貨幣の前に,交換されるべき対象が,実体としてあるわけです。物品がまずあって,貨幣は,物品の交換の手段なのです。貨幣に対して,物品の存在が必要条件になっている。それが大切な点です。

 

ところが,貨幣の役割は次第に拡張されます。

 

まず,貨幣の交換の対象が,広がっていきます。並べて示すと,

    本来の貨幣の対象は物品(狭義の材)でした。物品とは,素材に,加工(労働による付加価値)が加わったものです。

    サービスが貨幣の対象(交換の対象)になります。サービスの代表的なものは労働です。自分の労働を貨幣で売る,他人の労働を貨幣で買う,こういうことが可能になってきます。言い換えれば,貨幣と交換されることによって,労働がサービスになってしまうということです。

    能力,才能が貨幣(売り買い)の対象になります。知的な能力,芸能的な能力,その他,自己の能力(あるいはその能力による成果)を貨幣によって売ることができ,他人の能力を貨幣によって買うことができるわけです。これも,言い換えれば,能力や才能の行使が,サービスとして,交換の対象として,理解されるようになるということです。

    権利と言われるような概念が作り出され,例えば,不動産の所有権,パテント,漠然と,信用,人気などが,貨幣の対象とされます。権利のうちでも,不動産の所有権などは分りやすいのですが,今日ではTOBなどと言って,会社の経営権までが売買の対象になる(そこには株券,株主というようなものが,もうひとつ間に入るのですが)。本来は,企業が作りだす物品やサービスが貨幣の(売り買いの)対象だったはずですが,今日は企業自体も売り買いの対象になり,そのことが,だんだん,普通のできごとになりつつあります。

    要するに,存在するすべては,貨幣(貨幣による取引)の対象になりうるという論理で貨幣は発展してきました。とは言いながら,性(売買春),感情(たとえば癒し),臓器,生命自体,これらはまだ人間と結びつけて考えられ,貨幣の対象として扱うことは,少なくとも建前はタブーとされていますが,それらも,いずれ,人間から引き離され,物品やサービスとして貨幣の対象になるでしょう。マルクスにおいては,労働が人間性から引き離されるところが問題にされたのでしたが。

    でもまだ,そこまでは連続的な自然な展開と言えないこともありません。しかし,その次に起こったことは,貨幣自体が貨幣の対象になって,売り買いされることです。それは,為替取引のように,直接他国の貨幣であることもありますし,債権,証券など,いずれ貨幣に還元できる(貨幣に繋がっている)ものの場合もあります。さらにその延長上に,いわゆる,金融商品という,合成された人工物まで登場します。

これは,貨幣が貨幣を買う,貨幣が貨幣の対象になるという,自己反射的機能であり,①から④と本質的に区別される根本的な転回です(言葉でもって言葉について話すというのに似た)。④までは,貨幣の対象は,貨幣以外の,貨幣の外の何かでした。⑤においては,貨幣は貨幣の世界だけで機能し得て,外にある実体はなくてもよいという,いわば空回りが可能になったのです。

 

まとめて言うと,本来貨幣は,交換の手段,道具として,二次的なものであり,事前に存在する,(かたちある)「物体」と交換されるところに特徴があったのです。だから,その対象は商品と呼ばれました。ところが,貨幣概念やそれに伴う市場の拡大とともに,商品の概念がだんだん拡張されて,労働,能力(ともに,人間から切り離せない属性),権利(という作られた概念)も含まれるようになり,ついには,貨幣自体(自分自身)も商品になって,そこでは,タコが自分の足を食うような事態になってきました。

 

 こうして並べてみると,貨幣によって交換されるもの,貨幣の対象といっても,一通りではないことがわかります。それぞれが違った特性と成立の経緯をもつ別ものです。しかしながら,現行の私たちの社会システム(経済システム)は,一方に貨幣をおき,一方に,上に述べたような様々な対象を,それぞれ性質は違うにもかかわらず,貨幣と交換されるものとして,同質,均一なものとして扱っています。それぞれ,性質も,由来も違うものを,一様に,貨幣の対象として扱ってよいのかというのが,まず出てくる批判です。

 

少なくとも,上記の貨幣の対象は2つに分類されます。一つは,現実にあるもの,現実に機能しているもの,実体です。もう一つは,私たち,あるいは,私たちの社会が,仮想として,便宜的に,勝手に作り上げたもの,作られたものです。

 

例えば,①から③は,実際に存在するもの,実体と言えます。①のような目の前に形をもって存在する商品,その拡張として,設計図や情報ソフトの様な,手順を踏めば,一定の現実的効果を得られるようなもの,労働,能力などのサービスは,現実に存在するか,現実の中で機能しますから,今日の経済体制のもとでは,実体としてよいでしょう。

 それに対して,④のような権利は,直接目に見えるものではなく,社会制度として,約束として,私たちの社会を前提として認められる,作られたもの,フィクションであり,⑤の貨幣も,もともと貨幣自体は交換の機能であり,手段,道具ですから,いきなりは,実体とは言えません。ここに,貨幣の対象とされるものに,環境世界や人間に基づいた実体,実在であるものと,人間社会において便宜的に仮想された,フィクションであるもの,の2種類があることになります。

 

 その上で,貨幣が,実体である物品,サービス交換される範囲では,物やサービスには,もともと,実体として,(ときに変動はするにしても)固定的な価値が伴っていますから,貨幣の交換価値もそれに従って,それなりに安定的したものになります。

しかし,貨幣の対象が実体性を持たないものである場合は,交換は仮想の対象との交換ですから,交換の仕方,貨幣の交換価値は,対象の方からは決まりません。要するに,対象ではなく,貨幣の使用者の方の思惑によって決まるのです。例えば,土地の値段ですが,土地自体に値段は付属しません。その社会の,相互の思惑の中で,決まります。債権の値段も,為替相場もしかりです。つまり,そこで行われるのは,思惑の間のゲームなのです。もっとも,そうはいっても,所有権,債権,為替相場も,まわりまわって,実体経済と全く無縁というわけではないでしょう。現実には,それまでの経緯が,その時の周辺の需要状況がどうであるかが,思惑を決める材料として影響はします。しかし,原理的には交換に関わるのは思惑という非実体なのです。

 

もっとも,実体と,フィクションの区別には,微妙なところがあります。実体といったとき,常識的にはわかりますが,正確な定義はし難いところがあるからです。つまり,実体とは,存在物を指すのか,存在物でなくとも,広義に,私たちに何らかの意味で現実的な影響力を持つものまで指してよいのか。一方,フィクションといっても,廻り回って,実体の世界に結びつくものは,ある意味で実体ではないか。例えば,不動産(の値段)も,実際にそれを含んだ,安定した取引が現実に行われるなら,そしてそれが,土地家屋として,私たちの生活に深く関わるなら,また,株券が安定的に,生産のための資本として役立つならば,物品と同じように,実体と認めてよいかも知れません。ただ,その際,フィクションだから,思惑が作用し,安定しにくいのです。

 

 それについては,もっと根本的に,こういうことが考えられます。物品やサービスは,実在するものであり,実体であることはみとめられるでしょう。一方,権利や,貨幣自体には,もともと物品やサービスと同じような実体性はないとしても,貨幣が,それらを含めた全体のシステムの中で,現実に整合的に使用され,ある効果を持つならば,(それらを含めて取引が実際に行われているとすれば),その整合性の中では,それらも実体とみなされてよい,そういう論理です。実体とは,実は,もとからあるものである,実在である,不変である,というような,固い基盤に基づくものではなく,もう少し柔軟に,そういう整合性に基づくものではないかという考え方です(よく考えてみると前者の実体性も,それらを含む全体の整合性を必要としています)。これは,世界の原理は,実体性か,整合性かという未解決の哲学的問題につながることがらです。このように考えた場合は,問題は,対象が,実体かそうでないか,実体でないものは,貨幣の対象から外すということではなく,そこにあるものを,貨幣の対象としてどこまで認めるのが,社会生活にとって,便宜か,適切か,害がないか,という線引きの問題になります。

 

 現今の社会(経済社会)は,実体と仮想の両方を貨幣の対象と認めて,それらを,同じように貨幣で制御しようとします。そこでは,貨幣は,実体世界と,仮想世界の,両方の必要条件になっています。つまり,貨幣があって,その中で,実体,仮想,どちらにしても,貨幣の対象(ものの世界)は扱われるということです。ということは,両者が区別されずに,同じように扱われる分けです(仮想の世界も貨幣のもとでは同じくものとして扱われる)。

ですが,本来は,貨幣は,実体世界の十分条件だったわけです(実体世界が貨幣の必要条件)。つまり,現物があって,その中で貨幣は機能した,貨幣は,現物の取引の外には出ませんでした。これが本来です。

しかし,現今,貨幣の世界は,仮想の世界をもその中に取り込んでいます(つまり,仮想の世界を,実体の世界と同じとして,実体の世界として扱います)。言い換えれば,貨幣の世界の拡張は,仮想の世界を認めることによって成立します。

「貨幣は,仮想の世界を実体の世界とする」ということは,裏を返せば,「貨幣は実体の世界を仮想の世界にする」ということです。つまり,貨幣の機能が拡張されることによって,私たちの世界は,本来,実体の世界であったのに,仮想の世界になってしまいました。仮想の世界ですから,私たちの行為は,すべて,ゲームをやっていることと同じになります。

本来,私たちの生活している世界は,実体の世界であるし,あるべきなのです。でも,貨幣は,実体の世界に,仮想の世界を引き入れました。(仮想をも,交換の対象にしてしまいました,そして,その原理は,思惑ということになります)。貨幣に主導されて,私たちは,実体と仮想の入り混じった世界に生きることになった,しかし,実体と仮想は両立しがたいものです。いつか矛盾が顕在し,破たんします。そこに金融に由来する,落とし穴があるのです。

 

それを避けるためにはどうしたらよいでしょうか。いわば,初心に戻る,「貨幣を,実体であるもののみを対象とする,交換の手段,道具にすぎない」と,再確認し,その範囲に限定することです。手段,道具である貨幣が,それ自体の役割を超えて拡張され,実体を超えて機能しだすと,どうしても,仮想であるものを,対象として,実体として引きこむことになりますから,それを避けることです。ただ,仮想的なものが無意味だというのではありません。仮想なものにも役割はあります。不動産の売買も,債券の発行も,貿易振興のための為替取引も,経済活動の工夫でした。ただ,それらはあくまでも仮想なものだと承知し,実体化しないことです。また,貨幣についても,手段,道具であるとして,それ自体を,実体化,目的化しないことです。

 

 以上,貨幣について,素人として,論じましたが,まことに不十分なものになってしまいました。難しかった。ただ私がここしばらく考え,言いたかったことは,今日の社会の躓きのもとは,金融とマーケティング思考にあるということで,その主旨は,本来,あることがらに対する,手段,道具であった,貨幣やマーケティングが,立場を逆転して,手段や道具に合うように,本体の方を措定しようとしだした,言い換えれば,貨幣やマーケティングに都合がよいように,仮想の世界を考えておいて,それを実体として扱おうとしている,そこに,今日の社会の躓きの石があるということです。したがって,道具や,手段を,本来の働きに戻すことが大切だ,というにあります。不十分のままですが,とにかく問題提起しました。

 

貨幣については,以上の他に,次の問題があります。

貨幣によって,全ての対象が,一つのものにされてしまうことです。例えば,物品についても,物品の種類はいろいろで,自分にとっての必要度,利用価値はそれぞれ違うのですが,その違いは捨象されて,貨幣という一つのものにされてしまうことです(貨幣に示された,数字になってしまうのです)。そして,すべての物品が(もっと広くはすべての対象について),貨幣の額面に従って,序列化が生じることです。一元化と,序列の成立,これがもう一つの貨幣の役割です。

これも,現今の社会生活のもう一つの躓きの石と思われますが,今回は示すだけにしておきます。

 

今日の世界は,

    全てを貨幣の対象とし,

    全てを貨幣という場で一元化し,

    貨幣の数量性で,すべてのものが序列化出来ることになり(価値の序列化),

    仮想の世界が(フィクションが),貨幣の対象とされることで,実体化される(物象化)

そこに落とし穴があるのです。

それを避けるためには,仮想の世界を仮想の世界と認めること,貨幣を交換の手段,道具と承知すること,そこにあります。仮想の世界の設定も,貨幣も,現実の生活のための手段,道具なのです。

 

最後に,私の主旨を理解してもらうべく,貨幣について,下世話な話を3つ加えておきます。

(1)      

貨幣の機能が拡張され,これまでの世界に,仮想な世界が付け加えられ,そこに躓きの石があると言いました。次の喩はどうでしょうか。

ある社会があって,そこでは,皆が地道に生活していたとします。そこへ,あるとき,博徒が入り込んできた。そして,賭博を行い,それを広めた(一応賭博はここでは合法的とします)。地道な世界でも,賭博の世界でも,貨幣は同じです。しかし,得るに至った経緯が違う。一方は,実体との交換に基づく,実体に裏打ちされた貨幣,一方は,思惑に基づく,裏打ちのない仮想の貨幣です。しかし,賭博で得た貨幣は,地道な世界でも使われ,そのことによって,全体的な整合性は保ちますが,しかし,内容的に違うこの2種類の貨幣の混用は,いずれ,この世界に混乱を招き,世界を壊します。

(2)     

現今アベノミクスということで,株価が上昇しました。その折,テレビのニュースで,初老の紳士が,兜町の証券会社のウィンドーの前でインタビューを受けて,「そこそこ,儲けさせてもらいました。やはり株が上がらなければ日本は元気にならない」などと,得々と語っていました。こういう年配の人が,無邪気に,こういう言い方をするのに,ちょっとびっくりしました。一方で,車寅次郎氏は言っています。「人間は地道に暮さなきゃいけねえ。額に汗して,油まみれになって働かなきゃいけねんだ」(「望郷篇」)。

(3)

 例えば,株の取引は,全く思惑に基づいて行われています。今回,アベノミクス関連で株価が動き,それについて,・・・アナリストなど名乗る人が,上ったのはこういう理由,下がったのはこういう理由,今後も,これこれを原因として,上るだろう,下がるだろうなどと,喧しく発言しています。現実に売り買いする人も,こういう見解を参考に,また,似たようなことを自分で考えて,売り買いしているのでしょう。

因果性には,実体的な因果性というのがあって,例えば,金づちで叩いたら茶碗が割れたなどは,そういうものです。しかし株の売買の,理由,原因とされるものはそういうものではなく,仮想の因果性で,ただ,アメリカ発表のある指数が下がったときは,売りになるとか買いになるとか,思い込んでいるだけです。それでもなぜ当たるかというと,それは作り物の幻想ですが,皆がそれに従って動くからです。皆がそれに合わせて動くから,それが,現実的な規則になってしまうのです。因果法則でもなんでもないけれど,皆がそれに従うから,因果法則になってしまう,そういうものです。

仮想の世界は,思惑の世界であって,しかしながら,皆がその思惑に従って動くと(なれ合いということですが),その思惑が実体と思われるようになる,貨幣に絡んで,株取引も,為替取引も,そういう舞台のものではないでしょうか。

2013年

4月

29日

商店街はなぜ滅びたか

 

 『商店街はなぜ滅びたかー社会・政治・経済史から探る再生の道―』 

  新 雅史 著 (2012.5.光文社新書)

を興味深く 読みました。本の要点は,次のようなことでしょう。

 日本の近代化の過程において,農村の余剰人口は,一部は,(資本主義の展開のセオリー通り),工場労働者を典型として,何らかの形で雇用される者となった。しかし,少なからざる他の一部は,雇われる形でなく,自力で生活を立てる,(雇われることなく)自営の生活者として,農村を離れた。被雇用者(労働者)と自営者(自営業者)の2つのグループ,いわば両翼をなす。商人,個人商店経営は,後者の代表である。

 

 大正末期以後,この自営層,(なかんずく商人層(零細小売商)を安定させるべく,商店街の設立が構想され,実現した。内容的には,(またこの時期に成立した)百貨店,共同組合,公設市場などの影響を受けている。(商店街にも,繁華街の商店街と,日常生活に密着した地元の商店街がある。)このようにして商店街は意図的に作られて成立したのであり,まず終戦時まで,安定した発展を遂げた。終戦後も,物資不足,経済成長,行政府による保護規制の後押しもあり,(1970年代初めの)オイルショックごろまでは,深刻な先行きの問題は自覚されず,そこまでは商店街,商店のそれなりの安定期であった。

 

 こういった,(自営の)商店の特性は次にある。

 ①     経営と労働が分離されていない

 ②     経営単位としての家族(家族経営,家族労働)

 ③     血縁者による相続

 ④     地域性

 ⑤     規制(免許など法的規制+商工会など自主的規制)による保護,それによる安定

小売商という自営は,こういった特性の下に,ある時期まで安定していた。

 

 しかし,小売商に対する外部の状況は,オイルショック前後(経済のグローバル化,市場原理の浸透)から変わる。

 ①     大規模店の成立(スーパーストア)

 ②     流通革命(消費者優先,市場の大規模化,値段は消費者が決める)

 ③     コンビニエンスストアーの普及(商店の一部は,コンビニ経営者に移る)

 ④     (保護)規制撤廃の潮流

 

 さらに内的な問題の顕在化として,

 ①     一般に家族という共同体の崩壊

 ②     後継者の不在

 ③     業界が,既得権を守ることを目指す自己中心の利益集団になってしまっ  たこと

 そして,最も根本的には,日本社会自体が,雇用者対自営という両翼のうち,雇用者を中心とし,自営者は従とする方向を選んだことである。企業中心,従って,雇用者中心という体制である。その一つの例が,年金制度で,それは,雇用者と専業主婦を基本とする構成になっている(日本型福祉社会),という。つまり,自営者と,そこにおける家族労働は,身捨てられた。

 

 かくして,1970年後を境として,商店街は,基本的には崩壊に向かい,小売商にとってはつらい時代になってきたのである。しかしながら,著者は,①人々が生きるについて,生きる術は,一つの形だけではなく,多種類用意されているのが望ましいこと,②地域社会の自律性を取り戻したい,ということから,自営業の復権(その中には商店,商店街の復活もはいる)の可能性を探る。

 

 そしてそのために,次のように言う。

国の仕事は,給付と規制の2つから成り立つ。そして,それぞれが,個人に対するものと地域に対するものの2つに分けられるから,次の4つの領域が成立する。

 Ⅰ 個人に対する給付 (公的扶助,社会保険,社会手当,・・・)

 Ⅱ 個人に対する規制 (労働基準法,派遣規制,・・・)

 Ⅲ 地域に対する規制 (ゾーニング,距離規制,・・・)

 Ⅳ 地域に対する給付 (公共事業,地方交付税,・・・)


 昨今の政治の主流は,給付を塩梅することによって,政治を動かそうとしているが,そこには周知のように多くの問題が出現している。一方,規制については,規制緩和が喧しく言われるが,著者は,この4つの領域のどれかを特出させるのではなく,そのバランスのとれたミックスが重要であると言う。そして,商店街の復活,ひいては地域振興のためには,(これまでの反省の上に立った,新しい形の)地域に対する規制の実現が大切とする。

 

 以上が,(私の興味を中心としての),この本の要約です。

 

 以下,私の感想を述べます。

 

 まず,雇用と自営という二分は示唆的で,それによって見えてくるものがあります。その上で,私が最も興味をもつ論点は,自営の復権ということです。

 

 雇用者,(個々の仕事の種類はまちまちですが),要するサラリーマンです。サラリーマンは企業に所属するものです。企業においては,労働と経営とが分離されており,それによって,企業は,合理的に,効率的に運営されていくとされます。今日,我々の経済活動は,企業中心に理解されます。企業の目的(経済活動の目的)は利潤の追求で,経営はそのための過程であり,そこでは雇用者は手段ということになります。企業中心主義です。今日,これが世の中の主流で,多数派の目指すところです。

 

 一方,自営業の特色は,先に述べたように,労働と経営(マネジメント)が同一の主体によって行われることです。自営にもいろいろあります。個人商店も,飲食業も,町工場も,職人的なサービスの提供も自営ですし,そして,農業もそうです。資格に基づいて開業する業種もあります,いわゆる自由業もここに入ります。幅は広いのです。

 

 ただその中で,他から強力に特化された基盤に基づくもの(資格によるとか,特別なパテントによるとか,引き継いだ権威によるとか)は別として,一般的な,自営業者にとっては,今日の,企業優先,雇用人優先という状況は,辛いものになっているのではないでしょうか。今日の状況は,上の著者のいう通り,この種の自営業を支える環境はありません。


 先にも述べましたが,自営業の特性は,①家族労働(少なくとも夫婦),②地域性,③大きくは儲からない(企業にしない限り),④顧客との個的な人間関係,⑤血縁による相続,などでしょう。

 それに対して,今日の世界は,グローバリズムと市場主義をトレンドとしています。そちらがよしとされているわけです。企業中心です。自営業の,上の様な特性,家族性,地域性,限界ある収入(無限の利益を求めると言う立場ではありません),人間的接触の世界は,その反対の極にあるものです。ですから,グローバリズムと市場主義をよしとする経済環境においては,自営は,非効率で,発展の足かせで,消えゆくものとされます。それが現在の状況です。

 

 しかしながら,グローバリズムと市場主義が,最終的にひとを幸せにするものであるかというと,大いに疑問は残りますし,今日の企業主義の社会の中で,サラリーマンの立場も,弱くなりつつあります。その対極にあるのは,一つには,地域主義であり,一つには,利潤追求の市場主義に基づくのでない別の価値(人間あるいは人間関係に根拠をおく,いわば人間主義)の追求ということになるでしょう。もし,人間の基本が,個々人の労働と,自分による自分のマネジメント(自立)であるとするならば,労働とマネジメントの両方を備える,自営という生き方は魅力的なものになります。自営という生き方の検討には,そういった深いものが含まれていると思うのです。グローバリズム,市場主義でいくか,地域主義,人間主義でいくか,自営の評価は,そこに関わる大きな問題なのです。どちらを取るかで,世界は変わってくるのです。

 

 私は,30歳を過ぎて,それまで勤めていた公立高校を退職して,学習塾を開いて身を立てることにし,30代の何年間かを過ごしました。自営業です。今でいえば,わざわざ(安定した)勤めをやめて,何で零細自営を,というところでしょうが,その頃は,経済の成長期でしたから,そういう試みも可能で,一般的に,生き方にも,職業にもそれなりの流動性が存在した時代でした。しかし,その時身にしみて感じたことは,自営業ですから,教室の設定から,事務処理,生徒の募集まで,すべて自分でやるわけで,その上,予定収入の保証はありませんから,しばらくは,心身に渡ってそれなりにハードで,サラリーマンの安定性は,なかなかに得難いものだということでした。

 

 自営業をこんなふうに位置付けした上で,本を貸してくれたK.S.君にお礼と共に,商売発展のエールを送ります。

 

2013年

4月

20日

三度許すまじ原爆を

 

 A君の奥さんの書き込みをきっかけに,私は私で,故A君との,50年にわたる付き合いは,何だったのかと,いささか分析的に考えてみました。ただあまり個人的なことを述べても,多くの皆さんには興味がないので,一般論ふうに話してみます。それ故,ここではA君としておきます。A君は,世田谷のK大学の教授をしていて,定年までもう少しという時に,循環器系の疾患で急逝しました。私とは,大学入学以来ですから,20歳前後からの付き合いになります。ちょうど60年安保の前年の入学でした。それ以来,老年あるいは老年近くまで,「離れず,離れず」に過ごしてきました。

 

 孔子は,「その人の由るところ(つまり経緯)を知れば,その人物の何であるかは知れる」と言っていますが,若いころから付き合っていると,その人に何か起こったとき,その人が何か行動したとき,それに到る経緯を身近で知っています。そういう経緯の結果が,その総合が,A君の人となりであるとすると, A君が何からできているか,言わば,A君の部品は心得ていることになります。さらにそのメカニズムも大体分ります。だから,こういう状況ではこう動く,こう押せばこうなる,と見当つくわけです。もちろんそのことはお互い様ですが。また,私とA君は,(職業環境を中心として)生活の場も,部分的には重なっていましたから,その点からも,よく分るのです。よくも悪しくも,「気心が知れている」(お互い様に)ということです。

 

 それから,もう一つ,自己とは何かと問うたとき,自分だけで孤立して存在しているのでは,そこには何も成立していません。ですから,自己とは,孤立した一つ(主体とか個人)のことではなく,自分をもその結節点の一つとして,まわりのさまざまな物体,あるいは,他の人間とのいろいろな関係が成立している,そのネットワーク,網の目全体のことだというのが正しいと思います。自己とは関係性だとしたのはキルケゴールですが,ややこしいことは言わないとしても,自分を含んだ網の目が,関係全体がその折々にあって,それが連続的に移り変わっていくというのが,我々の一生であると言ってよいでしょう。その網の目の近いところの結び目に,A君がいて,私がいて,共通の友人がいて,共通の恩師や,先輩がいた,そして,その目はある時は延び,ある時は縮み,また,新しい結び目ができて,全体の様相が変わってきたりする。そういうことです。もっとも,私の網については,作今は,あちこちで,結び目が,ぽろっと欠けるようになってきましたが。かく,私とは,孤立した私ではなく,私という網の目のことであるとすると,A君は,その意味で,私の構成要素でもある(仮に故人になったとしても)ということになります。このこともお互い様ですが。

 

 このように解説したからと言って,何がどうということでもありませんが,一般論をすれば,そんなことでしょうか。いずれにせよ,「馬が合う」とか,「気心が知れている」とか,「気が置けない」という間がらは,得難いものであるのでしょう。

 

 A君と,唱歌の好みに関して,感性において,共通する部分が少なからずあったかもしれません。しかし,それだけでなく,A君(や当時の友人)との共通の歌の思い出としては,次のようなことがうかぶのです。懐かしく。

 

 大学時代,60年安保をはさんで,A君は,闘士でした。一方,私は,(宗教哲学を構築しようなど思っていて,)反闘争ではないにしても,社会思想的には軟弱分子でした。でも,当時,都心の大学では,そういうことはお構いなく,デモと集会は,連日行われ,私を含めて,多くが参加し,盛り上がっていました。少なくとも,東京の,そういう範囲では,雰囲気はそういうものでした。時節がそうであったというか,でも,万事,人間の世では,雰囲気が大事らしいのです。その後,(A君がどうなり,私がどうなり),時代がどうなった,そのことに対する批判,反省は,ややこしい話になりますから,ここではおきます。

 

 問題にしたいのは,それぞれ,その時代,その場所に,懐かしい歌がくっついていることです。「想い出に歌は寄り添い,歌に想い出は語りかけ」です。A君も私も当時周辺の多くの友人も,そこにおいて,共通の感性を示す歌があります。これはある意味で,当時の若者にとって抒情歌かも入れません。小学唱歌が複数であるように,ここでもいくつかあるのですが,本命としては,ひとつ取り上げておきます。

 

ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土に
今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を われらの街に

 

 雰囲気だけなら,一番だけでよいのですが,全部あげておきます。

 

ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を われらの海に

 

ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を われらの空に

 

はらからのたえまなき 労働にきづきあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を 世界の上に

 

 これを聴くと,当時の気持ちに戻ります。A君も多分そうでしょう。集団的共通感性とでもいいましょうか。

 ついでに,次のようなものもありました。ややセクトが絡みますが,私と同年輩の者にはすぐにメロディが浮かんできて,懐かしく,若い人には,老人の繰り言と思われるでしょうが。

 

「 たて 飢えたるものよ  いまぞ 日はちかし
 さめよ 我がはらから  あかつきは きぬ
 ・・・ 」

       (インターナショナルの歌)

   

 

   「 学生の歌声に 若き友よ 手をのべよ
   輝く太陽青空を 再び戦火で乱すな
   われらの友情は 原爆あるもたたれず
   闘志は 火と燃え 平和のために戦わん
   団結かたく 我が行くてを守れ 」

            (国際学連の歌)


 

2013年

4月

13日

志について

 

 ホームの写真に,時節がら,小学唱歌「朧月夜」の歌詞に合わせて撮りたかったのですが,私の技量が邪魔して,イメージが違うようです。なぜ「朧月夜」なのか,私は,「朧月夜」と「みかんの花咲く丘」を聞くと,郷愁を感ずるのです。抒情的に,センチメンタルになるのです。みなさんそれぞれにそういう歌があるのでしょう。40年,50年前のNHKラジオ放送で,歌とその歌にまつらう想い出を投稿する番組がありました。最初はサトウハチローが司会のもの(ハチロー翁は司会者でありながら余計なことは何も言わないのです),次に,「にっぽんのメロディ」,「当マイクロフォン」のアナウンサー中西龍が,あの得意の調子でよむものでした。「歌に思い出が寄り添い,想い出に歌は語りかけ,そのようにして歳月は静かに流れて行きます。・・・」というやつです。

 

 小学唱歌は,国民が皆知っていて,一部を言えば,言わない部分も浮かんで,共通の話題になる,そこがよいところです。「朧月夜」,作詩は高野辰之(長野県中野市出身)で,同じ高野の作詞になるものに,「春の小川」や,近時いろいろと話題になることの多い「故郷」などあります。

 

 「故郷」について,私が気になるのは,次の四番の歌詞です。

  こころざしをはたして,

  いつの日にか帰らん,

  山は青き故郷

 水は清き故郷

 

 「志を果たして」と言います,ところで,志とは何でしょうか。第一には,こうなりたい,このようにしたいという意志の,持続です。「こころに目指すところ」です。それがないと空洞化した人生ということになります。しかし,志には,もう一つの意味があります。それは正直さを保つということです。こころざしを果たすのに,まっとうな手段でやるということです。目的は達成したが,手段が怪しかった,何でもありでやった,これではこころざしとは言えないのです。そこが難しい。

 

 その志を歌った歌として,私が,カラオケで歌いたいのは,次です。

  故郷(クニ)を出るとき,もって来た

  大きな夢を,盃に,

  そっと浮かべて,漏らすため息,

  チャンチキおけさ

  おけさ涙で,曇る月

ご存知,三波春夫の「チャンチキおけさ」の三番です。高度成長期をまたいで,その頃成人していた者には,こちらもよく分ります。

 

 まことに,生命はそれなりに全うできても,志を全うすることは,全員に出来ることではありません。だから,多くは,「いつまでも故郷に戻れなかったり」,「そっと浮かべて漏らすため息」となるのです。しかしそこがまた,人生の抒情です。

 

 志について,もうひとつ。

 棟方志功は,青森市の出身です。市内の,長島小学校(志功の当時は尋常小学校など言ったのでしょうが)の古い卒業生です。晩年,頼まれて,石碑にすべく,その小学校に書を贈りました。次の4字です。

  汝我志磨

「汝と我,志を磨く」,これで「ナガシマ」と読ませます。

 

 私が言いたいのは,学校というのは,まさにこういうところだということです。学校は,何よりも,立志の場所であること。そして,それが,秘かに自分だけのものというのでなく,我と汝の関係の中で磨かれ,公共性を持ったものになっていく,そこです。

私は,かつて,大学の父兄会で,青森を訪ねた折,市内の長島小学校に,この石碑を見に行ってきました。校門の右手にあります。

 

 最後に,志に関して,厳しい詩があります。

 茨木のり子「自分の感受性くらい」です。

  初心消えかかるのを

  暮らしのせいにはするな

  そもそもがひよわな志にすぎなかった

 

2013年

4月

10日

士農工商の商

 

 T.M.君へ。本,今日届きました。ありがとう。(新雅史著 『商店街はなぜ滅びるかー社会・政治・経済史から探る再生の道』 光文社新書 2012.5.刊)あとがきを読んで著者の意図は分りました。さっそく読んでみます。

 

 今日,多くの人はいわゆるサラリーマンですが,その他に,「農家」,「職工・職人」,「商売」,昔流に言えば,農工商にあたる仕事と,そこにおける生活があるわけです。私は育ってきた経緯から,農業,農村,その生活については,心情的にもよく分るのですが,「もの作り」と「商売」,つまり,職工さん職人衆,商店については,生活環境,生活心情ともに,内的には全く分りません。その逆の人もいるでしょう。面白いものです。

 

 それでも,商売関係の知人がいないわけではありません。高校の親しい同級生は,その業界の全国協会の会長までやりましたし,同じく高校の同級生(女性)は酒屋お主婦として,*十年ですし(蒲田),私が商業高校に勤めていた頃の卒業生(女性)も酒屋に嫁いで,今日に到ります(池上)。ともに後継ぎがいます。それに田中君と,(八百屋も,肉やも縁がありませんが),酒屋さんとは秘かに結ばれているようです。酒については,それなりのお客さんでもあります。

 

 かく,商売に無知な私ですが,それでも,商売とは何かについて考えさせられる,いくつかの接点がありました。すべて,懐かしい,平成以前のことです。

 

 まず第一は,昭和の40年代のことですが,上に話した,卒業生のK君が,結婚することになって,酒屋の跡継ぎである相手の男性と一緒に,私宅を訪ねてくれたことがあります。その頃,ちょうど,酒販売の自由化が少しずつ話題になる頃でしたので,私としては背伸びして,そんなことを話題にしました。答えは,でもまだしばらくかかるだろうということでした。

 

 第二は,その前後,私が勤めていた商業高校の,同僚の先輩の先生から,大型店舗の規制の是非の話を,時折聞かされました。私には,その将来的な意味は分りませんでしたが。(この先生は,当時は商業経営など呼ばれた分野,今で言えばマーケティングでしょうか,が専門で,後に中大の商学部教授になりました)。

 

 両方とも,当時問題になりつつあったことがらで,結局,自由化の方向に進みましたが,しかし,いろいろな観点から,今日でも,考えるべき問題が残されていると思います。

 第三は,大学に勤めるようになってから,その当時は,地方出身の学生が多かったので,年に一回,地方の各地で,教員の方が出張して,父兄会というのが開かれていました。毎年いろいろなところに行きました。父兄会のあと,父母が慰労会を開いてくれるのですが,懇談のなかで,私など,商業,経済問題に疎い者には,目を覚まさせてくれる話題が数々ありました。3つだけ上げましょう。全て昭和の時代のことです。

 

 富山に行ったときです。魚市場の仲買の会社を経営する父親がいて,「うちの現場の連中は,商売が好きで困ってしまう」と言っていました。つまり,経営としては,冷蔵庫もあるのだから,値段も見ながら,品物を出し入れして,計画的に売りたいのだが,現場の方は,とにかく売ってしまう,連中はそのやりとりに,商売の醍醐味を見ているというようなことでした。これは,面白い話です。商売はその意気です。違う例ですが,私の住まいの近くに「サイボクハム」という,肉,野菜を合わせて売る,大型店舗があります。そこにあるお茶屋さんが出店しているのですが,その店の隠居のおじいさんが外でほうじ茶を目の前で詰めて売っているのです。その詰めっぷりがよい。息子や孫が,出ているときはダメなのです。一方,肉の売り場には,もうすぐ定年になる年配の,肉加工についてはベテランのおじさんがいて,たまに売り場にも出てくるのですが,あるとき,私のところの家内が,牛肉をかったら,まず注文の分量を測った上で,「これは奥さんの分」と言って,もう一枚のせてくれたというのです。ともに,それなりの立場でないと出来ないことですが,こういうのが,昔流には,商売の面白さではないでしょうか(個人対個人,人間関係)。


 もう一つは,愛媛に行った時のことです。そちらのタオル製造会社の社長がきていて,タオルを中国で作ってこちらに持ってくるのだという話をしていました。一緒にいた国際経済の先生は,さもありなんと聞いていましたが,今では当たり前でも,私には,作るところと,売るところが,国境を越えて違うというのは,新しい知識でした。

 

 もう一つ,北海道の父兄ですが,私の商売は,移動トイレを,レンタルすることだと言われて,こんな商売があるのかとびっくりでした。そして,この前は,甲府のどこそこまで国体開催について,何十個運んだと言われました。私も甲府の地理は分っているので,地名まで含めて,興味森々でした。今では,大工さんの現場にも普及していますが。

 

 以上,私と商業の,ささやかな接点,想い出,でした。

 

 

2013年

3月

29日

謝るということ―双方の立場から考える

 

ある同学の先輩から,石橋湛山記念財団発行の『自由思想』(季刊)という雑誌を送っていただいている。私にとっては非常に啓発的である。その,今年の2月号に,今回,中国大使を退任した,丹羽宇一郎氏に対するインタビュー記事がある。ことは,日中間の外交問題,に関わるのだが,外交,政治問題になると,ややこしくなって,この場にふさわしくないので,そういう要素を抜いて,人間関係の一般論として,考えてもらうことにして,いくつか,紹介したい。

 

1は,人に謝ることについてである。丹羽氏は言う。(よく,もう謝ったじゃないかというような発言があるが),「でも,それは謝る方が謝ったじゃないかという権利はない。謝ってもらう方が「もういいよ」というのはあっても,謝っている方が「おまえ謝ったじゃないか,何か文句あるか」と,それはないですよ。」

 

2に,こちらに何かしらでも瑕疵があって,謝らなくてはいけない状況にあったとき,理屈を言ってしまうと,たとえその理屈は正しかったとしても,さらに反発を招き, その流れは変えられず,話は決着しない。その例として,丹羽氏は,(例えば,従軍慰安婦問題について,(アメリカが非難しているとして,それに対して)「おまえのところは偉そうなことを言うけれども,150年前まで奴隷制度があったのだから,奴隷なんていったら,慰安婦よりももっと悪いじゃないか,なんて言ったら,ぶったたかれますよ。」

 

要するに,外交とは,(理不尽なところもあり,忍ばなければならないこともある)こういうものだということである。理屈によるのでもなく,軍事力によるのでもない,第3の道である。

 

3に,土下座について,「中国はメンツのくにですよ。何が大事かって,サッカーの岡田さんが言ってたじゃない,まけたら土下座しろと。彼らには絶対にできない。そうしたら必死になって勝とうとする。メンツですよ。日本人は簡単に,土下座なんかタダだからと考える人もいる」。最後の文言が面白い。たしかに,日本人はこの頃,簡単に土下座する。経営者もそうだし,政治家も票を下さいと土下座する。本当は土下座とは,一生に一回,あるいは絶対にしないものであったから,土下座の価値もあったのだが,こう頻繁になされると,土下座のインフレがおこり,だんだん利かなくなる。この,目先の結果がよければ,何でもやる,ましてや金がかからないものは,ウェルカムである,これが,マーケティング思考である。結果を取って,価値(道義を)捨てる,土下座が利かなくなったら,次の手を見つけて移る(例えば自殺のような)。禁じ手も何のこだわりもなく使う,こういう世界である。さらなる例として,こんなのもそうである。「二度とやらない」(これは字義通りとれば重たい言葉である)といってその場を収めて,そういう者に限って二度でも三度でもやる。

 

ここからは,私の話です。

人には,ここまでは我慢できるが,ここからは我慢できないという,閾値というか,境界線があるのではないか。境界線までは,忍耐や,社交で我慢できるが,そこを超えるとダメという境界である。その境界線の位置は人によって,文化によって違う。2つ示そう。

(1) 居酒屋で,若者が飲んでいた。隣へ初老の男が座って,若者にからみだした。おまえはだらしがない,バカだなど言われていた。でも若者は,それなりに相手して,キレなかった。しかしある一瞬についにキレた。何にキレたかというと「おまえのおやじより,オレの方が信用がある」と言われたからだ。つまり,自分のことについてはかなり我慢ができる,しかし,身内のことを言われると怒らざるを得ないということである。今は,身内のことでもキレない若者が増えたかもしれないが,ある時代まではそうであった。

(2) 中学時代にいじめられた生徒がいた。その時は悔しかったが,10年経って,社会人になった頃は,その感情はかなり薄くなっていた。同窓会があって,相手と会っても,殴られたことも,それなりに許せる心境だった。しかし,そこで,加害者や,教員から,その当時いじめは無く,ちょっとふざけただけだ,おまえの思いすごしだったのだ,と言われたとき,許せなくなった。要するに,ことがらは,時と共に,風化するが(治まるが),その意味付けを変えられると,治まらないということである。

 

日中,日韓の戦争責任をめぐる議論の底には,こんなことがあるのではないか。

(侵略されたことによる被害は許せるが,侵略がなかったといわれると,気持ちが治まらない。謝って,賠償も援助もしているのだから,もう終わりだろうと相手から言われると治まらない。さあ,ここで,理屈(正義論?,ナショナリズム)や軍事(軍事同盟,国防軍創設)で対応しないで,外交ができるかどうかである)。

 

2013年

3月

29日

覚悟の問題ー人は殺生しなければ生きていけない

 

老人として,人なみに,深夜放送(ラジオ深夜便)を聴いています。別に寝つきが悪いわけではないのですが,習慣的に,イヤホーンを耳に入れたまま,興味ある話題だけ目覚めて,多くはうつらうつら,というわけです。3月初めごろの放送で,今期の深夜便エッセイコンクール入選作のアナウンサーによる朗読がありました。その中で気になったのが次です。

 

視覚障害者のAさん(女性)の体験ですが,Aさんの父親が,老人として,「胃ろう」を受けなければ,生きられない旨,医者から告げられました。Aさんは「胃ろう」について十分知らなかったので,ネットで検索しました(今は,視覚に障害があっても,点字,音声に変換してパソコンが利用できます)。そしたら,花子という12歳の少女(?)が胃ろうによって命をつないでいるという話がありました。迷っていたAさんには,12歳の少女が気の毒にと思うと同時に,一瞬,重要な情報だったのですが,実は後で分ったことは,胃ろうを受けたのは,犬であって,それは動物病院のホームページだったのです。Aさんにはそのことが最初は通じなかったのです。Aさんの父親は結局胃ろうは受けませんでした。(本文は,雑誌『NHKラジオ深夜便』3月号にあります。)

 

この話にどういう感想を持つかですが,私は,大いに違和感を覚えるのです。それは2つあります。

1)   情報が視覚障害者を誤解させるような書き方をされていたこと。もっと言えば,Aさんが間違って受け取ったのは,その情報が,犬に対しても,人に対すると同じような表現をしていたからではないかということ。

2)   (ここでは胃ろうに関してですが,)人と,動物と同じ扱いをしていること。もっと言えば,人の命も,ペットの命も,同等なものとして扱っていること。

要するに,このウェッブ情報は,同じことですが,その作成者は,①表現において,②生命の何たるかにおいて,人と動物を区別しない思考をしているということです。

 

人とペットを区別しないという,こういった傾向は,今日,一般的なようです。

例えば,私の家の前を,いわゆる犬の散歩族が多く通るのですが,その人たちは,たがいに行き会うと,自分の犬を指して,「この子は」など言うのです(これはペットに対する今では一般的な言い方ですが)。そういうのを聞くと,つい,突っ込みたくなります。「犬が子なら,その親である飼い主も犬か?」。でもよく見ると多くの場合,そうではありません。呼び方の問題は,言葉の綾として,それだけのことかも知れませんが,しかし,命の場合は,もう少し,ややこしい問題があります。

 

ペットの犬に胃ろうということは,(胃ろうとは,人間に対する医療技術であるとした場合,)犬の命と人の命を,同等としていることになります。また,事実,そういう感覚を持つ人は,今日,多いでしょう(命は一つ,命は何ものにも代えがたい)。しかし,人と,人以外の動物の関係は,ペットをかわいがって癒されるというようなのどかなものを超えて,もう少し,深刻なものです。それは,人は動物を食べて生きているという,事実です。屠殺場の,ブタに,ウシに,胃ろうをしたという話は聞いたことがありません。現実に行われているのは,延命の全く反対のことがらなのです。この事実の前で,犬の(ペットの)延命はつじつまが合うかということなのです。

 

つまり,動物には,一方に,出来れば延命したいほど大切な命を持つとされる一群と,一方に,命云々より食材であればよいという一群があって,そこに線引きがなされるわけです。ただ,その線をどこに引くかという問題と,その根拠です。上記のネットによる線引き,あるいは,今,一般的な,通俗な線引きでは,線の左に,人と,それに加えて,犬,猫,その他のいわゆるペットを,線の一方に,そして,もう一方には,ブタ,ウシ,ニワトリ,魚類,他の,食材である一群がきます(実際は,同じ,犬,猫でも,野良は,線から押し出されますが)。この線引きは,私には,恣意的で,人間中心の感情論,ご都合主義のように思えるのです。ペットの命は,人と同じように大切にしようとしながら,人は動物の肉を食している(つまり,ブタ,ウシの命は遠慮なく断つ),この二つは両立しないのです。

 

結論を言えば,私は,この線引きは,こちら側には,人だけ,動物は(ペットも入れて)はすべて,線外に置くべきだと思うのです。それは,人は,他の動物(獣や魚,あるいは植物も入れて,他の生命)の犠牲の上に生きているという事実によります。

人が他の動物を食するという事実は,決して,人間の権利や,特権などではありません。また,人は神の似姿として創造され,他はそのために存在するというようなことでもないのです。人が動物を食することは,そういった,本性上の,自然のことがらではなく,そうではなくて,人の覚悟の問題なのです。自覚してやるべきことなのです。そのようにして人間は生きるほかないという,覚悟なのです。本当は,他の生命を犠牲にすることなく,己の生命を持続できればよいのですが,そうはいかない。他を犠牲にすることを選ばなければいけない。だから覚悟の問題なのです。

 

だから,覚悟のない,犬や猫を,疑似人間として,こちらの仲間に入れてはいけないのです。好きだとか,かわいそうだという,感情の問題ではないのです。ことの重さを考えたら,勝手に自分の気に入ったもの(犬や猫)を選んで,自分の都合で,自分の領域にいれることはできないはずです(分りやすく言えば,ウシやブタに申し訳ない)。線引きが覚悟の問題であるなら,勝手に犬や猫を,人間の領域に引き入れてはいけないのです。

 

つまり,人という生命は,他の動物の生命を犠牲にしなければ生きていけない。一方で,人として,そういうことはしたくない,仏教で言えば,殺生戒ですが,この矛盾する2つを,どう調整し,納得するか,未だ解けていない大きな問題とも言えます。それについて,次のようなことが,とりあえず言えるように思います。

1)   殺生はなるべく最小にする(無駄な殺生はしない)

2)   殺生しなければ生きていけないという人の本質を,隠したり,ごまかしたりしないで,きちんと見つめる。

後者から出てくる結論が,殺生は覚悟,自覚の問題である,ことです。分りやすく言えば,自己責任の問題である。ですから,神が認めた,神に由来するとか,すぐれた種としての人間の権利(本性)である,ということではありません。また,何も考えずに,成り行き任せですむという,軽い問題でもありません。なぜなら,この線引きを,覚悟によるものとしてではなく,恣意的な,したがって,ご都合主義的なものとすると,(そのような形で,人間以外の者に対する殺生を曖昧にして置くと),今度は,線引きはご都合主義だから,人間の中で,生命を大切にしなければならない人間と,殺してもよい人間の区別がされてくるからです。

 

殺生が覚悟の問題であるとは,殺生をするなということでもなく,殺生を無闇としてよいということでもありません。自分の問題としてやれということです。(それが生きる力ということです。いっとき,初等教育で,生きる力の養成ということが言われましたが,いまも中心テーマかもしれませんが,それは,決して要領よく生きろということではなく,そういう場面で,自分の問題として,覚悟してやれ,ということだろうと思います)。ですから,人は,肉も食べますし,魚も殺します。しかし,それは,覚悟の上で,承知してやったことでなければなりません。

 

この文の最初の話は,殺生でなくて,その反対の延命でした。私が指摘したかったのは,人はともかく,ペットに延命をほどこすことに対する違和感でした(人と延命の問題はまた別な問題として残されます)。それは裏返せば,ウシやブタは殺しても,ペットは殺さないということに対する違和感です。それは,そこに,人間の覚悟が見えないということです。ご都合主義だけが見える,しかし,殺生とは,人が生きるということで(生きる力),それは,もっと根源的な問題なのです。要するに,動物を殺すについても,かわいがるについても,同様に覚悟を持ってやれ,ということです。

 

この問題をはっきりさせておかないと,例えば,人と犬が今,死に面しており,助けられるのは一つだけという場面で,迷いなく人の方を救うという強さが,でてきません。それが生きる力で,人間には必要なのです。感情の問題にしてはいけないので,これは,すぐれて,意志あるいは知力の問題なのです。その辺が,現今,曖昧になっている。それが違和感の元です。

 

ここまで述べたことは

1)   犬猫に延命をほどこすことにすると,同じ原理で,ブタ牛にも延命をほどこさねばならないことになり,そうすると,人は,動物を食することができないことになる。

2)   殺生は感情問題として論ずるべきではなく,人の覚悟の問題として扱うべきである。

3)   そこに,殺生は,人にとって避けられない,しかし,無闇と殺生はしない,という倫理が出てくる。

 

人と他の動物,あるいはもう少し大きく,人と動植物,人と環境が,どう折り合うかは,大きな問題です。しかし,ここまでの議論は,人と環境を,対立するものとしてとらえ,その上で,両者を人の覚悟の問題だとして,結びつけようとしているようです。もっと,直接,両者を調和させるような道はないのでしょうか。次の二つのエピソードを,参考に加えておきます。そこには,人と環境を分けておいて,くっつけるのではなく,根源的に一体のものとして捉える,ただし,感情に駆られて,全てを,分別もなく,どろどろとそこに流し込むのではなく,覚悟を持って,分別を持って,その上で,根源では一体とする,そういう姿勢が見えます。ついでに言えば,慈悲心とは,単なる同情のことではなく,この延長上にあるものです。

 

(1) 良寛さんにまつわる逸話です。

良寛和尚は昆布巻きの鰊が好物で,あるとき茶店でおいしそうに食べていました。そこへ,持戒堅固らしいお坊さんが入ってきて,それを見て,「出家がそのような生臭ものを食して,それでも仏弟子か」と強く非難しました。それでも良寛和尚は,さして驚いた風もなく「これはこれは」と頭を下げて,そのまま鰊を食べてしまいました。その夜に,偶然,その坊さんと良寛和尚は,同じ部屋の一つの蚊帳の中に泊まることになりました。蚊帳が破れていたらしく,蚊が入ってきて,それに蚤もいて,チクチクと刺す。その坊さんはひと晩中眠れなかったのですが,良寛和尚の方は熟睡している。次の朝,坊さんは良寛和尚に,「あなたは,あんな,蚊や蚤のなかで,よく眠れるものだ」といいましたら,和尚は,「わしは,食うのも平気,食われるのも平気」とニッコリほほ笑んで立ちさりました。(『岩本泰波先生記念文集』「食うも平気,食われるも平気―廻向の道理―」参照)

 

(2) かなり昔のNHKテレビのドキュメンタリー番組からの話です。

いささか,妙好人伝ふうの話ですが,ある山里で,Aさんは猟師を生業としていました。月に何日か山に入って,生活に必要なだけのイノシシを捉えて殺し,背中に背負って戻るという生活でした。一方,Aさんは,家の周辺に畑を作っていました。時々イノシシが山から下りてきて,作物を食って,荒らして戻って行きます。Aさんはそれを見ながら,「若い衆,ゆっくり食べて帰れや」と言って,追いもせず,邪魔もしませんでした。

 

2013年

3月

03日

3.11.について2年たって思う

 

3月と言えば,何と言っても震災を思い出すのですが,少し辛口に言えば,今度の震災への日本人,あるいは,人々の,対応(まだ終わってはいませんが)について,ああ,また,日本的というか,いつも通りだったなというのが私の感想です。ちょっと述べさせてもらいます。ただし,これは,被災の当事者についてどうこう言おうというのではなくて,この件に対する,日本人の反応,対応についての感想です。

 

その対応の手法は,

1)   感情的なところに(情緒的なところに)すべてを流し込んで,終了とする

2)   ことがらについてタブーを作る

ということです。

 

例えば,被災者は気の毒だ(それに違いはないのですが),命は大切だ,復興へ向けて一生懸命努力している,人々の絆の尊さ,何ものにも代えがたい生命,・・・,こういう感情的な土壌の中に,いわばバケツの中に,何の仕分けもなく,震災の全てを流し込んで,そういう感情を共有することによって,日本人全体としては,一件落着として,それ以上には進まないわけです。そこに安住してしまうことによって,自然災害とはどういうことか,どのようにして避けられるか,与えられた環境の中で人間にどこまで何ができるか,自然と人間の関係,こういう問題は不問に付せられるのです(こちらは,気の毒だ,頑張ろうだけで,自動的に解決する問題ではありません)。

 

一方,2)ですが,そこに,言ってはいけない発言というのが出てきます。被災者および被害について,同情以外のことは言ってはいけないのです。復興に努力している被災者に関して,「災難はままあるものだ」「人は誰しも,逆境に置かれれば,そこから逃れるべく,努力するのは当たり前だ」など言ってはいけないのです。そのことは一般論として正しいとしても,感情を逆なですると思われるからです。タブーですから。たまたま,今日の朝日新聞の夕刊に,谷川俊太郎の詩を毎月掲載する「今月の詩」という欄が,5年,60回続いてきたが,今月で終わるという記事がありました。それによると,60回の内,1回だけ,震災の翌月4月だけ休載にしたそうです。詩は出来ていたのですが,被災者の感情を配慮して,編集者の意見に従って,谷川も納得して,休載になったそうです。今回その詩も,そこに紹介されていました。これは,時期を考えて,当人も納得して,そして,2年経って,内容も掲載されたのですから,正しい判断であって,批判の対象ではありませんが,その配慮は,それなりに,タブーへの配慮なのでしょう。タブーをなくすことは,社会的には,難しいことなのです(よほど社会が成熟していないとできません)。

 

情緒的なところに閉じこもり,その外に出ることをタブーにすること。これによって,ことがらに対する情報を偏らせ,それに対する対策の幅を狭くさせます。本当は,情報は最初から選り好みせずに広くとり,対策はタブーなく自由に議論する(合理性と目的に対する功利性ですが),万事にこれが望まれるわけです。

 

同じようなことが,今度の太平洋戦争にもいえます。戦争中は皆苦労した,戦後は復興目指して頑張った,兵隊さんは国民のために命さえ指しだした,その自己犠牲の気持ちへの感謝,・・・。一方の陣営では,戦いは悲惨である,何があっても生命が失われることはあってはならない,と言われます。苦労した,頑張った,自己犠牲への感謝,生命喪失の悲劇,戦争の悲惨,そういった情緒的なところ(それは誰しも認める感情です)に,終わった戦争を流し込んでしまい,その外を言わせないから,戦争の真相が,その他の問題が隠されてしまうわけです。原爆でもそうです。「繰り返しません,過ちは」(すみません)で終わらせるから,ことがらはそれ以上進まないわけです。日本国憲法と天皇制についてもそうです。昭和天皇も今上天皇も,誠実な方であり,常に国民をやさしく見守って下さっている。そうかも知れませんが,それ以上はタブーで,そこで議論が終わってしまうのです。

 

東日本大震災での死亡者の方々は無念でしょうし,被災者の方の落胆,復興への努力は,何をどう言おうと,批判や,評価以前に,そのままあります。これは与えられた事実で,何とも仕様がありません。今回はたまたま東北であっただけで,明日は我が身です。これは厳しく言えば,当事者の問題です。もう一つの問題はこの災害を,広くどのように捉え,回復に向かって,合理的に,効率的に,どのように,有効な施策を創り出し,実行していくかです。それを邪魔しているのが,感情論とタブーの存在で,3.11.に関しても,またもや出てきた,日本的やり方かなと(もっと言えば,上に述べた,戦争や原爆も同様に,責任を曖昧にするべく,だれかが,謀略的にそう仕向けてしているのかなあなどと),「3.11.」後の2年を見て思うのです

 

2013年

2月

24日

ピダハンというアマゾンの少数部族,そして,ピダハン文化と信仰の問題

 

(承前)

前回のブログに述べたことは,以下であった。

 

今日,言語学において主流の,チョムスキー由来の理論では,「言語は,本来人間(人類)の根源的能力に由来し,その意味で普遍性を持ち,人間以外の他によらない,独立した,完結した体系である。その形態を普遍文法と言う。現実に個々の言語(文法)は,いろいろであるように見えるが,その違いは,普遍文法の枝分かれとして説明でき,通底する原理は一つであり,その意味でも言語は普遍性を持つ。」ということになる。

 

一方,この本の著者は,こうした演繹的,合理主義的言語理解に対して,言うところの実質に基づく言語理解を主張する。つまり,「言語はもっと広い人間の認知の中にあるものであり,アプリオリな普遍的文法などはない。類人猿を進化させたコミュニケーションの制約(ある定まった順番にしたがって口から現れてくる単語が必要であったり,ものや出来事を表わす単語のような単位が必要になったりする)と,特定の集団の文化から発生した言語がその文化から受ける制約とが,人間認知とあいまって生み出したものだ。」(翻訳書338ページ)と言う。ピダハン言語分析の結果として,ここに強調されるのは,言語は文化に規制されることである。ただし,もとより,ここでいう文化とは,文化一般,普遍的なもの一般的なものとしての文化と解釈すべきではなく(それでは元も子もないことになる),すぐれて個別的な,実際的な生活の仕方のことである。

 

さて,それでは,ピダハンの文化はどのようなものであって,著者は,何故,信仰を放棄したのか。前回,2)としておいた問題である。

 

まず,この本の範囲内で (私はそれ以外に情報を持っていない,そして,私の興味は,人類学的実証ではなく,ピダハン文化の私たちに示唆するものは何かである),ピダハンの文化の,つまりピダハンの生活の,具体相を,羅列しておきたい。それらを検討することよって,ピダハン文化は,我々の文化,生活と比較して,原理的,根本的に異質であること,また,我々の現今の生活において,あるいは行き詰まっている問題が,ピダハンの生活の中では,(つまり,ピダハンの文化を受け入れるならば,)問題にはならないという形で,解決されていることに,気付かされる。それは,また,現在の我々の生活の仕方(思考,道義,価値づけ,・・・)が,(通常思われているように)人間に普遍的なものなどではなく,したがって,そこで生じている問題にも普遍性はなく,ひとつのローカリズムに過ぎないことを示すものでもある。それは,我々の直面している問題に対して,ピダハンが与えてくれる,解決へのヒントでもある。

 

以下は,少々量が多いが,本文からの引用である(多少手を加えてある)。数字は翻訳本のページ。

 

       「何よりも印象的だったのは,みんなが,それはそれは,幸せそうに見えたことだ。どの顔も笑みに彩られ,ふくれ面をしているものやふさぎ込んでいる者はひとりもいない。」 14

 

         「ピダハン語には交感的言語使用が見られない。交感的言語使用とは,主として社会や人間関係を維持したり,対話の相手を認めたり,和ませたりする。(例えば,こんにちは,さよなら,ご機嫌いかが,すみません,どういたしまして,ありがとう等)。新しい情報を提供するものではなく,むしろ善意を示したり,敬意を表したりするものだ。ピダハンの文化はこうしたコミュニケーションを必要としていない(そういった交感は言語以前に成立しているのだから)。ピダハンの表現は,情報を求めるもの(質問),新しい情報を明言するもの(宣言),あるいは命令のどれかだ。」22

 

         (私の子供がマラリアにかかったとき)私と私が陥っている窮状にさして同情を示してくれない。この程度の苦しみは日常茶飯事であるということだ。(我々のように)必要な時に世界中のだれもが自分を助けるべきであると言わんばかりに振る舞ったり,身内が病気か死にかけているからといって日課をおろそかにしているところを見たことがない。しかし,ピダハンが死に無頓着という訳ではない。」 84

 

         「(交易相手から酒を振る舞われ,酔って騙されることがあったので,飲酒を注意したとき)ピダハンは,お前たちにいてほしい。だがおれたちに指図はするなと,言った。」98

 

         「ピダハンには身を守るための壁はない。村そのものが身を守る盾だからだ。村の住人は誰でも必ず同じ村のメンバーを助けに来る。またピダハンには,富を誇示するための家も必要ない。ピダハンの財産は平等だからだ。プライバシーを保つ必要もない。プライバシーに重きを置かないのだ。」104

 

         「ピダハンは道具類をほとんど作らないし,芸術作品はほぼ皆無,物を加工することもまずない。加工品を作るにしても,長く持たせるようなものは作らない。例えば何かをはこぶために籠が必要になったら,その場で濡れたヤシの葉で籠を編む。一回限りの使用のために。」「ピダハンはネックレスを作るが,それは,主に悪霊を退けるためであり,飾りという意識と美しさはおまけ程度。」106

 

         「ピダハンは狩りや漁をしたら,獲物はすぐに食べきってしまう。私たちのように加工してとっておくことはしない。食べ物というものが私たちの文化ほど重要視されていない。ピダハンは毎日は食べない。ピダハンは空腹を自分を鍛えるいい方法だと考える。日に一度か二度,あるいは一日中食事をしないことなど平気の平左だ。」(要するに,満腹状態が人間のあるべき状態とは考えない,飢えた状態が通常なのだと考える)110

 

         「ピダハンには食料を保存する方法がなく,道具を軽視し,使い捨ての籠しかつくらない。将来を気に病んだりしないことが文化的な価値であるようだ。だからといって怠惰なのではない。ピダハンはじつによく働くのである。」113

 

         「私は次第に,ピダハンは未来を描くよりも一日一日をあるがままに楽しむ傾向にあると考えるようになってきた。将来より現在を大切にするため,ピダハンは何をするにも,最低限必要とされる以上のエネルギーをひとつのことに注いだりしない。」113

 

         「儀式というものにおよそ欠けている。死人の埋葬はする。それは実務的で,儀式ではない。埋葬の仕方はその場に合わせて,腐り始めるのを避けるという合理性の所産であり,儀式ではない。性と婚姻にも儀式はない。儀式に近いと言えるとすればそれは踊り。踊りは村を一つにする」20

 

         「ピダハンはどんなことにも笑う。自分の不幸も笑いの種にする。風雨で小屋が吹き飛ばされると,当の持ち主が誰よりも大きな声で笑う。魚がたくさん獲れても笑い,全然獲れなくても笑う。・・・私が思うに,ピダハンは環境が挑んでくるあらゆる事態を切り抜けていく自分の能力を信じ切っていて,何が来ようと楽しむことができるのではないだろうか。だからといってピダハンの生活が楽なわけではない。そうではなく,ピダハンは何であれ,上手に対処することができるのだ。」122

 

         「ピダハンはごく限られた範囲しか親族と見なさない。親族を表わす語は数語しかない。親,親の親,同朋,息子,娘。いとこはない。近親婚の禁忌は狭い。」(要するに,3代も4代も前の先祖などには,会ったことも,実質的な関係もないから)124

 

         「ピダハンたちは全員が親しい友人に見える。これはひょっとしたら,肉体的な接触の濃さに関係しているのではないかと私は睨んでいる。離婚に対して後ろめたさがなく,比較的簡単に夫婦別れをすること,踊りや歌に乗じて乱交すること,思春期前後からあまりためらいなく性行為を試していることを考え合わせると,多くのピダハンが多数のピダハンと性交している割合がかなり高いと推測しても,的外れではない。ピダハンの関係はもっと規模の大きな社会にはない親密さによって成り立っていると考えられる(性交する者同士が同居する社会)。想像してみてほしい。同じ町内に住むほとんどの隣人と性交渉があり,社会全体がそのことを善悪の基準でみるのではなく,たんにありきたりの人生のひとこまと見なすとしたら―たんにいろいろな料理を試食してみたとでも言うように。」126

 

         「子どもが,母親の前で,焚火に近づいた,そして,火傷をした。母親は,乱暴に子どもを抱き起し,しかりつけた。普段子どもを慈しんでいる母親が,事前に注意しないで,結果が起こってから叱る。」

         「ピダハンには赤ちゃん言葉がない。子どもは一個の人間であり,成人した大人と同等に尊重される価値がある。子どもは世話したり,特別に守ってやらなければならない対象ではない。」

         「子どもはケガすると叱られる,そして泣くと,母親はぶっきらぼうに危険から引き離す。ただ,どの親も“かわいそうに,ごめんなさいね”などは言わない。」

         「ピダハンの子育ての哲学の根底には,適者生存のダーウィニズムがある。このようにして育てられた子供はいたって腹の据わった,それでいて柔軟な大人になり,他人が自分たちに義理を感じるいわれがあるとはこれっぽっちも考えない。ピダハンは,一日一日を生き抜く原動力がひとえに自分自身の才覚とたくましさにあることを知っているのだ。」129

 

         「ピダハンでは,出産時は親が付き添って手助けする。たまたま親が来られずに,川べりで一人で出産した女性がいた。難産だった。誰も助けなかった。その結果,妊婦も子も死んだ。ピダハンは,人は強くあらねばならず,困難は自分で切り抜けなくてはならないと信じているゆえに,婦人と子を見殺しにした。」130

         「ある母親が,子どもを産んで,しばらくして病気で亡くなった。ピダハンは,“赤ん坊は死ぬ,乳をやる母親がいない”と言って,助けなかった。それで著者一家は,その赤ん坊を,人口ミルクで育てようとして,ある程度回復させた。しかし,著者のちょっとの留守の間に,ピダハンは赤ん坊を死なせた。ピダハンには,死が見えるのだ。また,彼らには,こういった赤ん坊を無理に生きさせるのは,子どもの苦しみを長引かせるようにしか見えなかった。」135

 

         「だが私の子育ての手本には,しつけや暴力があった。ピダハンの子育てには原則として暴力は介在しない。その結果ピダハンの若者は傍若無人だ。マナーもない。破天荒である(だからといって実際に何か困ることがあるのか)」

         「しかし,ピダハンの若者には引きこもりはない。自分のとった行動の責任から逃げようとしたり,親の世代とは全然違った生き方を模索したりということもない。働き者で,生産的な部分では社会に順応している。若者からは,青春の苦悩も憂鬱も,不安もうかがえない。答えを探しているようには見えない。答えはもうあるのだ。新たな疑問を投げかけられることはない。」143

 

         「ここには創造性と個性という西欧において重要な意味をもつ要素は停滞しがちだ。文化の変容,進化を大切に考えるなら,この真似は出来ない。しかしもし,自分の人生を脅かすものが,知る限りにおいて何もなくて,自分属する社会のみんなが満足しているなら,変化を望む必要があるだろうか。これ以上どこをどうよくすればよいのか。」143

 

 

         「人生は素晴らしい。一人ひとりが自分で自分の始末をつけられるように育てられ,それによって,人生に満足している人たちの社会が出来上がっている,この考え方に異を唱えるのは容易ではない。」143

 

         「さらに,怒って当然なことをされたときでも,ピダハンは忍耐強く,愛情たっぷりに相手のことを理解しようとする(酔った兄弟に自分の犬を殺された弟) 144

 

         「ピダハンの社会では暴力は容認されない。」149

 

         「ピダハンの世界には公的な強制力はない。警察も,裁判所もなく,首長もいない。だが強制は確かに存在する。その形は,村八分と精霊である。村八分は孤立を招き,生きていけない。精霊はああしてはいけなかったとか,こういうことをしてはいけない,と村人に告げる。村人のなかの誰か一人を名指すこともあれば,全体に話しかける場合もある。」159

 

         「図形を描くに当たって,正しい図形とは彼等にとって全く無縁の未知なる概念である,数がない。色名がない。感知した色を,色彩感覚の一般化にしか用いることのできない融通のきかない単語によってコード化することをしない。」170

 

         「人々は経験していないできごとについては語らない―遠い過去のことも,未来のことも,あるいは空想の物語も。」174

         「イピピーオという言葉は,ピダハンの価値観に共通する一つの顔をもたらしてくれた。その価値観とは,語られるほとんどのことを,実際に目撃されたか,直接の目撃者から聞いたことに限定するものであるらしかった。」184

 

         「ひとは自分の夢の目撃者である。ピダハンにとっては,夢は作りごとではない。目を覚ましているときに見える世界があり,寝ているときに見える世界があるが,どちらも現実の体験なのである。」

         「夢と覚醒のどちらも直截な体験として扱うことで,ピダハンは,私たちにとってはどう見ても空想や宗教の領域でしかない信仰や精霊という存在を,直接体験として扱うことができるわけだ。もし私が,自分の抱えている問題を解決してくれる精霊を夢に見て,夢が覚醒しているときの観察と質的に同じものだとすれば,夢の中の精霊はわたしにとって直接的な体験である。」186

 

         「数とか勘定とは,直接体験とは別次元の普遍化のための技能だからだ。数や計算は定義からして抽象的なものだ。対象を一般化して分類するのだから。だが,抽象化は実体験を超え,体験の直接性という文化価値を侵すので,これは言語に現れることが禁じられるといことだ。」187

 

         「ピダハンは食料を保存しない。その日より先の計画は立てない。遠い将来や昔のことは話さない。どれも今に着目し,直接的な体験に集中しているからではないか。」187

 

         「ピダハンの言語と文化は,直接体験でないことを話してはならないという文化の制約を受けているのだ。その制約とは,叙述的ビタハン言語の発話には,発話の時点に直結し,発話者自身,ないし発話者と同時期に生存していた第三者によって直ちに体験された事柄に関する断言のみがふくまれる。」187

 

         「自分たちが話している時間の範疇に収まりきることについてのみ言及し,それ以外の時間に関することは言及しない。」

         「血縁関係も直接出会える者に限られる」

 

         「歴史や,創世神話,口承の民話の欠如」189

         「繰り返し語られる物語として,ピダハンにも大事にされている物語はある。例えば,ジャガーとの遭遇を描いた物語,出産で死んだ女性の物語。それはある意味では神話であるが,そうだとしても,ピダハンの神話には,現存する目撃者のいないできごとは含まれない。神話に実証を要求する。物語が語られるときは,その時点で生存している承認が必要なのだ。絶対神や創造神という考え方はない。」191

 

         「ピダハンが見ているのは目に見えない精霊ではない。我々を取り巻く自然の中に実在するものの形をとった精霊なのだ。ピダハンはジャガーを精霊と呼び,木を精霊と呼ぶ。ピダハンが口にすることはすべて,実際に体験できるものでなければならない」190

 

         「ピダハンが精霊を体験しているというとき,彼等が何事かを体験しているのは事実であり,それをピダハンは精霊と名づけている。その体験に精霊という呼び名だけではなく,ある性質を結びつける。そのような存在や,血液がないといった性質は,一つ残らず正しいかと言えば,正しくないと言い切れる。けれども私たち西洋人も日常的に多くの正しくない経験をしている。」200

 

         「けれどももしもピダハンの神話が直接経験の法則にしたがわねばならないならば,世界の多くの聖典,つまりキリスト教の聖書も,コーランも,ヴェーダも,ピダハン語に訳したり,ピダハン語で論じたりすることはできない。なぜならそうした聖典には生きた証人の存在しない物語が数多く含まれているからだ。だからこそ,これまで,300年近くかけても,伝道師たちがピダハンの信念を少しも揺るがすことができなかったのだ。アブラハムの物語に現存する目撃者はいない。」201

 

         「外部の事物を会話に取り入れないといことだ。例えば,ピダハンは,煉瓦の家づくりについて話さない。煉瓦で家を作らないからだ。(アメリカ人が幽霊について話さないように)」

         「ピダハンは外国の思想や哲学,技術などを取り入れようとしない。借り入れることはあるが。」284

 

         「自分たちの文化に位置付けられていないもの,他の宗教の神々や西洋的な黴菌と言ったものを話題にすることは,ピダハンに生き方やものの考え方の変革を迫る。だから彼らはそうしたことを話さない。」284

 

         「夢と日常は,ほぼ同じ領域なもの,同じように体験され,目撃されるものとしてとらえているのだ。」299

 

さて,以上をまとめて,いささかの一般論である。ピダハンの文化に原理的なものとして,次の3項目があげられよう。

1)   直接体験の原則(直に体験したことでない限り,それに関する話は無意味になる,語られることは実際に目撃されたか,直接の目撃者から聞いたことに限定される。ただし,直接体験あるいは直接経験といっても,科学や初歩的哲学でいうような,知覚,感覚による対象認識を指すというようなものでない。前半に述べたように,そこでは,精霊も,夢も,私たちのいわゆる実在と同じように,直接体験されるものであり,したがって,同等に真実,実在なのである。)。

2)   「イビピーオ」という語の意味するもの,その語の象徴するもの。(知覚あるいは経験の範囲にちょうど入ってくる,もしくはそこから出て行く行為を示す。つまり,そこには,知覚,経験の内側と外側の境界線が前提とされ,それを,著者は,「経験識閾」と名づけるが,ピダハンは,徹底して,その内側で生きる)。

3)   エソセリック・コミュニケーションの成立する世界(話し方や,話題にされることが,比較的狭く限定される,ピダハンのものの考え方を揺るがせることのない事物に特化された,外部から分り難い世界)

 

第一に,ピダハンは,徹底して,直接体験によって与えられる事物の範囲内で,経験識閾の内側で,エソセリックな世界の中で,生活する。その外のものは,無関心の対象,存在しないものであり,したがって無なのである。

 

こういった原則に従って,私たちの世界では存在するとされ,さらに言えば,むしろ,重視されるものものであるが,ピダハンの世界では否定されるものがある。以下がそうである。

1)   抽象的な,あるいは,イデア的な存在物,(言語的に言えば,語に階層があるとして,上位の階層に所属するような語に対する対象物,例えば,抽象名詞,数の概念,色の名前,の対象・・・),

2)   社会関係についても,直接経験の対象でないもの(3代を超えるような血縁,外国人,正義,・・・)

3)   時間的に直接性を超えるもの(歴史,過去,未来,・・・),

4)   創世神話,民話,そして,おそらく,原理原則,倫理,道徳,身分,差別,・・・・。

 

第二に,直接体験の世界は,狭い,有限の世界である。そこには一般論が成立しない。エクソセリックな(exoseric,部外者にも理解できる)世界に対して,エソテリック(esotericな,内輪の)世界である。そこで重要な視点は,ピダハンは,そういう世界を選んだというのではなく,ピダハンにとっては,その外の世界がないのだから,その世界しかないということである。ピダハンの文化(世界)は,ピダハンにとっては唯一のものであり,選んだのではない与えられたものである,それ故,こうしたエソテリックな世界は,内部に一体感があり,相互に親しい,共同,平等,の世界になる。

 

そして,今自分が生きているその世界しかないこと,生きることは選択の問題ではないことが,生きることにおいての,善かろうが悪しかろうが,与えられた条件(自然環境,死,苦,・・・)を素直な受け入れるという,ピダハンのありのままの生活の仕方に通じるのである。

 

まとめて言えば,ピダハンの文化は,有限性の世界に(第一の特性),ローカルに生きる(第二の特性),生きている世界の拡大(無限への志向),普遍化を目指さない,そういう文化である。

 

翻ってみれば,私たちの文化は,ピダハンと反対に,直接体験の世界を超えて,抽象的思考を展開し,世界をその方向に広げ,そして,その複雑さの中で,解けもしない難しい問題を創り出し,解こうとして,アポリアに陥ってきた。同時に,領域的にも,世界をより大きなものにし(これは,大きな世界に入れることによって,問題を小さくしようという意図かもしれない),その中で,世界を持てあましてきた。ピダハンは,小さい確実な世界を維持し,外の世界を認めない。

 

両者は,一方が普遍で,一方が奇異である,一方が正しい,一方は間違っているという正誤の違いではなく,文化の違いなのである。私たちは,私たちの世界を,科学的,合理的な普遍的世界であるとみなしている(と思い込んでいる)。しかし,科学とか,合理性とか,普遍とは,ローカリズムであり,特定文化なのである。科学や合理性や普遍の中に文化が成立し,合理性,科学に従ったものが正しく,他は誤りであるというわけではない。

 

もう一つ,我々にとって大切なポイントは,以下である。我々は望むと望まずにかかわらず,(ある)文化の中に生きている。その際の文化とは,ただ一つの,普遍的文化であるのか,相対的にいろいろな文化があるのかという問題である。我々が生活している中で,何か問題が生じたとしよう。前者の立場を取れば,その問題は,普遍的である一つの文化の中で生じた問題だから,普遍的である一つの文化の中で解決しなければならない。後者の立場を取れば,問題はある文化の中で生じたものであったとしても,その問題の解決を,その文化の中でやらなければならない場合と,後者の場合は,文化には他の可能性もあるのだから,そこでうまくいかなかったとしても,それを他の文化の中に入れることによって,他の文化の中では,問題の意味が変わることによって解決されたり,あるいは,他の文化の下では問題すらならない問題として消えてしまうという形で解決されることもあるのである。つまり,たとえば,私たちの現行の文化におけるある種の問題は,ピダハンの下では,問題にすらならないとして,解決されているということもありうるのである。

 

言語は文化に規制されるという著者の主張は,「文化」は,「認知や言語,あるいは,人間自体」という,普遍性の中のことがらではないことを意味し,逆に「認知や言語や人間自体」が「文化」の中のできごとであること,そして,さらに,それに従って,文化の本質的な相対性にまで行きついた。これがこの書物の,結論である。文化の相対性についての主張の要点を,さらに示すべく,本文から引用して,補足としておきたい。

 

         「自分自身が親しんだコミュニケーション上の約束事の立場から物事を見ようとする。それは,科学でも,夫婦,親子,上司と部下というような,仕事家庭の領域でも起こる問題だ。私たちは対話の相手が何を言っているか大抵分っているつもりだが,よくよく調べてみると,かなりの部分を誤解しているとわかることがある。

         「私たちは様々な仮定を前提としてしゃべっている。」343

 

         「知識とは,経験が,文化と個々人の精神を鏡にして解釈されるものだ。知識は自分自身の体験の説明であり,最も有効な説明が知識であると考えられているわけだ。」344

 

         「私たちは誰しも,自分たちの育った文化が教えたやり方で,世界を見る。」346

 

         「私たちはたいてい,自分の知識は携帯可能だとかんがえている。サンディエゴにて感じ,学んだ世界に関する知識が,デリーに行っても完全に通用するものだと。しかし私たちが知っていると考えることのほとんどはきわめて地域限定的な情報であり,地域に根差した視点で得られたものでしかない。」360

 

         「私たちに残されるのは,言語を回転させる機構に過ぎない文法よりも,世界各地のそれぞれの文化に根差した意味と,文化による発話の制限とが重要視される理論だ。」361

 

そこで,最後に,著者の,キリスト教信仰はどうなるかである。

著者は,次の過程を経て,信仰を捨て,無神論者になった。

 

         「ピダハンには,外のものであるキリスト教の教理は,全く興味がない。ピダハンは言う“だがおれたちはイエスはいらない”,“イエスと言う名の男がいて,彼は他の者たちに,自分の言った通りにふるまわせたがっている”」368

 

         「著者の信仰告白(そこには継母の自殺という悲惨な出来事も含まれていた)に対して,自殺などはばかげているとして,爆笑。私の愛する誰かが自殺したとしても,ピダハンが私たちの神を信じる理由にはならない。」

         「私は,彼らに無意味な生き方をやめ目的のある生き方を選ぶ機会を,死よりも命を選ぶ機会を,絶望と恐怖ではなく,悦びと信仰に満ち足りた人生を選ぶ機会を,地獄でなく天国を選ぶ機会を,提供しに来たつもりでいた。」366

         「幸せで満ち足りた人に,あなた方は迷える羊で,救い主たるイエスを必要としているのだと得心させることの困難」369

 

         「私が,ピダハンのところにもってきた神聖なメッセージが世界のどこに行っても通じるものだと決め込んでいた自信は,実に根拠など全くなかったということだ。ピダハンは,人の手など借りずとも,自分のことは自分で守れるし,守りたい人だ。」373

 

         「ピダハンには罪の観念はないし,人類やまして自分たちを矯正しなければならない必要性は持ち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死後の恐怖もない。」375

 

         「直接体験の原理によれば“イエスはどんな容貌だ,おまえは見たことがあるのか,どうしてそいつの言葉をもっているのだ。”となる」368

 

         「私は次第に,現代生活の最も基本の部分にある,真実そのものの概念も問い直し始めるようになった。というより,私は自分が幻想の下に生きていること,つまり,真実と言う幻想の下に生きていると思うに到ったのだ。」

 

         「ピダハンは断固として有用な実用性に踏みとどまる人々だ。天国も地獄もない。彼等は私たちに考える機会を与える。―絶対的なものがない人生,正義も神聖も罪もない世界がどんなところであろうかと。―そこに見えてくる光景は魅力的だ。」

         「信仰と真実という支えのない人生を生きることは可能だろうか。ピダハンはそうして生きている。」378

 

         「ピダハンはそうして生物としての心配ごとにもとらわれずに生きている。なぜなら,一度に一日ずつ生きることの大切さを独自に発見しているからだ。ピダハンはただたんに,自分たちの目を凝らす範囲をごく直近に絞っただけだが,そのほんのひとなぎで,不安や恐れ,絶望といった西洋社会を席捲している災厄のほとんどを取り除いてしまっているのだ。」378

 

         「どうか考えてみてほしい。 ― 畏れ,気をもみながら宇宙を見上げ,自分たちは宇宙のすべてを理解できると信じることと,人生をあるがままに楽しみ,神や真実を探求する虚しさ理解していることと,どちらが理知を極めているかを。」379

 

         「ピダハンは,自分たちの生存にとって有用なものを選び取り,文化を築いてきた。自分たちが知らないことは心配しないし,心配できるとも考えず,あるいは未知のことを全て知り得るとも思わない。その延長で,彼らは他者の知識や回答を欲しがらない。彼らの世界観―ピダハンの日常生活のなかから培われてきた生き生きとした世界観は,私が自分の人生と,たいした根拠もなく抱き続けていた信念とを振り返ってみたときに,途方もなく役に立ち,また得心させてくれるものだった。今こうして私があるのは,神の不在をなんらの動揺することなく受け入れられていることも含めて,少なくとも部分的にはピダハンのおかげだといって間違いない。」378

 

         「天国への期待や地獄への恐れを持たずに生と死に向き合い,微笑みながら大いなる淵源へと旅立つことの尊厳と,深い充足とを示してくれた。」7

 

信仰には3つある。

第一は,心理的信仰。いつか自分は幸せになると信じているの類である。第二は,倫理的信仰。信仰によって,罪や絶望の淵から,正しい生き方,至福に達しようとするものである。その前提には,現状の世界,生き方は,不完全なものだという前提がある。この本の著者が捨てたのは,倫理的信仰であったと言える。

 

しかしその他に,第三に,論理的信仰というものが考えられる。それは,この本の文脈に添って言えば,すべては文化(生活)に相対的だと承知した上で,特定の文化(生活を)受け入れ,受容して生きること,である(私の言葉で言えば,開かれた全体を意識し,その中の一部として生きること)。信仰とは,ある生を受容すること,選択ではなく与えられてそこに生きることなのである。文句を言わずに,選ばずに(例えば,ピダハンのように)。これをなぜ論理的と呼ぶかと言えば,心理も,倫理も人間的な範囲のことがらであり,そこに自己意識が関与するが,受容は置かれている構造の問題だということである。信仰とは生きることであり,生きるとは,構造を(論理を)受容することなのである。その点はまた改めて述べたい。

2013年

2月

23日

ピダハンというアマゾンの少数部族,そして,ピダハン語と言語の普遍性

 

ダニエル・L・エヴァレット著『ピダハンー言語本能を超える文化と世界観』(屋代通子訳,みすず書房,2012.3.刊)を読んだ。 

原著は, Daniel L. Everett; Dont sleep ,there are snakesLife and Language in the Amaonian Jungle2008 である。

著者は,伝道者,言語学者として,南米アマゾンの奥地のピダハン族の言語に習熟し(今日ピザハン語を話す者は400人を割っている),聖書をその言語に翻訳するミッションの下に,家族ぐるみ,ピザハン族の移住地に,断続的に30年に渡って住んだ。その結果,著者は,ピダハン語の権威として言語学者としては業績をあげるが,キリスト教の信仰は捨てることになる。

 

取り上げたいことは,二つある。

1)   ピダハン語研究の成果として得られた,著者の言語観。(普遍文法というチョムスキー派の言語観に抗するものとしての)

2)   著者に信仰を放棄させ,これまでの世界観に動揺を与えたものは何か

 

1)について,著者は,人間性,理性の尊重につながる,言語の普遍主義に対して,文化という概念を導入し,言語は,文化によって規定されるとする。もとより,ここでいう文化とは,普遍としての文化一般ではなく,具体的個別的な文化である。文化はもともと個別的である。

 

言語学,言語哲学の,一つの課題は,認知と文法の関係をどう捉えるかであった。文法とは,言語使用において,意味から始めて,語を,句や文章や,物語,会話に組み立てていく,その組成力,結果的には,そこに成立する語の構造のことである。認知とは,思考のために必要な大脳ないしは精神の仕組み,あるいは,思考そのもののことである。

 

両者の関係として,まず,次の2つが考えられる。

一つは,「認知→文法」。つまり,「文法は認知によって支配される」。認知は,人間の認識能力であり,「人間は理性的である」とすれば(正確には「人間は理性的であるべきだ」ということであるが),認知とは究極には理性に基づくものであり,そういった考え方の上で,文法,言語は,普遍性を持つものになる。それを普遍文法と呼ぶことにする(それは,比較的少数の原則とパラメーターで記述できる)。チョムスキーの立場である

 

もう一つは,「文法→認知」,つまり,「文法が認知を支配する」という立場である。サピア,ウォーフの言語相対論に代表されるもので,それは,1950年代を中心として,刺激的な議論であった。「言語は我々の認知作用に影響する」,「思考は言語の境界を越えられない」,「私たちが世界をどう見るかは言語によって構築され,我々が見ているものが何であり,それが何を意味しているかを教えてくれる言語というフィルターなしに感じられる現実世界などというものは存在しない」(サピア)など言われる

 

チョムスキー派は,言語を認知の中に置いた上で,認知を人間理性に基づくものとして普遍的とする。したがって,言語も(なかでも文法は)普遍的なものになる。そこでは,個々の言語の違いは,一つである普遍性の現れ方の違いとして体系的に説明される。サピア,ウォーフは,逆に,認知を言語の中に置いた上で,言語は様々だから,したがって,認知も様々だとするのである。(認知が違うことは対象(自然)も違うことである)。

 

以上は,認知と言語の関係であるが,これに対して,著者は,ピダハンの言語の実証的研究から,言語を普遍的なものとして捉えるのでなく,それぞれの言語を成立させる要因として,新たに,文化という概念を導入し,「それぞれの言語,つまり,民族文法,文法形態はそれぞれの文化によって構築される」という視点を示す。「文化→言語」である。(ただ,文化について,著者は,実例は色々あげているので,それによって何を示そうとしているかは,それなりに分るのだが,定義は与えていない。文化とは何かの検討は,次の課題である)

 

こういった著者の見解を裏付けるものとして,言語学的な,実証的な基礎の上に,次が示される。

1)   現行の言語学では,音韻については,一般論が成立しており,音韻についての議論はその中で十分に行われ得ることになっている。ピダハン語には,音素が少なく,言語として不十分に見えるが,しかし,音韻論とは別な要件によって,単語の識別が十分にでき,言語が言語として成り立つ。それは,音素以外に,コンテキストと音調という,二つの言語(音韻論)外のもの,(つまり,文化)が働いているからである。

2)   言語において決定的なものは,文法ではなくて,語の意味である。意味とはその語の使われ方である。意味を決めるのは,一つの語や文の,使われ方,他の語や他の文との相互関係,そして,その語や文が世界の中でどのような事物を指示しているかを話し手がどう捉えてかなどである。「ある言葉を使うとは,特定の文脈,すなわち,ある言葉がどのように使われるべきかということを含め,話し手と聞き手が共有している背景や,その特定の言葉とともに使われるべき言葉を選ぶことである」。それらの要素は,いわば,言語外の,文化と呼ぶものに関わる。

3)   ピダハン語には,言語の文法として,どの言語にも普遍的に存在すると思われている,再帰構造,(修飾,関係節,接続詞の使用など,言わば入れ子構造,これによって,言語は無限に広がる),転移(語順の転換,例えば,疑問文や,強調文)が,ない,あるいは,重視されていない。ただし,それは,言語に,文法としてないということで,それに対応する内容をピダハン族は理解しないということではない。例えば,ピダハン語には数詞がないが,それは,我々が勘定と呼んでいるような行為をピダハンはしないということではなく,数詞を使って,我々のようにはしないということである。つまり,文化というものが,生活が,言語の形態に先行するということである。一般には,認知,言語が,普遍的,絶対的なものとして,そこにあって,その中で,文化とか生活は成立するとされるが,それは逆で,文化,生活の一部に,認知,言語が存在する。

 

以上,中心的話題は,「認知―文法―文化」の3つの概念と,その関係ということになった。ただここでの,認知,文法,文化という言い方は,少し狭い言い方だと言える。私は,哲学の議論として,もう少し大胆に,この3項を,「世界―言語―生活」と言い直して,拡大して解釈して論じてみたいのだが,ここでは言語学の議論として,いわば,実証的に,禁欲的に言葉が,選ばれているのである。

 

正三角形(△)をイメージしてほしい。そして,上の頂点に「文法」を,下辺の左の頂点に「認知」,右の頂点に「文化」を当てはめた3項関係を考える。

 

まず,文法とは,拡大解釈すれば,言語のことであり,言語には(言語は,単なる,インクのしみ,音波ではないから),その裏に,観念,あるいは,観念の体系がある

 

次に,認知とは,この本では,認知として限定的に認知行為のことを指しているが,認知とは,対象世界,自然あるいは世界の認知であるから,認知の裏には,対象,自然とよばれる世界がある。

 

文化については,著者は明確な定義はしていないが,ある意味で抽象的な,芸術的な嗜好や,テーブルマナーのことを主に指しているとは思えないので,基本的には,日々の生活,生活の仕方,のことと言ってよい。

 

つまり,この三角形は,拡大解釈すれば,<文法=言語=観念>,<認知=自然=世界>,<文化=生活>の3つのグループから構成されることになる。この3者の関係は,哲学として,根本的な問題である。

 

そのように拡大解釈した概念が裏にあることを承知した上で,  

 「 文法 ⊆ 認知 」 ―① がチョムスキーの立場であり, 

「 認知 ⊆ 文法 」 ―② がサピア,ウォーフの

「 文法 ⊆ 文化 」 ―③ が著者の主張である。

②と③を結びつけると,「認知 ⊆ 文化」―④,となる。これは,「自然(世界) ⊆ 文化」 のことでもある。(もとより,②,③を言語学として主張するには,さらに実証が必要であり,特にサピア,ウォーフの言語相対論は,今日は一般的には受け入れられてはいないようだが,著者は,好意的であるように読める。)

 

以下は,私の拡大解釈であるが,チョムスキーの普遍主義を拒絶し,ウォーフの言語相対論を受け入れた上で,この著の,「言語は文化の一部である」という主張を認めるならば,言語(観念体系)も,認知(自然,世界)も,文化(生活)の一部であるということになる。つまり,言語も,世界も,生活の中のできごとであるという解釈である。あるいは,サピア・ウォーフを通さずに(言語を経ずに),認知は文化に規制される,認知は文化の一部である(「認知⊆文化」)と直接論じることもできる。いずれにせよ,論証過程や,実証を,とりあえず棚上げして言えば,この著のテーゼは,「認知も,言語も,文化という出来事の一部である」,これは,文化一元論,生活一元論ということになり,普遍的なもの,アプリオリなもの,確定されたもの,原理的なもの,を否定したいという志向から言えば,魅力的な主張なのである。ただし,ここで,文化とか生活を,一般化したり,実体化したりしては,話はまた,別になってしまうのだが。

 

ピダハンの言語の分析と,言語の一般論の中で,普遍主義の否定,これがこの著の,刺激的な主張の前半である。

2013年

2月

17日

武道,スポーツについて,日経ビジネスから

  13.2.17.の「掲示板」記事の続き

その1

日本社会=体育会体質/爲末大学

www.nikkansports.com 

 

僕は体育会的体質は、実は日本社会的体質とも言えるのではないかと思っている。歯を食いしばり苦しみに耐え、指導者に必死でついていき、熱い思いで勝利を目指す。そういう姿を社会はスポーツ界に期待して、そしてスポーツ界もそれに応えていた。 

 

 いわゆる体育会的性質とは、礼儀正しく、限界を作らず、忍耐強く、空気を乱さず、上には逆らわず、熱意を持って動く。日本のスポーツ界は、こういった資質を持つ人間を育てる仕組みとしてはすごくうまく機能していて、ある意味で日本社会に最も適した人材育成の役割をスポーツが担っていたのではないか。
 でも時代は変わりつつある。グローバル化により年齢や地位を恐れず、自分の考えを主張し、議論できるタイプの人間が必要とされるようになった。イノベーション(物事の新機軸)やクリエーティビティ(独創的なアイデア)が必要とされ、無理やり1つの型にはめ込もうとする教育に抵抗が強くなった。そして1人1人の権利が重要視されはじめた。そういう社会の流れにスポーツ界はついていけていない。
 

 

 体罰は禁ずるべきだが、もっと深いところに問題の本質はある。これからは人間を型にはめて管理しやすくする教育観から、個人の権利と個性を尊重し、生かす教育観にスポーツ界も意識を転換すべきだ。むしろスポーツの世界から日本社会をリードするような理念を打ち出してほしい。指導者も選手も本当は日本をスポーツで豊かにしたいという同じ思いを持っているはずだ。どうか今回の事件を、世界に胸を張れる新しい日本スポーツ文化を生み出すきっかけにしてほしいと、強く願っている。

 

その2

「日経ビジネスオンライン」217

「オリンピック選手に体罰が行われる謎を解く」

(甲野善紀×小田嶋隆 アウトサイダー対談)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20130212/243601/?bv_rd

原子力ムラならぬ柔道ムラ状態

小田嶋:柔道女子日本代表の園田隆二監督が、女子選手たちに対して暴力を振るったとして辞任しました。131日に行われた記者会見の中では、「あなたの指導法は特殊なのか」という質問に対して、「柔道界で選手を叩いているのは私だけなので、特殊だと思います」と答えた。まずこれに、ものすごく違和感を覚えた。

甲野:そもそも、質問自体が「聞くだけ野暮」というものです。あのように答えたのは、園田監督が(柔道の世界の)「仁義だけは守ろう」としたという事でしょう。

小田嶋:柔道界としては、「トカゲのしっぽ切り」でもあったわけです。しかし、彼のコメントを柔道界が認めてしまうと、今後、「私も殴られました」という選手が出てきたときに、「(他の監督やコーチは)殴ってないって園田監督が言ったじゃないか」という話になってしまうのでは、と、普通は考えると思うんですが…。

甲野:そこまで考えていないんだと思います。

小田嶋:そんな…。

甲野:要するに、物事の基本的なところが見えず、取り敢えず目先の問題を何とか覆い隠すことに必死なのでしょう。柔道に限らず、武道、ひいてはスポーツ関係者も、原子力ムラならぬ柔道ムラや◯◯ムラ状態になっていると思います。ですが、まあ、とても園田監督だけの辞任では済まず、いろいろこれから出てくると思いますけどね。

制度で体罰を禁止してもムダ

小田嶋:「近所の小中学生を教えている指導者が、ふざけている子供をコツンとやる」というのであれば、それがいいか悪いかは別にして、そういう動機があるのはわからないでもない。でも、オリンピックに出よう、金メダルを取ろうというレベルの人に対して「指導者が暴力で言うことを聞かせる」という動機が、そもそも理解を絶しているんですが。

甲野:柔道の指導者が体罰をするのは、「自分も叩かれて育ったから、叩くのが当たり前だと思っている」ということ以外にはないでしょうね。

小田嶋:「強くなってほしいから、心を鬼にして叩いた」とか、「叩いているこっちも、本当は心が痛んでるんだ」という言い方があるけれど、あれ、嘘ですよね。

甲野:そうですね、完全に嘘だと思います。叩く以外の指導方法を知らないか、カッとして衝動で叩いているのかのどちらかでしょう。

 最近、現役選手も含めた柔道家が私の技に関心を持って訪ねてくるようになりましたが、1年ほど前に、その中の一人のある有名選手が、「上の人は『しっかり掴め』と『死ぬ気でいけ』としか言いませんからね」と言ってました。

小田嶋:よりによって「死ぬ気でいけ」か(笑)。

甲野:そうやって教わって来た選手は、私の技を受けて、これまで知らなかった世界に触れると、とても混乱するようです。有名選手は背負っているものが重いので、すぐ気持ちを切り替えられないのでしょう。ただ、最近は「また来させて下さい」という人も出始めましたが。

 その点、つい先日初めてやってきたレギュラー外の選手達は、当初は混乱していましたが、やがて、これまでやってきたこととはまるで違う私の技に、何か希望を見出したのか、無邪気な顔になって生き生きと稽古するようになりました。

小田嶋:(上層部から)期待されていない選手の方が、違う考え方を理解する余裕があるわけだ。

甲野:これは私が昔から何度も言っていることですが、いわゆる「鬼コーチのしごき」でも、そこそこうまくなることはあるんです。でも、今までの常識を超えたレベルまで上達するようなことは「しごき」では決して出来ません。

 一方で私は、「体罰禁止を法的にさらに厳しくしよう」という動きには反対です。大阪の高校で体罰による自殺があったということで、学校での体罰禁止を強化して、徹底的に取り締まろうという気配がありますが、そういうやり方がいいとは思えません。

小田嶋:なぜですか。

甲野:教育というのはどんな状況が生まれるかもしれない世界です。ですから、女の人が自分をからかった男をピシャッと平手打ちして、空気を変える事が有効な場合があるのと同じで、教育の現場で体罰をしないのは常識として大前提であっても、それ(体罰)を犯罪行為のように規定すると、たちの悪い生徒が、気の弱い先生を馬鹿にする、といった問題が今以上に起きかねない。

 とにかく法で規制する前に、そもそも体罰の必要性を感じないほど、生徒なり選手なりが夢中になって競技でも学問でも取り組むようにする事が先決で、これ以上、制度で体罰を禁じるのは考え物でしょう。

指導者の技が圧倒的であれば、体罰は必要ない

小田嶋:体罰をする必要がないほど、みなが夢中で物事に取り組むようにするにはどうすれば。

甲野:まず何をおいても指導者自身が上達し、圧倒的な技が使えるようになる事が大前提です。

小田嶋:ということは、今は指導者の方が技では負けるってことですよね。でも、スポーツではそれが当たり前、現役の方がうまくて当然だと思っていたけれど、そういうことじゃないんですか。

甲野:指導法うんぬん以前に、その技自体で周囲が指導者に対して尊敬の念を持つようになれば、体罰など自然に必要なくなりますよ。

 例えば、私の武術における一番の盟友である光岡英稔・日本韓氏意拳学会会長(※)の教室が、ダレたり、荒れるなどということは決して起きません。光岡英稔という人物は、たとえ相撲のルールに即して対戦したとしても、現横綱の白鵬が勝てるとは思えないぐらいの人で、ハワイにいたときには生き死にがかかるような勝負も挑まれた方です。しかし、普段は本当に温厚で、ニコニコされています。それなのに「光岡を試してやろう」と思って来た、頑強な大きな人を、手をとって子供とでも遊ぶように前後に自在に動かす。

 生徒は皆ビックリしてしまいます。ですから、どんなに彼が優しくても、彼をなめる生徒など荒れるなどいませんし、普通なら全く武術に無縁だったと思われるような女性も、暖かい雰囲気と高い技術を感じて、熱心に稽古に励んでいます。

小田嶋:光岡さんと内田樹さんの『荒天の武学』は非常におもしろく読ませていただきました。「あ、自分もこんな技ができるようになってみたい」と思える先生に習っている生徒は、練習を休みたいと考えるどころか、「もっと教わりたい」と思うでしょう。人柄が多少悪くてもね。

甲野:結局、人柄もさることながら、誰も文句のつけようのない圧倒的な実力があるからそうなるのです。

小田嶋:教室ではまた別の事情、状況があるんだろうけれど、トップレベルの選手を指導する場合だったら、教えられる側が指導者に対して「この人はすごい、教えてほしい」という気持ちが出てこなければ、うまく回らなくて当たり前だ。「どう考えても自分の方が強いんじゃないか」という気持ちをなんとか抑えて言うことを聞いていたら、「死ぬ気で行け」じゃなあ。

 しかし、そうはいっても年齢とともに体力が落ちてくると、ほとんどの競技でどうしても若い人のほうが強くなってしまうのでは?

甲野:事実として、体力的に勝る若い人相手に、圧倒的な技を見せつけることができる人は、残念ながらごく稀でしょう。ですから私が、「そうした年齢や体力の有無に左右されないような、考え方からまったく違う次元の技を追求している」と言うと、「幻想だ。漫画の読み過ぎだ」と片付けられてしまう。

 しかし、私の例で恐縮ですが、私はもうすぐ64歳ですけれど、実力的には今がピークです。例えば、柔道のトップ選手が継続的に訪ねてくるようになったのはここ1年のことですが、去年の今頃はそうした選手を驚かすことは出来ても、今のように、こちらから積極的に崩しにいくような戦い方は出来なかったですからね。

現代における武術の意味とは

小田嶋:今日は私自身もいろいろ技を体験させていただいて、驚きました。甲野さんのやっていることを私なりにごくごく簡単に言えば、「腕力」とか「脚力」といった部分部分じゃなく、体全体をどう使って一番効果的に力が出せるか、ということを考え抜いていらっしゃる印象で、運動には素人の私にとっても、ロジックと効果が分かりやすくてとても面白い。

 しかし、分からないのは、私のような素人や、あるいはロボット工学の専門家とかが「これは学ぶべき点がありそうだ」と思うくらいなんだから、柔道界の人だって興味を持ってもいいはずでしょう。ところが、甲野先生のところに来ている選手たちも、いまだにお忍びで来ているとか。

甲野:柔道の世界の人は「自分たちのほうが専門家だ」と思っているから、彼らと同じ常識を共有しようとしない私の発想はインチキに見えるんでしょうね。しかし、私に言わせれば、彼らは「柔道」というルールの専門家ではあるかもしれませんけれど、武術の専門家ではまったくない。

 この問題は競技化された柔道や剣道だけではなく、昔の武術的色合いが濃いとされている合気道でも言えます。例えば、ある技に対して、普通はやらないような返し方を思いついて「こういう返し方をされたときはどうするんですか」と師範に聞こうものなら、「あのね、そういうことはやっちゃいけないんだよ」というような気まずい雰囲気を作られて、ごまかされることがほとんどです。

小田嶋:気まずい雰囲気か(笑)。私が新人歓迎会で君が代を斉唱したときのようなものかな。武術と、柔道などの「スポーツ」の違いは具体的に何ですか。

甲野:武術は本来、「人間の生理的反射」とか、「関節はこちら側にしか曲がらない」といった、人が決める以前にすでに決まっている自然のルールだけが前提で、それ以外の人為的なルールがない。それが、人がルールを定めるスポーツ競技と武術の最大の違いです。

 例えば、すぐそこにものすごく凶暴な人が暴れていて、いますぐ取り押さえるか、ノックアウトしないと大変なことになるとしましょう。そういう非常事態においては、すべて自分の責任で、その場をどうするかを決めなくてはならない。そのことに向き合うのが、本来の武術の姿です。

小田嶋:暴漢と向き合うときにルールもへったくれもない。身体の構造や反射、つまり自然に決まったものに沿いながら、急場において全て自分の判断でサバイバルしていくのが武術ということですね。

甲野:そうです。武術というのは、突き詰めれば「生き残り術」です。私がロボット工学の研究者や音楽家など、一見畑違いの人から関心を持たれるのも、人間にとって、自然に決まっている制約以外はほとんど制限がない中で、技を工夫しているからだと思います。

 例えば、私は楽器の演奏に関してはまったくの素人ですが、楽器を弾いている姿を見れば、「ああ、ここが身体の使い方として不自然だな」ということはわかるのです。なので、畑違いの音楽家対象の講座も引き受けて、もう50回続いていますよ。

警察官の剣道や柔道は本来の職務につながっていない

小田嶋:とはいえ、スポーツとして、生死を賭けずに勝負を決めるには、ある程度ルールを決めねばならないわけで…。

甲野:それはそうです。ただ、そうして武道が競技化していく中でも、武術の感覚を取り入れて技そのものの質を根本的に転換することは出来たはずです。

 たとえば50年ほど前の話ですが、国井善弥(道之)鹿島神流十八代師範などは、剣道の当時一流の人達から相撲の双葉山その他、柔道、ボクシング等、さまざまな武道・格闘技の人と立ち合い、それぞれのルールの範囲で圧倒的な実力を示しています。

 ですが、今の柔道界、剣道界では稽古法・トレーニング法も一般のスポーツに引っ張られてしまい、そういう精妙な技の世界を目指そうという動きは、全く見られません。「そういうことは自分たちとは関係のない世界の出来事だ」と、見ないようにしているんです。

小田嶋:柔道なら柔道の世界がすべてなんだ、専門家でもないのに首を突っ込むな、と。それで、今の柔道は、柔道着の襟の掴み合いばかりやっているように見えるんですかね。

甲野:さきほど柔道の指導者が、とにかく「掴め」という話をしていると言いましたが、武術の世界においては「掴む」というのは、だいたい素人のすることです。

小田嶋:え? そうなんですか?

甲野:掴むとどうしても腕の付け根が浮いてきて、体幹(編注:この場合は胸から腹にかけての体の中心部にある筋肉を指す)から離れてくるんですね。ですから体幹の力を腕にそのまま伝えられなくなる。

 先ほど例に挙げた国井師範なども、柔術では掴まない方法を修行させられたエピソードが残っています。それに、武術の感覚で言えば、相手が刃物を持っていた場合、うっかり掴みにいったら、腹を刺される危険性が大きいのです。

小田嶋:ああ、そりゃそうですね。

甲野:警察官が柔道、剣道をやるのは、本来は犯人逮捕のためですよね。しかし、警察で逮捕術の師範をしている人たちは、単に競技としての剣道、柔道のトップでしかなく、逮捕術について何も知らないという事を私の知り合いの警察官に聞いて驚きました。そのせいでしょう、柔道で腕に覚えのある警官が、現場では刺されてしまうということがしばしば起きるようです。

 剣道についても同じです。例えば木刀を持って剣道の「正眼の構え」をしても、覚せい剤などで痛覚が麻痺した相手に木刀を掴まれて引き寄せられ、やはり刺されてしまうようなことが起こる。

小田嶋:手に取りやすい場所に、木刀を差し出してやるようなものなんだ。

小田嶋:手に取りやすい場所に、木刀を差し出してやるようなものなんだ。

甲野:ですから、ルール無しの現場で戦闘する場合には、棒や木刀などを下段に落とし、相手に奪われない構えから自在に使えるようにする必要があるのです。しかし、現在の警察の剣道では、まるでそうした際の訓練はしていないようです。考えてみれば、これはとてもおかしな事ですよね。

小田嶋:うーむ。

甲野:警察官が柔道や剣道の全日本の大会で優勝したとか、そんなことは国民にしたらどうだっていいんです。犯罪者をちゃんと取り押さえてくれる、そういう警察官を望んでいる筈ですから。

「きれいごとを言う桑田真澄氏は裏切り者だ」

小田嶋:今回の問題の前には、大阪の市立高校で部活動中に体罰があり、生徒が自殺してしまった事件があり、さまざまな識者がコメントしていました。その中で気にかかったのが、甲野先生ともご縁の深い(※)桑田真澄元投手が朝日新聞に寄せた寄稿と、それに対する反応のキツさ。

例えば「週刊文春」では「反体罰の旗手、桑田真澄への違和感」という記事が掲載された。この記事を見て思ったのは、桑田投手が出した真っ当なコメントに対して「きれいごと言いやがって」という空気が、「週刊文春」編集部、というより、スポーツ業界全体にあるんじゃないか、ということ。野球界は言わずもがな、スポーツマスコミも含めた業界全体が、「そういうきれいごとを言う奴は裏切り者だ」という空気を共有している。

 桑田投手だけでなく、落合や江川といった、高い能力がありながらも集団になじまないタイプの選手について、スポーツマスコミは熱心にスキャンダルを見つけて攻撃してきた。これは、「いじめ」あるいは「体罰」と同じ体質に起因しているんじゃないか。

甲野:それは間違いなくそうでしょうね。桑田さんも現役時代「投げる不動産屋」などと言われていましたが、あれも、ただ姉さんと結婚した相手に「俺に金を預けてくれ」と言われて預けただけで、ほとんど実体がない話なんです。それなのにとことん叩かれた。あれは、スポーツマスコミが「こいつを悪役にして売ろう」と決めたかららしいですね。

小田嶋:桑田さんが高校を出たばかりの18歳のとき、石川好さんというノンフィクションライターが書かれた『シャドウ・ピッチング』というすばらしいインタビュー本があって、「高校出たばかりのピッチャーがこれだけ物を考えられるんだ」と本当に驚かされた。

 桑田投手はその本の中で、「教えられたことをやるのではなくて、自分で考えて野球をしたい」といった趣旨のことを語っていたわけですが、「自分でものを考える」姿勢を見せると、どうやらそのこと自体が生意気だと言われてしまう。

 そういう意味では、スポーツ界には「指導というのは、指導者の言うことを無理やり聞かせることだ」という信念があって、それをまた、スポーツマスコミが応援しているという構図があるんじゃないかと思うわけです。柔道に限らず。

「練習や稽古は不快なもの」という前提

甲野:「指導とは相手に何も押し付けず、相手が自発的に向上するように導くことである」というのは、私が稽古法で最も影響を受けた整体協会の野口晴哉先生の名言ですが、それこそ、ライト兄弟が寝食を忘れて飛行機の開発に没頭したような情熱がなければ、さっきから言っている、革新的な、常識外の技は生まれません。

 逆に言えば、生徒なり、選手なりが、指導者と一体となってその競技の技術を追求していれば、体罰をしようなどという考えすら起こらない。「明日稽古なんだ」と明るく言うか、沈んだ声で言うか、その差は大きいですよ。つまり、柔道を本格的に稽古している者のほとんどが「明日稽古が休みだったらうれしい」と思っていることが、問題の根本にある。

小田嶋:体罰が求められる背景には、痛みなり、不快な刺激によって人を引っ張らなければいけないということがある。それは端的にいえば「練習や稽古は不快なもの」が前提になっているということ。練習が楽しいのであれば、恐怖心によって人を引っ張る必要はない。こういう事を言うとまた「きれいごとを」ということになるんだろうけど(笑)。

甲野:きれいごとだろうと、上達するにはそれが一番ですよ。熱意がある人にとっては、練習や稽古は楽しみで仕方がありません。さらに言えば、練習時間以外でも、生活の中でも四六時中、工夫しています。「こうすればどうなるだろう」と常に考えている。

 そうでなければ、本当に高いレベルの技ができるようにはなりませんし、そういう状態の人には、体罰で無理に言うことを聞かせる必要など全くないのです。

「こんなこともできるのだ」を示すのが指導者の資格

甲野:私は、武道の指導者の、何に一番存在の意味があるのかというと、習う人に「あんなことが本当にできるのだ」という実例を示すことだと思います。習う人が想像もしていなかった技を実際にやって見せることで、「現にこんなことができる人がいるなら、自分もできるかもしれない。そうなりたい」と思わせることが何より重要なのです。

 指導者は、指導する者達から「憧れられるような技」が出来ることが何よりも大事なことなのです。技ができないからといって、代わりに怒鳴って言うことを聞かせようとするのは、まったく指導の本質から外れています。

小田嶋:言い換えると、先生が手取り足とり教える必要は必ずしもない。理系の研究者を考えても、人気のある先生は、「教え上手」というより、自分自身の研究に没頭して、周りを顧みないくらいの人だったりする。

甲野:その人の技が抜群に切れるとか、その人自身の技が選手を引退しても、なお向上しているということが一番です。少なくとも武道の場合は、指導者が「そこそこ」ではなく「抜群」に技ができることが重要でしょう。

小田嶋:そう考えると、柔道の代表監督のように、選手に金メダルを取ってもらおうという場合には、指導者には金メダリスト以上の技量が求められるわけですよね。しかし残念ながら、ほとんどの指導者にはその力はない。だから権力的に威圧するしかなくなって、結果、暴力を振るっていると。

甲野:そうでしょうね。「この年で今さらオリンピック? 気恥ずかしいから出ないよ」と言って、実際に立ち合えば代表選手よりも技が切れる、というのが本来の武道の指導者だと思います。

小田嶋:でも、実際にそういう人っているんですかね。

甲野:フランスの馬術界は層がものすごく厚くて、金メダリストよりも上手な壮年の選手がごろごろいるそうです。それが自然な状態だと思います。日本の武道の指導者の例で言えば、仙台で空手の指導をしている長田賢一師範は、もう20年前も前でしょうか、「ヒットマン」の異名をとったフルコンタクト空手の有名選手ですが、現在の方が技が上です。人との接し方も含め、現在の武道の指導者としては本当に頭が下がる珍しい人物です。

小田嶋:「かつて金メダルを取った」とか「好成績を上げた」という「過去の実績」が指導者のパスポートになっている現状がそもそもおかしくて、指導者に求められるのは「今、目の前でズバ抜けた技を見せられるかどうか」である。それなら、選手も、普通の人も納得できる。

素振りを1000回やろうが、気づけない人は気づけない

小田嶋:私、「侍」「武士道」という言葉が大嫌いなんですが、「武道」というのもありますね。武「術」と武「道」、これはどう違うんでしょう。

甲野:確かに「侍」「武士道」は、建前と本音が最も乖離している代表的な言葉でもありますからね。「武道」に関しては、私は一昨年『武道から武術へ』という本を出しました。このタイトルの意味は、「武道」というと、「道」が大事だ、精神が大事だ、という建前によって、自分の技の未熟さをうやむやにしてしまうからです。

小田嶋:ははあ。実力じゃなくて心構えだ、と。

甲野:「術」と呼べるほどの技は、単に数を繰り返せばできるようになる、というようなものではありません。「『術』と呼べるほどの領域まで達する技を目指そう」という願いを込めて、私は自分の取り組みを「武道」ではなく「武術」と呼んでいるのです。

そして、そういう「術」と呼べるほどの技を行えるようになるには、結局、身体の「気づき」を積み重ねるしかないのです。気づきがなければ、質的転換などは起きません。ですから、脅かされて嫌々繰り返し稽古や練習の量を重ねたところで、何もいいことはないんです。

小田嶋:でも、よく「型が重要」と言いませんか。よけいなことを考えず、素振りを1000回もやれば、おのずとなにかが見えてくる、とか。

甲野:まあ、回数をやれば、そこそこの効果はあるでしょう。でも、それでは「術」には届かないということです。「術」と呼べるほどの技というのは、単なる反復練習の延長線には現れない、動きが質的に転換したものです。そういうものを身につけるためには、自発的な研究心が絶対に必要だということです。そして、本来の型はそういうものを会得するためにあるのですが、今ではまったく型の意味が失われてセレモニー化していますね。

 私が武術を通して追求しているのは、「人間にとっての自然とは何か」であり、そのために「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う」ということを把握したいと思っています。そうした事から導き出されることの一つとして、武術には「人間にとって切実な問題をもっとも端的に取り扱うもの」という面もあります。

小田嶋:切実な問題を端的に。

武術とは「人間にとっての切実な問題」を取り扱うもの

甲野:一対一で戦うという武術的状況が、さまざまな切実な問題を扱う能力を上げてゆくのです。ただ、人間にとって切実な問題というのは人それぞれですからね。例えば夏の終わりには女の子から失恋相談がよく舞い込んできたこともありました。まあ、たしかに彼女らにとって、これほど切実なものはなかったわけですから。

甲野:イジメも体罰も、それぞれの人が抱える「切実な問題」なわけですが、それらの根本解決は、「人間にとって生きるとは何か」、また「人間にとって自然とは何か」という人間にとっての本質的問題と根本的に向き合うことが必要で、それを頭だけで考えるのではなく、体感を通して考えるために、「武術」は他に較べるものがないほど優れたものを内蔵していると、私は思います。

(構成:井之上達矢・夜間飛行編集長)

2013年

2月

09日

中島みゆきリンク

2月9日の掲示板への私の書き込みを受けて,中島みゆき関連のyoutubeその他へのリンクです

 

・「ファイト」

ファイト!満島ひかり&中島みゆき(カロリーメイトCM)

http://j-lyric.net/artist/a000701/l000dd8.html (歌詞)

 

・「地上の星」

 

・「時代」

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Cv1XYghZ6-E#t=10s

http://j-lyric.net/artist/a000701/l003c2f.html (歌詞)

 

・「わかれうた」

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=A1oqUaaSbiM

 

*良道さんの法話は,ウェッブサイト「一法庵」     http://www.onedhamma.com/

を開いて,2月3日法話 “「これはすごいね」からすべては始まるはずなのに” のPodcast,70分過ぎを聞いて下さい。   

 

2013年

2月

09日

世界は始まりを持ち,作られたものとしてある(事前に存在する絶対の世界という言い方はミスリーディングである)

世に韓流ドラマというのがある。現代物と時代物の二つに分けられる。前者はつまらない。その嚆矢たる「冬のソナタ」だが,これは我が方で言えば,かつて一世を風靡した菊田一夫の「君の名は」に当たる。私の思うに,共に人気を得た理由は,ドラマだから,主人公が最後にはハッピー(あるいはアンハッピー)のどちらかにならなければならないのだが,ただ,そこがはっきりするまで,曲折があって,待たされる,そして,その待つことが,長編ドラマとして,小一年も続くから,親しみ,思い入れというものができてくる,このことにある。

 

一方,韓流の時代ものの方は面白い。「チャングム」「トンイ」そして最新の「王女の男」まで,日曜日の楽しみとして何年かに渡り熱心に見た。どこが面白いか。主人公の女性像である。みんな,健気で,賢く,能力に優れている。そして,それによって,つまり,個人の工夫と努力で,当時の身分社会の,与えられた条件の中で,しかるべき人格的高みに到るのである。それに対して言えば,出てくる男は,王様であったり,取り巻きであったり,その敵であったりするのだが,そこにあるのは,体制と権力という,無内容の,形式だけであり,やっていることは,血統によって王という身分を引き継いだことと,周辺の権力闘争だけだから,没個性的で,パターン化されていて,ドラマ構成上,女性主人公の引き立て役として,存在するだけである。

 

ただ,今回のこのブログの主旨は,韓流ドラマの品定めではない。取りあげたいのは,還流時代劇にしばしば登場する,「誘拐,拉致」である。そのやり方は,当人に後ろから袋をかぶせて,そのまま背負って逃げるという,単純なものだ。北朝鮮による拉致事件も,そんな手口だったと聞いている。

 

そこで,問題は,例えば,私が,袋をかぶされ,拉致されて,袋の口が縛られたまま,どこか山奥にでも投げ捨てられたとしよう。外が見えないまま連れてこられたから,どこへ運ばれたのか,遠いのか,近いのか,どちらの方向か,場合によっては海の向こうか,皆目分らない。そのことの後,私はどうするかというのである。

 

まず,袋を破って外に出る努力をするだろう。それはできたとする。そこが出発点である。しかしながら,出られたとしても,ここはどこなのか廻りの状況が分らない。こうなると欲しいのは,自分はどこにいるのか,自分の置かれた状況がどうなっているのか,全体像,言わば,地図である。そして,その下で,次に欲しいのが,今後,どのようなことが自分にできるだろうか,どのように動いたらよいかの知識である。地図とこの意味での知識,これをまとめて,広義に知識と呼ぼう(今流に言えば,「認知」と「仮設の設定」である)。認知と仮設があれば(知識があれば),それに従って,自分の行動をマネージでき,人の助けも呼べるし,もとの場所に戻る手立てもつく。拉致問題を解決して,以前の,自分がよく承知している,迷うことのない状態に復帰できるのである。

 

拉致をモデルにとって,言いたいのは,実は,我々の生きること,生活することは,上と同じような構造からなっているのではないかということである。整理して言えば,私たちの人生,生活は,(自分の意志によるものでなく)拉致され(①),見ず知らずの所に投げ出された(②)ところから始まる。その際,もし生きようという気持ちがあれば(③),袋から出ようとするであろう。そして,袋から出た後,何も分っていないそのような場所で生きるについては地図が必要になる(④)。地図とはまず周辺の見通しである(認知)。その上で,自分はこういう方向に進みたいという目的をもつ(⑤)。さらに,こうすればこうなるであろうという予測を立てる(仮設設定)(⑥)。そして,やってみる(⑦)。これが,生きることであり,我々の実際の生活のすべてである。拉致された場合は,もとの状態に戻ることが,目的になろう。

 

ただここで,「生きること,生活すること」は,「拉致され,知らない土地に投げ出されたこと」を同構造だといったが,共通点もあるが,根本的な違いもある。

 

拉致の場合は,当人には分っていなくても,置かれた場所は,日本国内なら日本国内として,固定的なものとして,そこに確定されている,当人は固い基盤の上にいる。だから,基盤の正確な写しとして,正しい地図というものもあり得る。拉致され,投棄されたということは,当人が,自分のいる場所を知らない,地図を持っていないということである。だから当人が知らないにせよ,置かれた地形は実在し(それを写した正しい地図も存在し),当人の生活は,その地形上での,その地図に従ったものなのである。拉致とは,ほとんどあり得ない特別なことではあるが,確定された,実在の世界でのできごとなのである。

 

一方,生きること,生活することが,拉致や投棄と違ってくるのは,次である(あるいは,生きること,生活することを,そのようなものとして捉えたいということである)。上では,生きることに始点があることを,拉致と投棄に喩えたのだが,生きることの場合は,世界はあるのだけれど当人に知られていないというのではなく,それは,本来的に,何もないところへの,(所ですらなく,言わば,無への,混沌の中へ,本質的な無知の中への,)投棄なのである。そこでは,投棄される世界というものは,事前にはなく,したがって,地図もあり得ない。だから,そういう状況に置かれたことをもって,生きること,生活することの始点とするならば,生きること,生活することは,すでに有るものではなく,そこから創り出されたものだとなる。具体的には,生活が成立するためには,地図が作られ(認知),仮設が設定され,それが試されなければならない。逆に言えば,それが,生きること,生活することなのである。その他には何もない。

 

ただ,認知と仮説の設定と言ったが,事前に世界があるわけではないから,写されるべき世界を忠実に写したのが地図という訳にはいかない。何もないところに地図を作るのだから,結局,そこでできることは,認知ではなく,仮設を作り実行することである,出来た地図とは,仮設設定の結果である(認知も仮設である)。突き詰めれば,あるのは,仮設の設定だけであり,それが,生きることであり,生活であることになる。だから,もし,仮設の評価をするとすれば,それは正しいかどうかではなく(そのことは世界が事前にない以上言えない),目的に添うかどうかである。ただし,その際も,絶対的な目的はあり得ず,添うというのも幅がある概念である。目的も評価も,また,仮設である。

 

通常の解釈の下での拉致投棄は,世界が事前にあり,そこでのできごとであった。しかしながら,私たちの生きること,生活することは,何もないところに生活する,生きることである。それは,生活を,生きることを,創り出すことである。そこには,始点というものがある。出発点がある。始点があるとは,そこから出発して,その後に,生活,生きることが(原理的には)様々な形で出てくることである。理系的にはビッグバーンである。前回のブログでは,それは信仰だと言った。ここでは,宗教論ではなく,知識論,認識論の議論であった。どちらから言っても,私たちの人生は,始点があり,作られたものなのである。

 

以上の議論の下敷きは,一般意味論である。

1)   一般意味論では,「現地と地図」という。通常いう拉致とは,現地は存在するのだが,地図がない,地図を強引に取り上げられたことである。地図はないが,現地はあるから,地図はなくても生きることはできる。(あるいは,厳密には,薄い意味で,そこにも地図はある,ということでもある)。

2)   しかし,一般意味論では,「地図なくして現地はあり得ない」という。現地は混沌であるから,地図がなければその内容(書き割り)は全く与えられないのである。

3)   その上で,一般意味論では,「地図は現地ではない」ともいう。地図は現地の写しではなく,作りものだからである。

4)   さらに,「地図は現地のすべてではない」という。現地は混沌であるから,地図はその一部についての地図でしかあり得ず,現地は常に地図にない要素を含むのである。

5)   私たちは,現地に生きるのだが(地図と現地ではあくまでも現地が優先する,そうでないと地図の意味もなくなってしまう),生きるとは現地において地図を作ることである。しかし地図は現地の一部でしかない。したがって,私たちの生活は限定されたものになる。

6)   (通俗には,地図は現地の完全なコピー(写し)であり,その意味で地図=現地であり,地図は現地のすべてを写すとされる。)

2013年

1月

26日

事実と信仰 (信仰 と ビッグバーン)

1年ばかり前に,私家版として拙著『哲学の勧め』を上梓しました(その内容は,このH.P.の古い倉庫に収めてあります)。その後,旧知の方々に拙著を進呈し始めたのですか,途中で,こちらはよいが,もらった方は,何とも返事ができず,困惑しているだろうと反省し,あるところで送付を止めてしまって,今日に到ります。しかし,反省以前にお送りしてしまった知人のリストを見ると,その中の10人弱が,クリスチャンです。あまり意識しなかったのですが,振り返って,私もこのようなお付き合いの環境の中でやってきたのかなと,ある感慨があります。ただし,察するところ,この方々の,拙著についての評価は芳しくない(ものと思われます)。棚上げ,あるいは,ちょっと言いようのないという心持かなと推察されます。

 

それはそのはずであって,理由は二つあるでしょう。一つは,信仰というのは,ひとえに内面の問題であって(多くそう思われています,しかしそれはミスリーディングだと私は思うのですが),拙著のように,信仰とは何かという一般論の中で解説をされたり,議論されたりすると,それは違うという違和感が生じるのだろうと思います。もう一つは,キリスト教は,あくまでもリアリズム,実在論でなければいけない。それに対して,拙著は,いわば,(誤解を承知でもせば)観念論を言いますから,それは受け入れられません。ただ,実在論,観念論と簡単にいっても,その意味は必ずしも固定的,確定的ではなく,信仰という視点を入れると,その線引きのところに根本的問題が潜むのです。その点について,少し述べてみます。

 

昔,大学生の頃,いわゆる60年安保の頃ですが,学生の思想的議論の一つの中心は,唯物論(実在論の一種),観念論のどちらをとるかでした。もちろん,それは,その時代を反映して,マルクス主義に由来する問題提起であり,唯物論が正しく,観念論は誤りだという到達点を前提としてのものではありましたが,私なども,友人から,(表現はこの通りではないですが)「お前はもう唯物論に回心したか,観念論の残滓は完全に清算したか」というようなニュアンスの問われ方をしたりしました。

 

実在論といっても,いろいろです。一般的には,科学の考え方が(厳密には近代科学と限定すべきものですが),実在論の代表であるとみなされますが,プラトンのように目には見えない普遍的な存在(イデア)を実在として認めるのもそうだし,霊的なもの(spiritualなもの)をもって基本とする実在論もあります(けれども,霊魂,霊的存在,spiritualといってもここもまた多義です)。(そして,後の二つ,普遍的存在,霊的な存在は,倫理に絡みます。)

 

しかし,いずれをとろうとも,実在とは,(我々の意識から独立に)以前からずっとあるもの,もとからあるもの,したがって,作られたものではないもの(始点のないもの),と定義できます(正確には,実在を,私はそのような意味にとって,以下の話をしたいということです)。ここで「作られたのでないもの」とややこしい言い方をしましたが,その反対の「作られたもの」は,作られたときがそのものの始まりであり,始点があるから,したがって,もとからあるとは言えません。(目の前のイスは,作られたものだが実在ではないかといわれるかもしれませんが,イスとはすでにある実在の新しい組み合わせに過ぎません。)

 

これに対して,観念論は,反実在論です。したがって,そこでは,ものも,ことがらも,世界も,もとからあるものとしては否定され,作られたもの,始点を持つものとしてあることになります。

 

通俗には,世界を「もの」とする実在論に対して,観念論は,世界を「意識(心的なもの)」とすると言われたりしますが,世界が実体として何であるかは,根本的な問題ではなく,(どちらを取ろうと,世界はあるようにあるのですから),根本的な違いは一方は,世界を,作られたものではない,したがって,始点がないものとする,一方は,世界を,作られたものであって,したがって,始点があるものとする,そこにあります。

 

実在論をとると,ものやことがらは(世界は)作られたものでなく以前からずっとあるものになりますから,始まりのないものです。だから,実在について,敢えて始まりを探そうとするとアポリアが生じます。例えば,原因の原因を追及する,意識の意識,高次意識を追求する,というようなことになり,無限遡及に陥ります。一方,反実在論に立ち,ことがら(世界)は作られたものだというと,今度は,それでは,世界は誰が作ったのだ(何によって作られたのだ)ということになりますが,そこは微妙で,(往時,マルキストから,観念論の陣営は,世界は,人間の意識が作ったものだとか,神が作ったものだとか,間違ったことを言っているとして,批判されたのですが),誰が作ったのかという議論は,「作った」(述語)というと「誰が」(主語)と言いたがるという,言語習慣あるいは思考法に基づく,第二義的なもので,「誰が」の議論はなくてもよい。大切なのは,原因や,由来ではなく,また,実体として何かでもなく,そのものがどのような性質のものかなのです。ですから,実在論,観念論の分かれ目は,現状(世界)を,「作られたもの(始点のあるもの)」とするか(捉えるか),「作られたのではないもの(始点のないもの」」とするか(捉えるか),そこなのです。

 

話をもとに戻して,拙著の信仰論に絡んで, 仮にAさん,Bさんとしますが,お二人から,丁寧な指摘をもらいました。それを紹介します。Aさんは私と同世代,Bさんはもっと若いが,二人とも,信仰において,教会生活という面において,キリスト教に深くかかわって生きているクリスチャンです。

 

Aさんからは,「コリント人への手紙第一第15章」を読むように指摘を受けました。そこは,キリストの復活について,パウロがコリント人に説くところです。私の理解では,そこには3つの内容があります。

1)   イエスの復活は事実であること

「(キリストは三日目に復活し,)ケファに現れ,その後十二人に現れたことです。次いで五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。・・・次いでヤコブに現れ,その後全ての使徒に現れ,そして最後に,月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」

2)   復活がなかったらすべてが無意味になること

「そしてキリストが復活しなかったのなら,わたしたちの宣教も無駄であるし,あなたがたの信仰も無駄です。」「死者が復活しないとしたら,食べたり飲んだりしようではないか,どうせ明日は死ぬ身ではないか,ということになります。」

3)   イエスの復活を分岐点として,世界は(自分は)根本的に変わること。

「蒔かれるときは朽ちるものでも,朽ちないものに復活し,・・・自然の命の身体が蒔かれて,霊の身体が復活するのです。」「最初の人は土ででき,地に属する者であり,第二の人は天に属するものです。」

 

その上で,Aさんは,この世(絶望の世界から)から,神の世界(永遠の世界)へ,肉の世界から霊の世界へ導くのがキリスト教であるとするなら,その結節点にあるのが,「キリストの復活という事実」であり,それは「キリストの復活という事実を信じる信仰」であり,その結節点がなければ,キリスト教信仰は成立しないと言います。

 

以下は,それを受けての,私の見解です。

扱いたい根本問題は,(通俗には両者ともに誤解されていますが,)事実と信仰という2つの概念の正確な把握です。聖書に述べられているように,キリストの復活は歴史的事実でなければなりません,つまり,実在でなければならない。しかし,その事実は同時に信仰でもなければならないのです。通俗には,事実と信仰は,どちらを取るかという,両立しない,対立することがらと考えられていますから,こういう言い方は,すぐには理解されません。しかし,復活がもし事実(だけ)であって,信仰でないとすれば,通俗の理解では,復活というのは事実としてあり得ないことですから通俗の実在論の上では,復活は,荒唐無稽な物語になってしまうのです。(また,それが,通俗の立場からも,簡単に認められること,あり得ないとされることでないとしたならば,信仰というのはまことに迫力のない,余剰的なものになってしまいます)。そして,信仰とは,この荒唐無稽なことがらを,無理に信じることになってしまうのです(つまり気持の,心理学の問題になってしまう)。こういった通俗の理解に反して,実は,「事実」と「信仰」は二者択一ではなく,切り離せないのです。事実の底には,信仰があるのです。信仰は,心情ではなく,事実に関わることがらなのです。このことが,キリスト教のみならず,信仰というものに,もっとも基本的な根本的な問題だと思うのです。

 

事実と信仰の間にある誤解は,信仰とは事実に対する信仰であり,その信仰とは心の持ち方であるという,事実と信仰の二元論です。そして,事実の方が真理であるという形での,(信仰はそれを納得するかどうかという人間的な問題であるという,)実在論です。

しかし,信仰について,あるいは,事実について,二元論をとると,そこに様々なアポリアが生じます。例えば,何かを信ずるという心の持ち方が信仰だとしたとき,どうしてもそれが信じられないということがあります。そうすると信仰が足りないのだとして,原因は自分にあるとして,自分を,心を責めることになります。本来,心の平安が,信仰に期待されたものだったにもかかわらずです。一方安直な人は,(深く)信じれば,信じた通りに事実はなると思い込んだりします。信仰が事実をゆがめるということです。信ずれば何でもかなうという,(いわば,それこそ)信仰です。信仰が心の問題であるとすると,こういうことになるのです。

 

復活という事実への信仰が,世界の根本的変化の結節点であるということは,信仰とは,(事実に立ち向かう)心の持ち方ではなく,信仰とは,事実を事実とするものだということです。信仰とは,いわゆる信じることではなく(心的なことではなく),事実として受け入れることなのです。信仰がなかったら世界は変わりません。世界が変わるとは,そこに新しい世界が生じたということで,それ故,信仰がなかったら,世界が生じないということです。その意味で,信仰とは心にではなく事実に関わるものなのです。事実は信仰によって事実となり,その原理に従って,復活は事実なのです。そのようにして,復活は成立します。復活は事実であり,同時に,信仰なのです。もちろん,それは,無理に思い込むことではありません。

 

そして,大切なことは,復活という事実だけではなく,他のすべての事実も,そういう成り立ちをするということです。復活だけが,信仰によるという奇妙な事実であるのではなく,目の前にイスがあるという簡単な事実も,信仰によるということです。復活を信じることは,復活だけでなく,すべてはそういうあり方をすると,承知することです。

 

Bさんが示してくれたのは,「ガラテアの信徒への手紙220節」です。そこでは,パウロは次のように言うのです。

「生きているのは,もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今,肉において生きているのは,わたしを愛し,わたしのために身を捧げられた神の子に対する信仰によるものです。」

 

これについて,私の解釈ですが,ここで,いわゆるわたしは,すっかり変えられています,新しいものに生まれかわっています(「生きているのは,もはやわたしではありません」)。ただそれは,神の子への信仰によって,(復活を事実とする信仰によって,)成立したことがらです。だから,世界が,私が変わるについては,信仰が(必要)条件です。新しく生まれた世界は私たちが現実に生きているこの世界ですが,それはそのような構造の上での事実なのです。

 

以上,Aさん,Bさんの真意を誤解したのではないかと,恐れますが,私の方の問題意識として,事実はいわゆる事実ではなく(その点で実在論を離れます),事実と信仰は同じものであり,信仰は事実の始点である(その意味で観念論です),と言いたいのです。私としては,ここでは,このことを,聖書から学ぼうということです。

 

分りやすく言えば,世界にはそれ自体に(事実は事実自体に)始まりがあるということです。始まりとは,理系的にいえば,ビッグバーンというたとえが分りやすい。ビッグバーンの前には何もないのです。ビッグバーンから突然世界は始まる。そして,現在の世界になるわけです。そういうふうに,世界(あるいは実在)の有り方を考える。事実(世界)との関係で言えば,信仰はビッグバーンです。信仰から事実(世界)は始まる。これは,実在論のように,はじめから,ずっと世界があるというのではなく,また,信仰をもつことによって,(単に)世界の見方が変わるというようなことではなく,信仰がなければ,ビッグバーンがなければ,世界もないということです。

 

ただこれは,信仰を,現代物理学のビッグバーンになぞらえて説明した,ビッグバーンに喩えたということではなく,むしろ,物理学の方が,旧来の形の近代科学的実在論は維持し難くなり,物理の中に信仰の論理,論理構造を取り入れたと言いたいのです。

2013年

1月

12日

第二の敗戦,戦争責任,こんどこそ

NHKラジオで,週日の毎朝(ラジオ体操に続いて),ビジネス展望という番組がある。評論家,学者が,時事問題を解説し,論じるというようなことである。大体固定されたメンバーだが,体制批判派が多く,私はよく聞いている。先日,経済評論家の藤原直哉氏が,話していた。そこから,2点,いささか恣意的に解釈しながら,紹介したい。

 

<その一> 昨年末に政府が変わったが,誰が政権を担当しようと,これから数年間かけて,日本がしなければならない仕事は,敗戦処理であること。つまり,日本は,今次大戦に続いて,また負けていたのである。

(以下は,私の私見,恣意的な解釈を含む,藤原氏に必ずしも忠実ではない。何せ,寝床で聞いていたものだから)

 

つまりこうなる。日本は今次大戦に負けた後,いわゆる戦後復興を遂げ,そのあと高度成長して,経済的には成熟国家になった。しかし,その間,世界の潮流は,市場主義,新自由主義,グロ―バリズム,マネー主義,金融支配に向かった。日本も当然そのことに無縁ではあり得ず,それどころか,それにコミットし,その中でまた戦ってしまったのである。その仕上げが,例えば,小泉改革であった。しかし,その結果,またもや敗戦,今日の,人々のもつ閉そく感,不安,諸方面での格差拡大,特に経済格差,そしてなによりも,人間的なものの喪失,つまり,人間的能力の衰え,倫理の欠如(共同体の崩壊),目標喪失,・・・である。

 

今回の敗戦と,今次の敗戦(1945年の敗戦)には共通性がある。今次大戦の敗北は,近代化を成し遂げた日本が,世界の潮流に遅れて帝国主義,植民地主義にやっと参加したが,すでに帝国主義も,植民地主義も破綻に向かっていた。同様に,戦後復興をなしとげ,一等国になったと自覚した日本は,やはり外の思想である,自由主義,グローバル主義,市場主義を,乗り遅れるなと,あわてて,受け入れたのはよいが,そちらの方にはすでに今日破たんが見えてきている。両方の場合の選択とも,主体性,創造性に基づいた自前のものではなく,他に流された結果であり,しかも,さらに,そこで勝とうとした。結果は敗戦であり,失敗であった。

 

したがって,今日,大事なことは,まず,負けを素直に認めることである。そして,次に,敗戦処理をすることである。そして,その後で,他と無関係にはありえないとしても,他に流されない,外から移入品でない,新規のヴィジョンを作りだすこと,考え出すことである。自分で生きることである。それが我々の21世紀における仕事だと,藤原氏は言う。しかも,前回の敗戦のときは,幸運にも,アメリカが援助してくれた。今回は自力でやるほかない。そこは違う。

 

合わせて,藤原氏がこう言っているのではないが,私が思うのに,両者にはもう一つの共通性がある。それは,今次の大戦について,敗戦と,そこに向かった経緯について,つまり戦争を起こしたことについて,戦争責任というものを,だれもとっていない。むしろ,戦争責任を誰もとらないでよいというのが,今次の大戦の最大の教訓かもしれない。責任は,ノブレス・オブリージュに従って,上から取るべきである。上が責任を取らなかったということは,下にとっては,責任はとらないでよいというメッセージである。上に比べれば,下は圧倒的に多い,したがって,一億総無責任ということになる。同様に,多分,今回の敗戦についても,責任を誰もとろうとしないだろうということである。政治のリーダーだったものも,財界も,メディアも,誰もが,である。

 

戦争の責任には2つある。一つは対外的な責任。今次の大戦の場合,こちらはそれなりに追求された。相手が要求してくるからである。今回の敗戦は,自国内のことがらだから,言ってしまえば,自滅なので,対外的な責任はない。

 

戦争責任の第二は,同胞に対する責任,同胞の未来に対する(あるいは,同胞の過去に対する)責任である。同朋に悲惨,労苦を与えたのはだれか,同胞を道具として利用したのはだれか,過去を破壊し,未来における選択肢を狭めたのはだれか。

 

今次の大戦の場合,対外的な責任に意図的に議論が向けられ,後者の種類の責任が,無視あるいは曖昧にされてきたのが,経緯である。その結果,それは,むしろ積極的に,万事無責任でも通るという原理の原点になった。今日はそれを受けて,ことがらは,「リセット」,「御破算で願いましては」で,全て忘れられ,清められ,それ以後は,過去はないことになり,すべては新規ということになる。今日無責任の風潮があるとすれば,それは個人の資質ではなく,ここから始まったものである。歴史(過去と未来)の無視である。歴史を捨てれば倫理原則は出てこない。

 

責任とは,テーブルの前に何人か並んで,メディアに対して頭を下げることではない。また,何がしかの賠償金を支払うことでもない。また,服役することでもない。それで,リセットにならないのが責任である。責任とは起こしたことがらが失敗であると認め,それに自分が関わったことを認め,そのことを生涯忘れないことである。記憶の問題,内面の問題である。死ぬまで忘れてはいけない,したがって,常に思い出すとは,本質的には厳しいことがらである。だから,ことを行うには慎重になる。抑止力になる。人間生活にリセットを認めるならば,人間は軽くなり,責任も,倫理も消える。

 

<その2>もう一つ,藤原氏の述べたことであるが,昭和31年の経済白書に,もはや戦後ではないというのが載った。その白書の別の項に,「原子力利用とオートメーションが今後追求すべき先端技術である」とあったそうだ。その2つは今日の敗戦まで,産業の成長と共に,順調に進展した。しかし,原子力は,今日,自らの特性(放射能と後処理の問題)によって,破たんに直面している。オートメーションは,確かに,IT技術に繋がって,単に肉体的な省力だけでなしに,人間の知的能力をも,大幅に代替えしたが(ブログなどというものを発信できるのもそのおかげではあるが),それらが人間にとってよいことかどうか,そのことは何のためであるのか,やはり問題に直面している。奇妙な皮肉である。

 

いずれにせよ,どこへ向かうか,正念場である。少なくとも,帝国主義,植民地主義,市場万能主義(金融主義,グローバリズム),反歴史主義(無責任,無倫理,反人間主義)の焼き直しはご免こうむりたい。

 

2013年

1月

07日

金魚鉢二題

その1

 

ホーキング,ムロディナウ著『ホーキング,宇宙と人間を語る』(佐藤勝彦訳,エクスナレッジ刊,2011.)からの話です。

 

「数年前,イタリアの都市モンツァの市議会はペットショップの店主に対し,金魚を丸い金魚鉢に入れて飼うことを禁止しました。その議案を提出した市議は,その根拠として,金魚鉢に入った金魚には外の世界がゆがんだものに映ってしまうので,金魚にとって残酷である点を挙げました。

 しかし,私たちは,目に映る世界がゆがめられたものではないということをどうやって知り得るのでしょうか? 私たちは大きな金魚鉢のようなものの中にいるのかもしれません。巨大なレンズが私たちの見るものをゆがめているのかもしれません。金魚が見ている世界は私たちがみている世界とは違いますが,その世界が私たちのものより現実的でないと断言できるのでしょうか?」

    (同上書 「第3章実在とは何か?」から)

 

まじ,こんな議会がほんとうにあるのかよ,というのが,第一の疑問ですが,それはここではおきます。言えることは,

1)   金魚の見る世界(ゆがんだ)と,私たちの見る世界(まっとうな)の二つがあったとして,通常は,前者はニセで,後者が本物であるとされますが,その根拠はあるのか。

2)   人間は,金魚の世界はゆがんでいると勝手に言うが(そのためには,金魚と金魚鉢の外に立たなければならない),「金魚として金魚鉢の中に生きている」金魚にとっては,その世界は,何の不都合もなく,生活の一部であり,整合的で,理論化可能なものである。ニセと言われる筋合いはない。

3)   私たち人間も同様に,その外から見れば,「人間として人間鉢(?)の中に」生きているにすぎない。それを,自身気づかないだけである。知らないでいて,その世界を,勝手に本当の世界とか,実在とか呼んでいるのである。

 

このようにして,金魚であろうと,人間であろうと,喩えて言えば,それぞれがそれぞれのの中に生活しているのであって,その前提の下に見えるのが,その前提の下にあるのが,世界であり,実在であるということになる。金魚と人間では,どちらが本当ということではなくて,世界が違うのである。

 

ホーキングは,そこを,「実在という概念は,描像や理論から独立して存在することはない」として,そこから,「モデル依存実在論」を導き出します。

そして,ついでに言えば,そのモデルの条件として,次をあげる。

  1. 簡潔である
  2. 任意の,あるいは,調整のできる要素が少ない
  3. 全ての観察事実を矛盾なく説明できる
  4. 将来の観測に関する予言,特にその内容が観測結果に合わなければモデルが間違っていると分るような詳細な予言ができる。

そして,現在において,この条件を最もよく充たすモデルが,(統一理論の候補が),M理論だと言う。この辺はややこしいから,今回はやめます。

 

要点は,モデルが違えば,捉え方が違えば,世界が違うのである。違った世界なのだから,どちらの世界が正しい世界だという議論はミスリーディングであるということである。

 

その2

 

これは,前にも紹介した,一般意味論のS.Y.ハヤカワの著『言語と思考』(邦訳,南雲堂,1972,現在絶版)における議論である。

 

「ここにある金魚鉢はよくない。水は濁っているし,金魚全部入れるには小さすぎる。そこで,新鮮な水が常に流れる新製品の水槽を買ってきたとする。そして,金魚を,鉢から水槽に移してやろうとする。しかし,金魚は,懸命に逃げ回り,あばれる,いうことをきかない。金魚にとって良いことをしてやろうとするのに,なぜ抵抗するのか」というのである。

 

ハヤカワによるのではないが,別の例をあげれば,中学3年のヤンキーがいた。卒業間近になって,授業中に,廊下の窓ガラスをバットで割って廻った。その子と小学校以来の親友がいた。彼はヤンキー君を,こんなことをしていたら,卒業できないかもしれない,将来大変不利になる,としてやめるように説得した。しかし,明らかにバカなことをしているのに,このヤンキー君は,説得を受け入れない。次の日も割って廻る。なぜ説得をきかないのかということである。

 

その理由は,こういうことである。私たちにとっては,確かに,濁った水や,窓ガラスを割ることは,好ましくないことである,すべきでないことである。しかし,当事者にとっては,それは,また,別の意味を持つ。その別の意味の下では,それは,好ましいことであり,すべきことになる。したがって,他人による,汚水の交換も,説得も,抵抗の対象になる。そういう事情であるから,本気で説得しようとするなら,ことがらの,相手にとっての意味を理解することから,始めなくてはならない。でも,普通は,廊下の窓ガラスを割ることなどは,誰にとってもそれは,バカげたこととして意味づけされているから,説得のやり方は,相手に対して「バカなことをするな」といろいろな理由をつけて説明することを出ない。しかし,当人にとって,それは最初からバカなことではないのである。だから通じない。

 

ハヤカワは,相互理解の難しさを,意味論的障害と称するが,その克服法について,次のように言う。金魚鉢の話題とは離れるが,参考までに。

「意味論的障害を克服する方法は,われわれとわれわれが強く反対する人間との間を分け隔てている「鉄のカーテン」を突破するために,努力を倍増することではない。一番よい方法は,相手の話を理解するために,精力的に,しかも大いに想像力を働かせて,相手の座標系に入ろうと努力することである。コミュニケーションの流れが,相手からこちらの方に確立されると,こちらから相手の方にも同じようにうまく流れる回路が確立される。伝達過程の相互性を常に認識しておくことは,親子間,教師生徒間,労使間,国家間を問わず,人間関係の改善に不可欠である。」

    (ハヤカワ 同上書 四章「自己概念像」)

 

2012年

12月

30日

小さな自分,小さな環境(人類や地球は幻想である)

   

「人類みな兄弟」,「地球環境(を守れ)」,「地球市民」,など,盛んに言われる。「私たちは人類全体の中での一人一人である」とか,「私たちの身の回り,私たちの生活領域は,地球全体があってその中の一部として調和している」というのが,その意味であろう。

 

 しかし,そんなものが,すなわち,人類とか,地球が,私たちの成立基盤であり,本当にあるのだろうか。本当に,私たちは,人類の一員として,地球の一部として生きているのだろうか。考えても,地球の人口は70億人と言われるが,私たちの短い一生において,70億もの人と接触を持つわけではない。会ったこともない人が大部分である。それどころか,私たちの一生に関係する人間の数は,思っているよりはびっくりするぐらい少ないのである。

 

友人のA君は,しばしば連絡を取るし,気心は知れているから,私にとって確かに存在する。私の生活にとって関係者である。夫婦や,親子,兄弟も,その類かも知れない。しかし,アフリカの某共和国にBさんがいたとして,私はその人の名前を知らない,会ったことも,連絡を取ったこともなく,もとより,顔も,気心も知らない。多分,私の一生の間に,意識もしないし,接点もないまま終わるであろう。いてもいなくても私の生活は進んでいく。関係ないのである。そんなBさんが,私にとって,人類であり,兄弟であろうか。

 

つまり,私の生涯を構成するのは,人類などという,むやみと大きなものではなく,気心の知れた,友人や,家族という,きわめて少数なのである。人類の中に生活するのではなく,家族,友人,知人という少数の中で生活し,一生終わるのが,私たちである。そちらが現実であり,実体であり,人類は仮想である。

 

そして,しかも,この少数とは,具体的に,実際に数えてみれば,意外なほど小さいのである。例えば,これまで50年,60年生きてきて,名前と顔がすぐ思い浮かべられる人間は何人いるだろうか。漠然と考えれば,1000人,2000人などと思うかもしれないが,実際,書きあげてみれば,50人ぐらいで止まってしまうのである。ちょうど今は,歳末だから,年賀状にかこつけて言えば,平均の年賀状の数は100枚ぐらいではなかろうか。それに,ハガキを出す必要のない身近な人間を加えて,それらの合計の数が,私たちが一生の間で,具体的に付き合う人間の数と言ってよいかもしれない。せいぜい200である。50人というこの基準は厳しいというなら,仮にその数を100倍してみよう。としても,50人の100倍は5000人である。多分,そんなに多くの人と接して来たと言われても,実感がないであろう。一方,人類は70億である。

 

 要するに,人類だとか,地球だとか,大風呂敷を掲げているが,生活の実体は,せいぜい水増しして5000人,現実には,100人, 50人,30人の中での生活ではなかろうか。私たちの生涯は,それだけの限定された領域での一生なのである。そう考えれば,私たちの生活は,なかんずく,対人関係は,まことに濃いものである。それを人類など大風呂敷を広げて,何千万倍に薄めて考えているのが現状である。

 

 人類として生きるのと,50人の世界に生きるのでは,生き方が違ってくる。人類を出発点にするから,それを小分けにした,人種とか,国とか,が出てきて,その中に人間を閉じ込めることになる。人類,人種,国,そんな大きな世界で,調和を保つのは,至難の業である。だからそこで,道徳や正義が要請されるのだが,なかなかまとまらない。まとまらないから,道徳や正義を目指して,人種や国が戦うことにもなる。人類も,人種も,国もなくて,10人,30人の世界に生きるのが私たちであるのなら,そんなものは,現場でどうにでもなる。人類において解決しようとするから難しくなるのであて,10人,30人において,解決すればよいのである。

 

我々は,人類というような,現実の私たちの生活には関わっていない,多分ありもしないような,大風呂敷を考えるのではなく,目先に,目に見える10人,30人に生きればよいのである。大風呂敷さえ畳んでしまえば,現実的に,我々の能力の範囲で,ものは解決されるし,我々の資質は十全に発揮できるし,互いに助け合えるのである。そしてまた,そこでは,人間的触れ合いも,濃度という概念を超えて親密になるのである。

 

環境についてもことは同じである。私たちが現実生活において,具体的に,直接に関係している,周辺の物々,領域は,地球全体などというほど広くはなく,厳密には,廻りの30坪,50坪であり,私たちにとっての問題は,台風が来て前の道路に水がついた,それをどう解決するかである。地球環境,地球問題などではない。あるいは,台風で水がついたということは,地球全体の問題で,いわゆる,エルニーニョ現象によるのであるというかもしれない。でもそれは,道徳律と同じに,何にでも原因を考えるという科学主義の幻想である。エルニーニョを知ろうと知るまいと,エルニーニョがあろうとなかろうと,我々の問題は,家の周りに水がついたことである。我々はそれを,30坪,100坪の範囲で解決すればよいのである。

 

人類とか,地球は,思考の産物であり,それが実在すると言うなら,迷信である。それに対して,私たちの,生活,つまり,人間関係,生活領域は,有限である。しかも,予想外に小さい有限である。それが現実なのだから,小さい世界,小さな自分に生きる,そのことに徹することが,人間の本来なのであろう。確信を持って小さく生きる,それによって見えてくるものも違ってくるし,迷いもなくなるのである。

 

2012年

12月

18日

話の聞き方

以下は,S.I.ハヤカワ著『言語と思考』(四宮満訳,南雲堂,1972)の「聞き方」の章の紹介である。世に,話し方教室はあっても,聞き方教室はない。話し手がいくら良い内容の話をしても,聞く方が,理解できなかったり,話し手が全然話していない内容を話したと信じてしまえば全く無駄である。次の9項目を実践せよというのである。

 

1.用語の統一をしない。話の中ではキータームが重要な役割をしているが,聞き手の方で,それについての定義がまちまちであるのが普通である。その時に無理にその意味を一つに統一せず,語の意味は,個人財産ではなく,公共財産であり,十人十色であると承知して,柔軟に対応すること。統一的な意味などというものはないのだから,話し手が,そこで,それをどういう意味で用いているかに注目すべきである。

 

2.不当な要求(他の人も,自分と同じ意味でその語を用いるべきだ,はずだ,とすること)をしないで,話を聞く。相手の枠組みの中で,その意味を理解するよう努める。

 

3.相手の考え方がはっきり分るまでは,それに対して,賛成も反対も,称賛も非難も,しないこと。

 

4.この競争社会では,大半の人々は,自分の考えを相手に伝えることに主な関心がいっており,他人の話は退屈で,自分の思考の流れを妨げるだけだと考えている。多くの場合,人が話している間は,儀礼的に沈黙を守っているが,その間に話の糸口をつかんだら話そうと思っていることを,心の中でリハーサルしているか,相手の議論の欠点を注意深く観察している。話を聞くとは,問題を相手の見方でみようとすることである。

 

5.相手の独自性を知るべく質問する。相手の考え方を知りたい,明確にしたい,という研究心から質問をする。懐疑や,挑戦的態度,敵意をにおわす態度はとってはならない。

 

6.相手の言うことを,一般論の中でまとめない。「君の立場はいわゆる***の一種だね」というような言い方。

 

7.過度に,相手の言っていることから一般化をしない。「海水浴が好きだと言ったからといって,塩漬けになりたいという訳ではない」。

 8.実際に話されたことだけを議論し,話されていないことについては議論をやめる。「私は話したことしか話していない。話していないことは実際に話していないのだ」。

 

9. 相手に勝つためではなく,ことがらを明確にするために議論する。すると最後には,賛成,不賛成,承認,不承認はあまり重要ではなくなる。重要なことは,十分な知識,すなわち,他の人が,何を,何故,したり,考えたりするかについての知識を,十分に仕入れることである。自分と違った見解や態度,また ,その理由を理解したときのみ,状況における自分の位置をもっとよく理解するようになる。

2012年

12月

17日

言葉は和解の道具である(戦いの道具ではない)

人の言っていることを聞いて,本当にその意を理解しているのかどうか,自分の言うことを,他人に理解させるには,どのようにしたらよいのか,そして,理解するとはそもそもどういうことなのだろうか。なかなか厄介な問題である。同じ人間だから,同じ日本語を使っているのだから,相互理解は当然の前提であり,相互理解ができないとすれば,知的能力に欠けるか,その言葉に習熟していないであるからである,というほど簡単ではないのである。理解には,知的能力,言語習熟以外に,様々な要素が関わっているのである。そのことは折々テーマとして扱ってみたい。

 

 今年,1216日には,衆議院議員の選挙が行われた。それについて,ここ一月ばかり,言葉のやりとり,あるいは,議論が,政党の数が多かったこともあって,様々になされた。その結果として,政権の移譲というかたちで勝負はついたのだが,何か意見がまとまったという訳ではない。議論は議論として,勝負は勝負としてついた,それだけのことである。当事者も国民も,膨大なエネルギーとそれなりの予算の浪費ということである。

 

 どうしてこういうことになるかというと,議論や言葉が,勝負を決めるための,手段あるいは道具として意識されているからである。「言葉で戦う」「議論に勝つ」という。勝負が決まれば,道具は,不要で,捨てられる。何も残らない。しかし,本来,言葉とか議論は相互理解,和解のための手段,道具である。うまく機能したとき,結果は,勝ち負けではなく,和解なのである。両者の分離でなく,融合なのである。言葉や議論がうまく機能していれば,この世に争いはないということなのである。しかし現状そうはいっていない。なぜか。言葉や議論に対して,まさに,根深い,誤解があるからである。そこをみたい。その一端として,まず,ここでは,いささか,how toにわたるが,ひとの話を聞く時の注意を取り上げておく。これだけでもずいぶん違ってくる。

 

 アメリカを中心に,一般意味論(General Semantics)という,言葉の使い方について分析して,それに従って言葉を正しく使うことによって,社会や,心理上の,生活上の困難を解決しよう,それらの困難は,言葉の使用上の誤解に基づくものだから,とする,社会運動,あるいは,学派がある。創始者はA.Korzybski1875-1950)であり,その発展,普及に大きく貢献したのが,日系二世の,S.I.ハヤカワ(1906-2000)である。日本で最も知られている書物は,ハヤカワの『思考と行動における言語』(大久保忠利訳 岩波書店,1949)であるが,同じくハヤカワの『言語と思考―シンボル・人間・社会』(四宮満訳 南雲堂 1972 現在は絶版)は,また分りやすく示唆に富む本である。私は,一般意味論というのは,人間生活を言葉によって成り立つものとし,その土台の上に,コミュニケーション,心理療法,宗教まで,扱う,分りやすいが,非常に奥深い思想であると思う。また,折々に,紹介したい。

 ここでは,ハヤカワの『言語と思考』から,「聞き方」について述べた章を紹介したい 。(次のブログに続く)