掲示板アーカイブス(1) 2013. 2.9.~4.29.

  • 荻原 欒(火曜日, 05 3月 2013 15:59)   #1

    (2月9日のコメントを復元)

    お詫び
    誤操作により,掲示板のこれまでのコメントをすべて消してしまいました。すみません。#15まであったのですが,残念です。わたしはすべて拝見し,H.P.にリンクのあったものは,開いて見ています。
    懲りずにまた,書き入れてください。

     * 実はその後,3月3日にまた削除してしましました。でも今度は外にコピーをとってありました。それによって,復元します。

     

  • #2

    荻原 欒(火曜日, 05 3月 2013 16:25)

     

     (2月9日の書き込みを復元)
    この頃すっかり,老人モードになってしまったので,一念発起,昨晩は,中島みゆきの歌を集中して聴きました。

    きっかけは,鎌倉一法庵の山下良道さん(良道さんとは個人な面識があります)のipodによる法話を聞き,そして,いつものようにメーリングリストが送ら れてきて,双方に,中島みゆきの「ファイト」が話題として論じられていたからです。その論旨は,深いものがありますが,表面的には,女子柔道の暴力事件に 絡んででした。

    ファイトの歌詞
    「ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
    悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる 」
    「私、本当は目撃したんです 昨日電車の駅、階段で
    ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
    私、驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
    ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です 」
    「ファイト! 闘う君の唄を
    闘わない奴等が笑うだろう
    ファイト! 冷たい水の中を
    ふるえながらのぼってゆけ」

    上記が紹介され,ことがらに感動を持って立ち向かうひと,戦う人が少なくなった,戦う人を傍観的に笑いながら見る人間が大勢を占めた,これが今日の日本人の元気のなさ,閉塞感の基礎にある,と言います。

    その通りと思いますが,
    私が中島みゆきを,改めて,まとめて聞いての感想は,そこには,人間としての,生活としての,実体に触れられて歌われていて,それが人を引き付けるということです。
    裏を返して言えば,今日の日本は,実体を軽視して,仮想の世界に右往左往し,それがトレンドだと思い違いしています。これが今日の諸悪の根源です。例えば,
     証券市場における株券の相場(あるいは上昇)などという仮想(株価は双方の思惑の読み比べで動くわけです)
     マーケティング手法による実体のない,あるいは,長期的には有害と思われる需要の創設(電子ゲームなんて何の意味があるのでしょう,グルメ,セレブ)
     電波や紙面の割り当ての消化を持て余して,意味もない番組,紙面を作っているメディア(記事がなかったら,無音,無像,空白にしておけばよいのです)
    など,金銭的にはペイするかも知れないが(金銭というのがまた仮想の最たるものです),実体のない,裏付けのない,明日はどう変わるか分らない仮想の世界に,一喜一憂して暮らしているわけです。これが,日本人が,日本人社会が,日々衰えていく原因です。

    それに対して言えば,中島の歌は,
    逆境,己の弱さ,世間,等に対して戦おうとする少数派,
    天上の憧れではなく,地上の星という
    時は移り変わること(無常)
    ことがらに別離は必ず付きまとう(無常)
    今にして言えば,なつかしい,地に足のついた世界を歌っていると言えます。

    そこが,戦っている少数派に対する応援歌と言われるゆえんでしょう。
    中島の「ファイト」は,実体に,現実に,生きる人たちが少数派(マイナー)になって,仮想に生きる人たちが多数派(メジャー)としてのさばる,その世界に対するファイトと私は聞きます。

    *「別れはいつもついてくる,幸せの後ろをついてくる」
    *「まわるまわるよ,時代はまわる。悦び悲しみを繰り返し,今日は別れた恋人たちも,生まれかわって,めぐりあうよ」

    *すぐに中島の歌を聴きたい人は,(掲示板はリンクができないようです。実はそれをやろうとして,その過程で,前の記事を消してしまったのでした),私のブログにリンクをしておきましたので,そちらから接触して下さい。

  • #3

    荻原 欒(火曜日, 05 3月 2013 16:57)


      (2月18日の書き入れを復元)
    私は大学に勤めている間,20年にわたって,少林寺拳法部の部長をやってきました。もとより,私が拳法の訓練を受けたというのではなく,また,反省してみ て,部に対して,関係学生に対して,ただ見ていてだけで,積極的には何もしておらず,その点は忸怩たるものがありますが,それでも,関係した学生諸君,そ して,武道,部活,体育会の様子を,身近に観察しては来ました。(昔と最近では,こういったものに対する,学生の気質もすっかり変わっていますが。)

    そして,そこには,肯定的にも,否定的にも,いろいろ考えるべきところがあるのです。例えば,「過度の精神性の導入,武道とスポーツの概念上の不具合,一 種の身分制(上下関係)に基づく組織運営,統制,旧軍隊を真似した(多分)訓練法,伝統的・保守的風土,それぞれの武道のそれぞれの歴史性(党派 性),・・・」と「武道,スポーツの本来の(?),あるいは,将来に向かっての望ましい姿」の間には,矛盾がにじみ出ているような気がするのです。それ が,今回,(講道館)柔道の問題として,顕現したということでしょう。

    その辺は,この機を捉えて,しっかりと考えておきたいところです。それがイノベーションということです。武道,スポーツ,体育にも,現代に機能するものと して,新しい発想が必要かも知れません。今日武道についてはいろいろな議論があります(例えば,内田樹,光岡英稔;『荒天の武学』など)。私は,大学退職 後,あるつながりから,日本拳法協会の埼玉道場の顧問(もとより小さな立場ですが)として,格技に細い糸が繋がっています。そんなことも含めて,武道,武 術,格技については,多少考えたりしますが,それはいずれ,発表しましょう。

    今回は,これらについて,興味深い記事を,知人から紹介されましたので,いささか長いですが,コピーしておきます。ただし,全体では,掲示板の容量を超えてしまいますので,ブログの8に入れておきました。

  • 87期田中マサジ(火曜日, 05 3月 2013 17:19)


    (3月1日の書き込みを復元)#4

     

    こんにちは!
    先週まで羽月(と書いてハネムーンと読むらしいです)に行ってまいりました。
    フリータイムに以前取引していたワイナリーを訪問したのですが,やはりグループに属していないと直接取引は難しく。長い目で見て頑張ります。
    スペイン,フランスとなぜか修道院が多くツアーに組まれていました。日本より宗教が密接に生活と結びついているイメージでしたが,フランスでは教会に行く人は4%とか。しかし海外ミステリーを読む際に疑問に思ったところを実際に確認できたりしたのでとても有意義でした。
    他のカップルは景色など見ずにお相手しか見てませんでしたが(笑)新婚ツアーですからね。おかげでガイドさんを独占できました。嫁さんは嫌がってましたね~。
    飛行機も以前とは比べ物にならないセキュリティの厳しさで,いろいろトラブルもありましたが,なんとか・・。

    先生も中島みゆきをお聞きになるとはびっくりです。
    私も好きです。ただし20年ぐらい前のファンなので,最近の曲は知りません。
    「ファイト」は好きな歌です。後は[熱病]とか。初期の歌が多いですね。いつか「夜会」(コンサート)にご一緒しましょう。

    好き勝手にまた書いてしましました。
    ではまた。
    タナカマサジ
  • #5

    荻原 欒(火曜日, 05 3月 2013 21:14)


    昨日また,掲示板を消してしまいました。前と同じ誤操作ですが,今度は原因がよく分りました。そして,今回はコピーを取っておいたので,復元できました。こうやって,人は成長して行きます(笑)。半日ほど,掲示板を空白にしてしまいました。以下は,3月3日の記事です。

    今年も3月になりました。さすがに少し暖かくなったのですが,東北,北海道は大雪,吹雪とか,安定しません。それでももう一息でしょう。

    これまでの掲示をすっかり消してしまったので,それに懲りてか,皆さんからの書きいれがなく,しばらく独白を続けなければいけないかと思っていましたら, 秘かに期待していた通り,「マサG」君からの投稿を得ました。「マサG」君は,私の大学のそれなりに(?)古い卒業生で,いまは家業を継いで酒屋をやって います(消した掲示板に人物紹介をしておいたのですが,もう一度書けと言われると,二番煎じは気合が入りません)。店は「たなかや」といって,板橋の商店 街,年金会館の前です。葡萄酒(現代語ではワイン?),そして,日本酒について,酒飲みの各種相談に応じてくれます(アル中治療についてはダメ)。近所の 方はぜひ寄って下みて下さい。掲示板の彼の名前をクリックして下さい。H.P.にリンクしています。

    ここで反省。 ― 教員の悪い癖で,往時の学生,生徒を,彼らがまだ若かった,偉くなかった,その当時のままに,いつまでたっても扱ってしまいます。呼び 捨てしたり,「君」呼びしたり,教訓をたれたり,本当は,人生経験においても,人格の出来においても,はたまた,経済力においても,とっくにこちらを超え ているにもかかわらずです。私も,改めなければいけないと思っていて,卒業生に会うときは心して出かけるのですが,会ってしまうと,昔の感覚でやってしま います。外から見れば,滑稽以外の何ものでもありません。だから,クラス会などというのは,ある場合は嫌われるのです(ただ,全員が嫌うわけではありませ ん,その辺が人間関係,教育の微妙なところです)。大いに反省,これまでの無礼を心よりお詫びします。でも,田中正二君の場合は,まぁいいか(笑)。

     3月と言えば,思うのは,いわゆる「3.11」です。
     私はあの年の3月末を持って,定年退職することになっていました。そして,それに合わせて,「3.11」の翌日の3月12日(土)に,部長をやっていた 少林寺拳法部OBと私の担当のゼミのOB,その他の方によって(企画,運営は拳法部OBにお世話になりました),私の最終講義と,ご苦労会が予定されてい ました。そこへ,11日の地震です。あの時すぐには,ことがらの全体像がつかめず,その後の見通しが不明でした。埼玉県地方は,建物に被害は出ましたが, 道路その他は大きな損傷はありませんでした。これまでを超えた,大きな地震があったという範囲でした(その時私は研究室にいましたが,棚が倒れ,私はとり あえず廊下に避難し,様子を見ました,電話は不通になりましたが,電気はすぐに回復したと思います。車でいったん家に帰って家の様子を確認して,また学校 に戻りました)。

    主催者の判断により,12日の私の会は,行われることになりました。交通の関係で,出席者は,近隣の方に制限されましたが,それでも高速道を利用して,静 岡,山梨から来てくれた人もいます。欠席者のかなりの部分は,交通事情もともかく,勤務先に緊急に呼び出されていてということであったようです。それぞれ 重要な役にいるのだな,なるほどな,と思いました。また,私の関係した学生,それから,個人的な知人について,被災地に本人,親族が関係している人が,結 構いました。狭いものです。後で,仙台市の七ヶ浜に住んでいる知人から,すぐ目の前まで海水が来たという生々しい話も直接聞きました。

    その後,大学は,しばらく閉鎖状態で,退職に当たり,対人的にきちんと処理しておきたいことも残されていたのですが,有終の美は不完全燃焼で終わり,卒業式もなく,私の教職生涯は,この3月12日を最後に,ぐずぐずと終わりに向かったということです。

    3.11.,何と言っても震災を思い出すのですが,少し辛口に言えば,今度の震災への日本人,あるいは,人々の,対応(まだ終わってはいませんが)につい て,ああ,また,日本的というか,いつも通りだったなというのが私の感想です。ちょっと述べさせてもらいます。ただし,これは,被災の当事者についてどう こう言おうというのではなくて,この件に対する,日本人の反応,対応についての感想です。

    その対応の手法は,
    1) 感情的なところに(情緒的なところに)すべてを流し込んで,終了とする
    2) ことがらについてタブーを作る
    ということです。

    例えば,被災者は気の毒だ(それに違いはないのですが),命は大切だ,復興へ向けて一生懸命努力している,人々の絆の尊さ,何ものにも代えがたい生 命,・・・,こういう感情的な土壌の中に,いわばバケツの中に,何の仕分けもなく,震災の全てを流し込んで,そういう感情を共有することによって,日本人 全体としては,一件落着として,それ以上には進まないわけです。そこに安住してしまうことによって,自然災害とはどういうことか,どのようにして避けられ るか,与えられた環境の中で人間にどこまで何ができるか,自然と人間の関係,こういう問題は不問に付せられるのです(こちらは,気の毒だ,頑張ろうだけ で,自動的に解決する問題ではありません)。

    一方,2)ですが,そこに,言ってはいけない発言というのが出てきます。被災者および被害について,同情以外のことは言ってはいけないのです。復興に努力 している被災者に関して,「災難はままあるものだ」「人は誰しも,逆境に置かれれば,そこから逃れるべく,努力するのは当たり前だ」など言ってはいけない のです。そのことは一般論として正しいとしても,感情を逆なですると思われるからです。タブーですから。たまたま,今日の朝日新聞の夕刊に,谷川俊太郎の 詩を毎月掲載する「今月の詩」という欄が,5年,60回続いてきたが,今月で終わるという記事がありました。それによると,60回の内,1回だけ,震災の 翌月4月だけ休載にしたそうです。詩は出来ていたのですが,被災者の感情を配慮して,編集者の意見に従って,谷川も納得して,休載になったそうです。今回 その詩も,そこに紹介されていました。これは,時期を考えて,当人も納得して,そして,2年経って,内容も掲載されたのですから,正しい判断であって,批 判の対象ではありませんが,その配慮は,それなりに,タブーへの配慮なのでしょう。タブーをなくすことは,社会的には,難しいことなのです(よほど社会が 成熟していないとできません)。

    情緒的なところに閉じこもり,その外に出ることをタブーにすること。これによって,ことがらに対する情報を偏らせ,それに対する対策の幅を狭くさせます。 本当は,情報は最初から選り好みせずに広くとり,対策はタブーなく自由に議論する(合理性と目的に対する功利性ですが),万事にこれが望まれるわけです。

    同じようなことが,今度の太平洋戦争にもいえます。戦争中は皆苦労した,戦後は復興目指して頑張った,兵隊さんは国民のために命さえ指しだした,その自己 犠牲の気持ちへの感謝,・・・。一方の陣営では,戦いは悲惨である,何があっても生命が失われることはあってはならない,と言われます。苦労した,頑張っ た,自己犠牲への感謝,生命喪失の悲劇,戦争の悲惨,そういった情緒的なところ(それは誰しも認める感情です)に,終わった戦争を流し込んでしまい,その 外を言わせないから,戦争の真相が,その他の問題が隠されてしまうわけです。原爆でもそうです。「繰り返しません,過ちは」(すみません)で終わらせるか ら,ことがらはそれ以上進まないわけです。日本国憲法と天皇制についてもそうです。昭和天皇も今上天皇も,誠実な方であり,常に国民をやさしく見守って下 さっている。そうかも知れませんが,それ以上はタブーで,そこで議論が終わってしまうのです。

    東日本大震災での死亡者の方々は無念でしょうし,被災者の方の落胆,復興への努力は,何をどう言おうと,批判や,評価以前に,そのままあります。これは与 えられた事実で,何とも仕様がありません。今回はたまたま東北であっただけで,明日は我が身です。これは厳しく言えば,当事者の問題です。もう一つの問題 はこの災害を,広くどのように捉え,回復に向かって,合理的に,効率的に,どのように,有効な施策を創り出し,実行していくかです。それを邪魔しているの が,感情論とタブーの存在で,3.11.に関しても,またもや出てきた,日本的やり方かなと(もっと言えば,上に述べた,戦争や原爆も同様に,責任を曖昧 にするべく,だれかが,謀略的にそう仕向けてしているのかなあなどと),「3.11.」後の2年を見て思うのです。

     

  • #6

    87期田中マサG(金曜日, 08 3月 2013 12:04)

     

    密やかなご期待に答えられてよかったです(^^)
    どうぞいつまでも「クン」付けで!

    今回の旅行で改めて感じたのですが、今の若者は飲みませんねぇ。
    せっかくのスペインなのですから、やはりリオハワインとカヴァ(スペインのスパークリング)、サングリアと飲みまくっていたのは私たち夫婦だけでして。皆 さんコーラ。フランスでも同じでした。何人かはビール(どこに行っても)。何を飲もうと自由ですが、その土地土地のものを試してみる、という考えはないみ たいです。
    やはりドイツに行ったらビールが食事に合ったなぁ・・・見たいなのも、思い出になると思うのですが。
     食事も皆残していて・・・。そりゃ自由ですが、なんだかなぁと思うのも私の自由ってことで(笑)
     私たちみたいに飲んだくれてチップをふんだくられたり、ムール貝で当たったりという事もないのでしょうが、苦しいのはその一時で、今は何回も語れるいい思い出です。

     しかし久々に敬語で書き込むのは緊張しますね。合っているのか心配です。どうぞ添削なさらぬよう(笑)
     日本の敬語は細かい身分制度の残りだという話を市民大学で聞いた事があります。相手と自分の身分によって使い分けると。
    たとえば、「様」もいろいろあり、右側下の部分が「水」だったら、対等(水様と言うらしい)とか、右側下の部分が「永」だったら、相手が上とか(今変換してみたら、永様だけは出来ました)
    話が脱線しました。
    現代は身分制度が無くなった(?)から、敬語も旨く使えなくなったのだと言うのが、そのヒトの考えでした。

     また話が長くなってしまいました。
    すいません
     地震の次の日も店を離れられず、行けずにすいませんでした。
     改めてお詫びします。

    ではまた

     

  • #7

    荻原 欒(日曜日, 17 3月 2013 01:21)

     


    山口正さんは,同学の先輩で,長らく東洋経済新報社に席を置き,『ケインズ全集』『石橋湛山全集』などの編集に携わってきた方である。退職後は湛山につい て,しばしば発言されている。その先輩から,石橋湛山記念財団発行の『自由思想』(季刊)という雑誌を送っていただいている。私にとっては非常に啓発的で ある。

    その,今年の2月号に,今回,中国大使を退任した,丹羽宇一郎氏に対するインタビュー記事がある。ことは,日中間の外交問題,に関わるのだが,外交,政治 問題になると,ややこしくなって,この場にふさわしくないので,そういう要素を抜いて,人間関係の一般論として,考えてもらうことにして,いくつか,紹介 したい。

    第1は,人に謝ることについてである。丹羽氏は言う。(よく,もう謝ったじゃないかというような発言があるが),「でも,それは謝る方が謝ったじゃないか という権利はない。謝ってもらう方が「もういいよ」というのはあっても,謝っている方が「おまえ謝ったじゃないか,何か文句あるか」と,それはないです よ。」

    第2に,こちらに何かしらでも瑕疵があって,謝らなくてはいけない状況にあったとき,理屈を言ってしまうと,たとえその理屈は正しかったとしても,さらに 反発を招き, その流れは変えられず,話は決着しない。その例として,丹羽氏は,(例えば,従軍慰安婦問題について,(アメリカが非難しているとして,それに対して) 「おまえのところは偉そうなことを言うけれども,150年前まで奴隷制度があったのだから,奴隷なんていったら,慰安婦よりももっと悪いじゃないか,なん て言ったら,ぶったたかれますよ。」

    要するに,外交とは,(理不尽なところもあり,忍ばなければならないこともある)こういうものだということである。理屈や,軍事力でない,第3の道である。

    第3に,土下座について,「中国はメンツのくにですよ。何が大事かって,サッカーの岡田さんが言ってたじゃない,まけたら土下座しろと。彼らには絶対にで きない。そうしたら必死になって勝とうとする。メンツですよ。日本人は簡単に,土下座なんかタダだからと考える人もいる」。最後の文言が面白い。たしか に,日本人はこの頃,簡単に土下座する。経営者もそうだし,政治家も票を下さいと土下座する。本当は土下座とは,一生に一回,あるいは絶対にしないもので あったから,土下座の価値もあったのだが,こう頻繁になされると,土下座のインフレがおこり,だんだん利かなくなる。この,目先の結果がよければ,何でも やる,ましてや金がかからないものは,ウェルカムである,これが,マーケティング思考である。結果を取って,価値(道義を)捨てる,土下座が利かなくなっ たら,次の手を見つけて移る(例えば自殺のような)。禁じ手も何のこだわりもなく使う,こういう世界である。さらなる例として,こんなのもそうである。 「二度とやらない」(これは字義通りとれば重たい言葉である)といってその場を収めて,そういう者に限って二度でも三度でもやる。

    ここからは,私の話です。
    人には,ここまでは我慢できるが,ここからは我慢できないという,閾値というか,境界線があるのではないか。境界線までは,忍耐や,社交で我慢できるが,そこを超えるとダメという境界である。その境界線の位置は人によって,文化によって違う。2つ示そう。
    (1) 居酒屋で,若者が飲んでいた。隣へ初老の男が座って,若者にからみだした。おまえはだらしがない,バカだなど言われていた。でも若者は,それなり に相手して,キレなかった。しかしある一瞬についにキレた。何にキレたかというと「おまえのおやじより,オレの方が信用がある」と言われたからだ。つま り,自分のことについてはかなり我慢ができる,しかし,身内のことを言われると怒らざるを得ないということである。今は,身内のことでもキレない若者が増 えたかもしれないが,ある時代まではそうであった。
    (2) 中学時代にいじめられた生徒がいた。その時は悔しかったが,10年経って,社会人になった頃は,その感情はかなり薄くなっていた。同窓会があっ て,相手と会っても,殴られたことも,それなりに許せる心境だった。しかし,そこで,加害者や,教員から,その当時いじめは無く,ちょっとふざけただけ だ,おまえの思いすごしだったのだ,と言われたとき,許せなくなった。要するに,ことがらは,時と共に,風化するが(治まるが),その意味付けを変えられ ると,治まらないということである。

    日中,日韓の戦争責任をめぐる議論の底には,こんなことがあるのではないか。
    (侵略されたことによる被害は許せるが,侵略がなかったといわれると,気持ちが治まらない。謝って,賠償も援助もしているのだから,もう終わりだろうと相 手から言われると治まらない。さあ,ここで,理屈(正義論?,ナショナリズム)や軍事(軍事同盟,国防軍創設)で対応しないで,外交ができるかどうかであ る)。

     

  • #8

    荻原 欒(金曜日, 29 3月 2013 13:01)

     


    前回の掲示板への書き込みに,先輩のYさんを紹介して,「・・・社に勤務して」の意味で,「・・・社に席をおいて」と書いてしまいました。これは間違い で,少なくとも「籍をおいて」と書くところでした(もっとも,これも,この場面では不適切な用法のようです)。ただ,「席をおいて」と言っても,イメージ 的に,なんとなくもっともと思わせます。同じような間違いを,以前にもしたことがあって,ある文章を書いたとき,「越し方を振り返って」としてしまいまし た。「来し方」というのが正解です。(「来し方,行く末」)。ただ,これも,イメージとしてはなんとなく納得させるところ(富山,新潟出身でなくとも?) があります。

    閑話休題。もっとも,以下みんな閑話ですが。
    老人として,人なみに,深夜放送(ラジオ深夜便)を聴いています。別に寝つきが悪いわけではないのですが,習慣的に,イヤホーンを耳に入れたまま,興味あ る話題だけ目覚めて,多くはうつらうつら,というわけです。3月初めごろの放送で,深夜便エッセイコンクールというのがあるのですが,今期の入選作の,ア ナウンサーによる朗読がありました。その中で気になったのが次です。

    視覚障害者のAさん(女性)の体験ですが,Aさんの父親が,老人として,「胃ろう」を受けなければ,生きられない旨,医者から告げられました。Aさんは 「胃ろう」について十分知らなかったので,ネットで検索しました(今は,視覚に障害があっても,点字,音声に変換してパソコンが利用できます)。そした ら,花子という12歳の少女(?)が胃ろうによって命をつないでいるという話がありました。迷っていたAさんには,12歳の少女が気の毒にと思うと同時 に,一瞬,重要な情報だったのですが,実は後で分ったことは,胃ろうを受けたのは,犬であって,それは動物病院のホームページだったのです。Aさんにはそ のことが最初は通じなかったのです。Aさんの父親は結局胃ろうは受けませんでした。(本文は,雑誌『NHKラジオ深夜便』3月号にあります。)

    この話にどういう感想を持つかですが,私は,大いに違和感を覚えるのです。それは2つあります。
    1) 情報が視覚障害者を誤解させるような書き方をされていたこと。もっと言えば,Aさんが間違って受け取ったのは,その情報が,犬に対しても,人に対すると同じような表現をしていたからではないかということ。
    2) (ここでは胃ろうに関してですが,)人と,動物と同じ扱いをしていること。もっと言えば,人の命も,ペットの命も,同等なものとして扱っていること。
    要するに,このウェッブ情報は,同じことですが,その作成者は,①表現において,②生命の何たるかにおいて,人と動物を区別しない思考をしているということです。

    人とペットを区別しないという,こういった傾向は,今日,一般的なようです。
    例えば,私の家の前を,いわゆる犬の散歩族が多く通るのですが,その人たちは,たがいに行き会うと,自分の犬を指して,「この子は」など言うのです(これ はペットに対する今では一般的な言い方ですが)。そういうのを聞くと,つい,突っ込みたくなります。「犬が子なら,その親である飼い主も犬か?」。でもよ く見ると多くの場合,そうではありません。呼び方の問題は,言葉の綾として,それだけのことかも知れませんが,しかし,命の場合は,もう少し,ややこしい 問題があります。

    まだ議論は続きますが,掲示板は字数の制限がありますので,続きは,ブログの12.「覚悟の問題―人は殺生しなければ生きていけないー」を見て下さい。

     

  • #9

    荻原 欒(日曜日, 31 3月 2013 00:09)

     

    今年も,年度末を迎えました。私のこれまでの職業習慣からは,これで1年が終了,来月からはまた新しい年,という気分でいます。この機に,23年度下期に読んだ本をリストアップしておきます。

    ・D.L.エヴェレット; 『ピダハン』 
       (屋代通子訳, みすず書房 2012.3.)
    ・ドイッチャー;『言葉が違えば,世界も違って見 えるわけ』(椋田直子訳 インターシフト2012)
    ・B.L.ウォーフ; 『言語・思考・現実』 
      (池上嘉彦訳 講談社学術文庫 1993)
    ・レヴィ・ブリュール 『未開社会の思惟』
      (山田吉彦訳  岩波文庫 1953 )
     「実在」「認知」「言語」「文化(生活)」をどのように関連付けるかは,今日に到る,哲学の根本的テーマと思われます。私も,未だ,多少は,哲学徒とし て,追求していることがらでもあります。前の2著は新刊,後の2著はすでに古典です。私見は折に触れて,ブログで開陳したいと思います。

    ・苫米地英人 『宗教の秘密(世界を意のままに操 るカラクリの正体)』(PHP研究所 2012)
    ・苫米地 英人 『洗脳原論』  (春秋社)
     苫米地本は,その他にも,いくつか読みました。きっかけは,川崎にある公園墓地「春秋苑」の季刊パンフレットにあった,空観に対する,著者の解説を読ん だことです。(その内容は「空を定義する―現代分析哲学とメタ数学的アプローチ」,ネットでみることができます。)。あまりにも著作が多く,多岐にわたる こともあって,学会的には,一般的には,怪しげな印象ですが,私は素直に読みました。

    ・天野 仁 『人生を素晴らしく楽しく生きる本』   (エコー出版 2000)
    ・天野 仁 『宇宙の存在に癒される生き方』
             (Theory of   Everything)
       (徳間書店 1997)
     筆者は湯川秀樹門下の物理学者です。したがって物理理論の理解は十分であると思われます。それに基づいて,素粒子論の超弦理論に従って,新しい素粒子, サイ粒子を主張します。この粒子により生気体(この世界の心的,精神的,生命的なことがら)が説明されることになります。つまり,物的心的全ての万物が説 明されることになります。これもまた,学会的,一般的には,怪しいとされるかも知れませんが,私には一つの整合性を持った物語であると思えるのです。

    ・ホーキング 『ホーキング,宇宙と人間を語る』
       (エクスナレッジ 2011)
    ホーキングはここで,「モデル依存実在論」をいいます。要するに,実在は,モデルとセットで実在である,ということです。モデルの役割は,その世界を広い 意味で説明できるか否かにあります。したがって,複数のモデルや,真理も複数であってよいとなります。ただし,私たちが観測できる量について有限の結果を 予言できるという条件の範囲でということになります。それができて,他に有効なモデルがないとすれば,それが世界だということになります。モデルとは物語 のことです。

    ・黒崎 宏 『啓蒙思想としての仏教』
       (春秋社 2012.4.)
    ・芦名定道,星川啓慈編 『脳科学は宗教を解明で きるか』   (春秋社 2012.8.)
    ・原 広司 『空間<機能から様相へ>』
     (岩波書店 2007 なかで,「非ず非ずと日  本の空間的伝統」)
    ・田坂 広志 『目に見えない資本主義』
       (東洋経済新報社 2009)
    ・田中清玄自伝 
       (文芸春秋社 1993)

    ・『蝶ー福部信敏詩歌集』 (私家版 2012.11.)
     著者は私の古い友人です。東京芸術大学前教授,ギリシャ美術史。2006年逝去。10代から40代までの作品を,夫人が編んだものです。人生への,純な,一途な対応が,(娘さんの早世という不幸を超えて)すがすがしさを感じさせます。

    ・高崎経済大学産業研究所 『新高崎市の諸相と地域的課題』
       (日本経済評論社 2012.3.)
    ・早島正雄 『自分で治す気の健康法』 
       (KKロングセラーズ 1999)
    ・上野英雄編 『ダムを造らない社会へ』
       (新泉社 2013.2.)
    上記は寄贈されたものです。最後の本の編者は「水道の蛇口をひねって森を思う」と言います。脱ダム社会をどうつくるか,八ッ場ダムの問いかけ,川との共生へ,の三部からなります。

    以下は,手をつけるべく積んであるものです。
    ・渡部直己 『日本小説技術史』 

       新潮社 2012.9.
    ・中村圭志 『宗教のレトリック』

       トランスビュー2012.
    ・ティックナット・ハン 『ブッダの<呼吸>の瞑 想』  野草社 2012.10.
    ・末木 文美士 『哲学の現場』
       トランスビュー 2012.1.

    今の私の興味は,ことがらを理解するとは,そのことがらだけの問題ではなく,そこに,もうひとつ,いわば目に見えない要素があるのではないかというテーマ です。その要素が何であるか,一般には,パラダイムだとか,モデル,概念体系,もっと通俗には,先入主,思い込み,洗脳など,呼ばれたり,それらに関連の 要素です。それが何であるのか,さらには,ことがらは,そういったものと,セットで存在するのではないか,ということです。ですから,目の前の一つのもの に対して,2人の人が向き合ったとき,そのものは同じであっても,その裏にあるものが同じとは言えませんから,そのことがらについて,2人の理解が一致す るには,その裏にあるものを共有しなければならないのです。しかし,そういうことが可能であるのか,そこに,相互理解の難しさがあるのです。そして,相互 理解の成立というのが,いわゆる宗教の根本テーマではないのか。そんな視点から,上記のような,書籍の選択になったようです。

    本当は,退職後,禅宗の語録というものを,読んだり,研究の対象にしようと,それなりに意気込んでいました。その前にということで,少々廻り道になってし まっていますが,新学期,いや,今は,単に4月からは,そんなことを始めようと思いつつあります。面白い話題があれば,このH.P.に紹介します。

    以上,年度末の挨拶でした。

     

  • #10

    87期(月曜日, 01 4月 2013 12:15)

     

    こんにちは 田中です
    またもやお邪魔いたします。

    ホーキング氏の著書は、SFが好きなものとして挑戦いたしましたが、挫折いたしました。
    今度ぜひ感想を教えてくださいね。

    私は今ほとんどミステリーしか読んでいませんので、お恥ずかしい限りです。
    しかしこの前は「商店街の興亡」という本を読みました。いわゆる「商店街」というのが、歴史的には戦後に出来たほんの最近なもの、(闇市が)就労者を吸収しやすいように国の政策でつくられたもの、という論証がしてありました。
    これを読むと商店街の人たちが望む「商店街の再生」というのがいかに間違ったものであるか、と感じました。
    以前から「商店街」の再生請負人として、区の予算を使ってイベントをしたり、大学の先生が講義に参られました。
    それでイベント自体は盛り上がるのですが、その集客が売り上げに結び付くでなく、区の予算や経費だけを使うものでした。
    持論として各個店が魅力的にならなければならない、それが最低条件と思ってきましたが、やはりその方向で合っているようです。

    すいません、また勝手に書いてしまいました。

    今回書き込みしたのは、今週に結婚式にも来た同期「S]君たちと嫁さんの独身友人と飲み会するんですよ、ということをお知らせしようと思ったのでした。

    結果もど報告しますね。

    ではまた
    田中正二

     

  • #11

    荻原 欒(火曜日, 02 4月 2013 11:58)


    私のような立場で,ウェッブ上に文章を書くことは,暗闇に向かって叫ぶ(あるいは,つぶやく)ようなもので,はたして聞く人がいるのかいないのか,誠に心 細いものです。そんな場面で,時折,田中君が応答してくれることは,少なくとも,1人以上はこの世に聞く人がいることで,はなはだ心強い。「0」と「1」 は大きな違いです。

    ところで,田中君のいう,『商店街の興亡』ですが,商店街というものが,あるいは,商店街という概念が,終戦後に成立したもの(作られたものだ)という論 は,(私はその本を読んでいませんので,そのことがら自体の正否は判断できませんが,今度,発行元を教えて下さい),興味深いものでした。それは,次の一 般論の身近な,良い例だからです。

    つまり,そのものの成立の過程を説明することによって,同じことですが,作られたものであることが説明されることによって,(あるいはそれまであったかも 知れない,)そのものの絶対性が否定されることです。ことがらが相対化されます。これは絶対性を否定する,よい論法なのです。このことによって,上の例で 言えば,商店街というものが,昔から存在し続ける,理想のあり方であって(アプリオリといいますが),そして,私たちはそれを目指さなければいけない,そ れに達すれば,万事解決する,とう思い込みから解放されます。作られたものは,アプリオリなものではありません(アポステリオリといいます)。私たちは, 通俗には,こういった様々な思い込みにとらわれて,その呪縛の下で生活しています。そこから離れることによって,自由な,様々な可能性が開けてくるので す。他の例で言えば,真実,正義,幸福,・・・を絶対として,それに従うべく,私たちの生活はなされたりしてます。しかし,それらが,歴史のある時点で, ある目的から,ある状況において,作られたものだとしたら,真実,正義,幸福,・・・という概念が,なくなってしまうわけではありませんが,相対化され, その意味合いは,変わってくるのです(もう少し自由に,こだわることないものとして論じられるようになります)。

    もっと言えば,こういった抽象的な概念ばかりでなく,社会生活の中で,国家であり,国旗であり,国歌であり,議会制度であり,人権であり,人間の尊厳であ り,その他のあらゆるその手のものが,絶対的,理想的なものとして思いこまれていますが,しかし,実は,みな,それぞれ成立の過程があり,作られたもので あり,絶対性はなく,その範囲のものなのです。そう理解すれば,社会生活のあり方も違ってくるはずです。身近な例として,地域振興における,「商店街(の 復興)」というのも,絶対ではなく(でも,多くがそう思い込んで,反対者を排除しますが),その他にも多くの考え方があるのではないか,というのが,一般 的に言えば,この本の示唆するところではないでしょうか。

    ことがらの説明には,そのことがらが何であるかという「認知的な説明」の他に,「その成立過程を言うことによる説明」,さらに,「そのことがらの役割,目指すところを言う(意味を言う)説明」があるわけです。この点について,今は,議論はここまでにしておきましょう。

    ついでに,『論語』に,「子の曰く,そのな(以)すところを観,そのよ(由)るところを観,その安んずるところを察すれば,人,いずくんぞ,かくさんや― 為政第二―」(その人のふるまいを見,その人の経歴を観察し,その人の落ちつきどころを調べたなら,その人がらは,どんな人でも隠せない)とあります。我 が蘊蓄の一端を示しました(笑)。

    P.S. 前回の掲示板の書き込みに,12年度下半期の私の読書報告をしておきました(一体,誰に対して報告しようとしているのでしょう?)。残したものがありました。ふだんあまり,文学書は読まないので,書き忘れました。次の3つです。
    ・村上春樹  『海辺のカフカ』 

      新潮文庫 2005
    ・大江健三郎 『燃えあがる緑の木』 

      新潮文庫 1995
    ・柴田まどか 『宮沢賢治 思想と生涯 -南へ走る汽車』 洋々社 1996 
    村上本は,長年,仲間と哲学の研究会(読書会)をやっているのですが,そのメンバーの友人が,突然,小説を読もうと言いだしたからです。村上を読むなら, 対抗上(?),大江も読もうと,これは私の意志です。そこへ,賢治の評伝を,著者から寄贈されました。それぞれ,有益でしたが,結局,村上world,大 江world,賢治world,というものがそこに構築されてあり,それぞれのworldの面白さかな,と思いました。今のところそこまでです。

     


  • #12

    東平洋子(水曜日, 03 4月 2013 09:29)


    ご無沙汰しております。 

    我が家の孫はお陰様でこの4月からは中学3年生になりますが、口から食べられない、飲めないということで初めは鼻からチューブを入れて流動食を流し込んでいました。
    けれども半年ほどして胃瘻の手術を受けてそれから6~7年胃瘻のお世話になりました。
    車椅子でしかも胃瘻付きで養護学校の小学部に入学しましたが、そこでとても良い先生に恵まれ、何とか歩けるようになり、夏休みには胃瘻を外すことが出来て離乳食のようなものから始めてどうやら普通食を食べられるようになり、2年生から地元の小学校へ転校できました。
    中学校に進級してからは体も大きくなってきて1年、2年と上尾市民マラソン大会3kmコースに出場しました。
    脳性まひの影響で体幹がふらつくために矯正の重い靴を履いていますがなんとか完走して堂々最後尾でニコニコともどってきました。 

    うちの子の場合は胃瘻のお蔭で育ちました。

     

  • #13

    荻原 欒(水曜日, 03 4月 2013 21:47)


    #12投稿の東平さんは,私の出身大学,同じ専攻の同級生,故東平恵司君(もう亡くなって7年になります)の夫人です。もちろん古くから知っている人で す。でも,私のサイトを時折,見てもらっているとは,想定外でした。ありがとうございます。思いもかけないところに読み手がいる,また楽しからずや,で す。

    胃ろうもそうですが,ここ,10年,20年,30年の医療技術の進展はものすごいものがあります。私のことですが,もう30年以上前に,子どもが生まれて まもなく,小児外科の手術を受けなければならないことがありました。そのとき,栄養の補給を,頚静脈に管を入れてそこからやる旨説明を受けました。それは その時点では,新しいやり方だったようです(今は一般的かも知れませんが)。それは,私どもについては有効でした。今は,さらに胃ろうその他の技術が確定 されているのでしょう。循環器,癌についても進歩は著しいようです。ただ,こういう新しい治療に間に合わなかった人は,残念だったなと思うのです。(きわ めて平凡な感想を述べてしまいました)。

  • #14

    87期田中マサジ(金曜日, 05 4月 2013)

     

    こんにちは
    先日の本ですが、正確には
    「商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)新雅史著
    でした。
    相変わらずのおっちょこちょいですいません。
    先生が興味をもたれるとは思わなくて、確認せずに書いてしました。どうもすいません。
    今度持っている本をお送りします。

    やみくもに「商店街=日本人の心の憧憬」と訴えられても、ピンとこなかったものがこの本でふに落ち、また荻原先生の書かれたこともまたふに落ちました。
    「里山」が自然にできたものでなく、人の手によって作られて守られてきたようなものでしょうか?
    自分は商店街に生まれ育った者ですから、思い出は商店街とともにありますが、そんな自分でも(自分の商店街を含めて)何を飼っていいのか迷うほど商品が少なく、汚い店が多いのが現状です。無理に残しても上手くいかないと思います。
    漫画「サザエさん」に登場する三河屋さんの丁稚・サブちゃんも今の子にとっては何のために他人の勝手口に入るのか判らないと思います。
    若い人と話すと酒屋さん自体に入った事がないという人が多いです。
    また話が脱線してしまいました。
    今日は清水直哉達と独身紹介飲み会をやってまいります。
    今度は清水の結婚式でお会いできればいいのですが(笑)
    ではまた

     

  • #15

    87期の田中正二です(月曜日, 08 4月 2013 18:11)

     

    今日本を送りましたので、買わないでくださいね~!

     

  • #16

    荻原 欒(水曜日, 10 4月 2013 23:10)

          
    田中正二君へ。本,今日届きました。ありがとう。(新雅史著 『商店街はなぜ滅びるかー社会・政治・経済史から探る再生の道』 光文社新書 2012.5.刊)あとがきを読んで著者の意図は分りました。さっそく読んでみます。

    今日,多くの人はいわゆるサラリーマンですが,その他に,「農家」,「職工・職人」,「商売」,昔流に言えば,農工商にあたる仕事と,そこにおける生活が あるわけです。私は育ってきた経緯から,農業,農村,その生活については,心情的にもよく分るのですが,「もの作り」と「商売」,つまり,職工さん職人 衆,商店については,生活環境,生活心情ともに,内的には全く分りません。その逆の人もいるでしょう。面白いものです。

    それでも,商売関係の知人がいないわけではありません。高校の親しい同級生は,その業界の全国協会の会長までやりましたし,同じく高校の同級生(女性)は 酒屋の主婦として,*十年ですし(@蒲田),私が商業高校に勤めていた頃の卒業生(女性)も酒屋に嫁いで,今日に到ります(@池上)。ともに後継ぎがいま す。それに田中君(@板橋)と,(八百やにも,肉やにも縁がありませんが),酒屋さんとは赤い糸で結ばれているようです。酒については,それなりのお客で もあります。

    かく,商売に無知な私ですが,それでも,商売とは何かについて考えさせられる,いくつかの接点がありました。すべて,懐かしい,平成以前のことです。
    まず第一は,昭和の40年代のことですが,上に話した,卒業生のK君が,結婚することになって,酒屋の跡継ぎである相手の男性と一緒に,私宅を訪ねてくれ たことがあります。その頃,ちょうど,酒販売の自由化が少しずつ話題になる頃でしたので,私としては背伸びして,そんなことを話題にしました。答えは,で もまだしばらくかかるだろうということでした。
    第二は,その前後,私が勤めていた商業高校の,同僚の先輩の先生から,大型店舗の規制の是非の話を,時折聞かされました。私には,その将来的な意味は分り ませんでしたが。(この先生は,当時は商業経営など呼ばれた分野,今で言えばマーケティングでしょうか,が専門で,後に中大の商学部教授になりました)。
    両方とも,当時問題になりつつあったことがらで,結局,自由化の方向に進みましたが,しかし,いろいろな観点から,今日でも,考えるべき問題が残されていると思います。

    第三は,大学に勤めるようになってから,その当時は,地方出身の学生が多かったので,年に一回,地方の各地で,教員の方が出張して,父兄会というのが開か れていました。毎年いろいろなところに行きました。父兄会のあと,父母が慰労会を開いてくれるのですが,懇談のなかで,私など,商業,経済問題に疎い者に は,目を覚まさせてくれる話題が数々ありました。3つだけ上げましょう。全て昭和の時代のことです。
    富山に行ったときです。魚市場の仲買の会社を経営する父親がいて,「うちの現場の連中は,商売が好きで困ってしまう」と言っていました。つまり,経営とし ては,冷蔵庫もあるのだから,値段も見ながら,品物を出し入れして,計画的に売りたいのだが,現場の方は,とにかく売ってしまう,連中はそのやりとりに, 商売の醍醐味を見ているというようなことでした。これは,面白い話です。商売はその意気です。違う例ですが,私の住まいの近くに「サイボクハム」という, 肉,野菜を合わせて売る,大型店舗があります。そこにあるお茶屋さんが出店しているのですが,その店の隠居のおじいさんが外でほうじ茶を目の前で詰めて 売っているのです。その詰めっぷりがよい。息子や孫が,出ているときはダメなのです。一方,肉の売り場には,もうすぐ定年になる年配の,肉加工については ベテランのおじさんがいて,たまに売り場にも出てくるのですが,あるとき,私のところの家内が,牛肉をかったら,まず注文の分量を測った上で,「これは奥 さんの分」と言って,もう一枚のせてくれたというのです。ともに,それなりの立場でないと出来ないことですが,こういうのが,昔流には,商売の面白さでは ないでしょうか(阿吽の呼吸,人間関係)。
    もう一つは,愛媛に行った時のことです。そちらのタオル製造会社の社長がきていて,タオルを中国で作ってこちらに持ってくるのだという話をしていました。 一緒にいた国際経済の先生は,さもありなんと聞いていましたが,今では当たり前でも,私には,作るところと,売るところが,国境を越えて違うというのは, 新しい知識でした。
    もう一つ,北海道の父兄ですが,私の商売は,移動トイレを,レンタルすることだと言われて,こんな商売があるのかとびっくりでした。そして,この前は,甲 府のどこそこまで国体開催について,何十個運んだと言われました。私も甲府の地理は分っているので,地名まで含めて,興味森々でした。今では,大工さんの 現場にも普及していますが。

    以上,私と商業の,ささやかな接点,想い出,でした。

     

  • #17

    荻原 欒(土曜日, 13 4月 2013 11:44)

     


    ホームの写真は,時節がら,小学唱歌「朧月夜」の歌詞に合わせて撮りたかったのですが,私の技量が邪魔して,イメージが違うようです。なぜ「朧月夜」なの か,私は,「朧月夜」と「みかんの花咲く丘」を聞くと,郷愁を感ずるのです。抒情的に,センチメンタルになるのです。みなさんそれぞれにそういう歌がある のでしょう。40年,50年前のNHKラジオ放送で,歌とその歌にまつらう想い出を投稿する番組がありました。最初はサトウハチローが司会のもの(ハチ ロー翁は余計なことは何も言わないのです),次に,「にっぽんのメロディ」,「当マイクロフォン」のアナウンサー中西龍が,あの得意の調子でよむものでし た。「歌に思い出が寄り添い,想い出に歌は語りかけ,そのようにして歳月は静かに流れて行きます。・・・」というやつです。

    小学唱歌は,少なくとも当時の国民が皆知っていて,一部を言えば,言わない部分も浮かんで,共通の話題になる,そこがよいところです。

    「朧月夜」,作詩は高野辰之(長野県中野市出身)で,同じ高野の作詞になるものに,「春の小川」や,近時いろいろと話題になることの多い「故郷」などあります。

    「故郷」について,私が気になるのは,次の四番の歌詞です。
      こころざしをはたして,
      いつの日にか帰らん,
      山は青き故郷,
      水は清き故郷
    「志を果たして」と言います,ところで,志とは何でしょうか。第一には,こうなりたい,このようにしたいという意志の,持続です。「こころに目指すとこ ろ」です。それがないと空洞化した人生ということになります。しかし,志には,もう一つの意味があります。それは正直さを保つということです。こころざし を果たすのに,まっとうな手段でやるということです。目的は達成したが,手段が怪しかった,何でもありでやった,これではこころざしとは言えないのです。

    その志を歌った歌として,私が,カラオケで歌いたいのは(歌うのは)次です。
      故郷(クニ)を出るとき,もって来た
      大きな夢を,盃に,
      そっと浮かべて,漏らすため息,
      チャンチキおけさ
      おけさ涙で,曇る月
    ご存知,三波春夫の「チャンチキおけさ」の三番です。高度成長期をまたいで,その頃成人していた者には,こちらもよく分ります。

    まことに,生命はそれなりに全うできても,志を全うすることは,全員に出来ることではありません。だから,多くは,「いつの日にか帰らん」,「おけさ涙で,曇る月」となるのです。しかし,その寂しさがまた,人生の抒情(あるいは,人生すなわち抒情)です。

    志について,もうひとつ。
    棟方志功は,青森市の出身です。市内の,長島小学校(志功の当時は尋常小学校など言ったのでしょうが)の古い卒業生です。晩年,頼まれて,石碑にすべく,その小学校に書を贈りました。次の4字です。
      汝我志磨
    「汝と我,志を磨く」,これで「ナガシマ」と読ませます。
    私が言いたいのは,学校というのは,まさにこういうところだということです。学校は,何よりも,立志の場所であること。そして,それが,秘かに自分だけのものというのでなく,我と汝の関係の中で磨かれ,公共性を持ったものになっていく,そこです。
    私は,かつて,大学の父兄会で,青森を訪ねた折,市内の長島小学校に,この石碑を見に行ってきました。校門の右手の植え込みの中にありました。(フォトギャラリーに写真があります)


    最後に,志に関して,厳しい詩があります。
    茨木のり子「自分の感受性くらい」です。
      初心消えかかるのを
      暮らしのせいにはするな
      そもそもがひよわな志にすぎなかった

     

  • #18

    東平洋子(日曜日, 14 4月 2013 21:28)

     

    なんと感性が似ているのかとびっくりしました。

    夫も「朧月夜」、「みかんの花咲く丘」、「里の秋」・・などが大好きでした。

    やはり感性が似ているので長いこと親しくしていただいたのですね。

    欒さんの文でちょっぴり夫を思い出しました。

    ありがとうございます。

     

  • #19

    荻原 欒(土曜日, 20 4月 2013 23:42)


    東平さんの書き込みをきっかけに,私は私で,故恵司君との,50年弱の付き合いは,何だったのかと,いささか分析的に考えてみました。ただあまり個人的な ことを述べても,多くの皆さんには興味がないので,一般論ふうに話してみます。それ故,ここではA君としておきます。A君は,世田谷のK大学の教授をして いて,定年までもう少しという時に,循環器系の疾患で急逝しました。私とは,大学入学以来ですから,20歳前後からの付き合いになります。ちょうど60年 安保の前年の入学でした。それ以来,老年あるいは老年近くまで,「離れず,離れず」に過ごしてきました。

    孔子は,「その人の由るところ(つまり経緯)を知れば,その人物の何であるかは知れる」と言っていますが,若いころから付き合っていると,その人に何か起 こったとき,その人が何か行動したとき,それに到る経緯を身近で知っています。そういう経緯の結果が,その総合が,A君の人となりであるとすると, A君が何からできているか,言わば,A君の部品は心得ていることになります。さらにそのメカニズムも大体分ります。だから,こういう状況ではこう動く,こ う押せばこうなる,と見当つくわけです。もちろんそのことはお互い様ですが。また,私とA君は,(職業環境を中心として)生活の場も,部分的には重なって いましたから,その点からも,よく分るのです。よくも悪しくも,「気心が知れている」(お互い様に)ということです。

    それから,もう一つ,自己とは何かと問うたとき,自分だけで孤立して存在しているのでは,そこには何も成立していません。ですから,自己とは,孤立した一 つ(主体とか個人)のことではなく,自分をもその結節点の一つとして,まわりのさまざまな物体,あるいは,他の人間とのいろいろな関係が成立している,そ のネットワーク,網の目全体のことだというのが正しいと思います。自己とは関係性だとしたのはキルケゴールですが,ややこしいことは言わないとしても,自 分を含んだ網の目が,関係全体がその折々にあって,それが連続的に移り変わっていくというのが,我々の一生であると言ってよいでしょう。その網の目の近い ところの結び目に,A君がいて,私がいて,共通の友人がいて,共通の恩師や,先輩がいた,そして,その目はある時は延び,ある時は縮み,また,新しい結び 目ができて,全体の様相が変わってきたりする。そういうことです。もっとも,私の網については,作今は,あちこちで,結び目が,ぽろっと欠けるようになっ てきましたが。かく,私とは,孤立した私ではなく,私という網の目のことであるとすると,A君は,その意味で,私の構成要素でもある(仮に故人になったと しても)ということになります。このこともお互い様ですが。

    このように解説したからと言って,何がどうということでもありませんが,一般論をすれば,そんなことでしょうか。いずれにせよ,「馬が合う」とか,「気心が知れている」とか,「気が置けない」という間がらは,得難いものであります。

    A君と,唱歌の好みに関して,感性において,共通する部分が少なからずあったかもしれません。しかし,それだけでなく,A君や,当時の友人との共通の歌の思い出としては,次がうかぶのです。懐かしく。

    大学時代,60年安保をはさんで,A君は,闘士でした。一方,私は,(宗教哲学を構築しようなど思っていて,)反闘争ではないにしても,社会思想的には軟 弱分子でした。でも,当時,都心の大学では,そういうことはお構いなく,デモと集会は,連日行われ,私を含めて,多くが参加し,盛り上がっていました。少 なくとも,東京の,その範囲では,雰囲気はそういうものでした。時節がそうであったというか,でも,万事,人間の世では,雰囲気が大事らしいのです。その 後,A君がどうなり,私がどうなり,時代がどうなった,そのことに対する批判,反省は,ややこしい話になりますから,ここではおきます。

    問題にしたいのは,それぞれ,その時代,その場所に,懐かしい歌がくっついていることです。「想い出に歌は寄り添い,歌に想い出は語りかけ」です。A君 も,私も,当時周辺の多くの友人も,そこにおいて,共通の感性を示す歌があります。これはある意味で,当時の若者にとって抒情歌かも入れません。小学唱歌 が複数であるように,ここでもいくつかあるのですが,本命として,ひとつ取り上げておきます。

     ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土に
     今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を
     三度許すまじ原爆を われらの街に

    雰囲気だけなら,一番だけでよいのですが,全部あげておきます。

     ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく
     今は舟に人もなし ああ許すまじ原爆を
     三度許すまじ原爆を われらの海に

     ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地おおい
     今は空に陽もささず ああ許すまじ原爆を
     三度許すまじ原爆を われらの空に

     はらからのたえまなき 労働にきづきあぐ富と幸
     今はすべてついえ去らん ああ許すまじ原爆を
     三度許すまじ原爆を 世界の上に

                 (「原爆許すまじ」)

    これを聴くと,当時の気持ちに戻ります。A君も多分そうでしょう。集団的共通感性とでもいいましょうか。

    ついでに,次のようなものもありました。ややセクトが絡みますが,私と同年輩の者にはすぐにメロディが浮かんできて,懐かしく,若い人には,老人の繰り言と思われるでしょうが。

     「たて 飢えたるものよ  いまぞ 日はちかし
     さめよ 我がはらから  あかつきは きぬ
     ・・・ 」
            (インターナショナルの歌)

     

     「学生の歌声に 若き友よ 手をのべよ
     輝く太陽青空を 再び戦火で乱すな
     われらの友情は 原爆あるもたたれず
     闘志は 火と燃え 平和のために戦わん
     団結かたく 我が行くてを守れ」

                 (国際学連の歌)

  • #20

    荻原 欒(月曜日, 29 4月 2013)


      新雅史著

     『商店街はなぜ滅びたかー社会・政治・経済史か  ら探る再生の道―』   (2013.5. 光文社新書)

    を興味深く読みました。
    本の要点は,次のようなことでしょう。

    日本の近代化の過程において,農村の余剰人口は,一部は,(資本主義の展開のセオリー通り),工場労働者を典型として,何らかの形で雇用される者となっ た。しかし,少なからざる他の一部は,雇われる形でなく,自力で生活を立てる,(雇われることなく)自営の生活者として,農村を離れた。被雇用者(労働 者)と自営者(自営業者)の2つのグループ,いわば両翼をなす。商人,個人商店経営は,後者の代表である。

    大正末期以後,この自営層,(なかんずく商人層(零細小売商)を安定させるべく,商店街の設立が構想され,実現した。内容的には,(またこの時期に成立し た)百貨店,共同組合,公設市場などの影響を受けている。(商店街にも,繁華街の商店街と,日常生活に密着した地元の商店街がある。)このようにして商店 街は意図的に作られて成立したのであり,まず終戦時まで,安定した発展を遂げた。終戦後も,物資不足,経済成長,行政府による保護規制の後押しもあり, (1970年代初めの)オイルショックごろまでは,深刻な先行きの問題は自覚されず,そこまでは商店街,商店のそれなりの安定期であった。

    こういった,(自営の)商店の特性は次にある。
     ① 経営と労働が分離されていない
     ② 経営単位としての家族(家族経営,家族労働)
     ③ 血縁者による相続
     ④ 地域性
     ⑤ 規制(免許など法的規制+商工会など自主的規制)による   保護,それによる安定

    小売商という自営は,こういった特性の下に,ある時期まで安定していた。しかし,小売商に対する外部の状況は,オイルショック前後(経済のグローバル化,市場原理の浸透)から変わる。
     ① 大規模店の成立(スーパーストア)
     ② 流通革命(消費者優先,市場の大規模化,値段は消費者が   決める)
     ③ コンビニエンスストアーの普及(商店の一部は,コンビニ   経営者に移る)
     ④(保護)規制撤廃の潮流

    さらに内的な問題の顕在化として,
     ① 一般に家族という共同体の崩壊
     ② 後継者の不在
     ③ 業界が,既得権を守ることを目指す自己中心の利益集団に   なってしまったこと

    そして,最も根本的には,日本社会自体が,雇用者対自営という両翼のうち,雇用者を中心とし,自営者は従とする方向を選んだことである。企業中心,従っ て,雇用者中心という体制である。その一つの例が,年金制度で,それは,雇用者と専業主婦を基本とする構成になっている(日本型福祉社会),という。つま り,自営者と,そこにおける家族労働は,身捨てられた。

    かくして,1970年後を境として,商店街は,基本的には崩壊に向かい,小売商にとってはつらい時代になってきたのである。しかしながら,著者は,①人々 が生きるについて,生きる術は,一つの形だけではなく,多種類用意されているのが望ましいこと,②地域社会の自律性を取り戻したい,ということから,自営 業の復権(その中には商店,商店街の復活もはいる)の可能性を探る。
    そしてそのために,次のように言う。
    国の仕事は,給付と規制の2つから成り立つ。そして,それぞれが,個人に対するものと地域に対するものの2つに分けられるから,次の4つの領域が成立する。
     Ⅰ 個人に対する給付 (公的扶助,社会保険,社会手当)当
     Ⅱ 個人に対する規制 (労働基準法,派遣規制,・・・)
     Ⅲ 地域に対する規制 (ゾーニング,距離規制,・・・)
     Ⅳ 地域に対する給付 (公共事業,地方交付税,・・・)
    昨今の政治の主流は,給付を塩梅することによって,政治を動かそうとしているが,そこには周知のように多くの問題が出現している。一方,規制については, 規制緩和が喧しく言われるが,著者は,この4つの領域のどれかを特出させるのではなく,そのバランスのとれたミックスが重要であると言う。そして,商店街 の復活,ひいては地域振興のためには,(これまでの反省の上に立った,新しい形の)地域に対する規制の実現が大切とする。

    以上が,(私の興味を中心としての),この本の要約です。

    以下,私の感想を述べます。
    まず,雇用と自営という二分は示唆的で,それによって見えてくるものがあります。その上で,私が最も興味をもつ論点は,自営の復権ということです。

    雇用される者,要するサラリーマンです(個々の仕事の種類はまちまちですが)。サラリーマンは企業に所属するものです。企業においては,労働と経営とが分 離されており,それによって,企業は,合理的に,効率的に運営されていくとされます。今日,我々の経済活動は,企業中心に理解されます。企業の目的(経済 活動の目的)は利潤の追求で,経営はそのための過程であり,そこでは雇用者は手段ということになります。企業中心主義です。今日,これが世の中の主流で, 多数派の目指すところです。

    一方,自営業の特色は,先に述べたように,労働と経営(マネジメント)が同一の主体によって行われることです。自営にもいろいろあります。個人商店も,飲 食業も,町工場も,職人的なサービスの提供も自営ですし,そして,農業もそうです。資格に基づいて開業する業種もあります,いわゆる自由業もここに入りま す。幅は広いのです。
    ただその中で,他から強力に特化された基盤に基づくもの(資格によるとか,特別なパテントによるとか,引き継いだ権威によるとか)は別として,一般的な, 自営業者にとっては,今日の,企業優先,雇用人優先という状況は,辛いものになっているのではないでしょうか。今日の状況は,上の著者のいう通り,この種 の自営業を支える環境はありません。

    先にも述べましたが,自営業の特性は,①家族労働(少なくとも夫婦),②地域性,③大きくは儲からない(企業にしない限り),④顧客との個的な人間関係,⑤血縁による相続,などでしょう。

    それに対して,今日の世界は,グローバリズムと市場主義をトレンドとしています。そちらがよしとされているわけです。企業中心です。自営業の,上の様な特 性,家族性,地域性,限界ある収入(無限の利益を求めると言う立場ではありません),人間的接触の世界は,その反対の極にあるものです。ですから,グロー バリズムと市場主義をよしとする経済環境においては,自営は,非効率で,発展の足かせで,消えゆくものとされます。それが現在の状況です。

    しかしながら,グローバリズムと市場主義が,最終的に人を幸せにするものであるかというと,大いに疑問は残りますし,今日の企業社会の中で,サラリーマン の立場も,弱くなりつつあります。これらの対極にあるのは,一つには,地域主義であり,一つには,利潤追求の市場主義に基づくのでない別の価値(人間ある いは人間関係に根拠をおく,いわば人間主義)の追求ということになるでしょう。もし,人間の基本が,個々人の労働と,自分による自分のマネジメント(自 立)であるとするならば,労働とマネジメントの両方を備える,自営という生き方は魅力的なものになります。自営という生き方の検討には,そういった深いも のが含まれていると思うのです。グローバリズム,市場主義でいくか,地域主義,人間主義でいくか,自営の評価は,そこに関わる大きな問題なのです。どちら を取るかで,世界は変わってくるのです。

    私は,30歳を過ぎて,それまで勤めていた公立高校を退職して,学習塾を開いて身を立てることにし,後の30代をそれで過ごしました。自営業です。今でい えば,わざわざ(安定した)勤めをやめて,何で零細自営を,というところでしょうが,その頃は,経済の成長期でしたから,そういう試みも可能で,一般的 に,生き方にも,職業にもそれなりの流動性が存在した時代でした。しかし,その時身にしみて感じたことは,自営業ですから,教室の設定から,事務処理,税 務(大したことはありませんが),生徒の募集まで,すべて自分でやるわけで,その上,収入の保証はありませんから,しばらくは,心身に渡ってそれなりに ハードで,サラリーマンの安定性は,なかなかに捨て難いものだということでした。

    自営業をこんなふうに位置付けした上で,本を貸してくれた田中正二君にお礼を言うと共に,商売発展のエールを送ります。