商店街はなぜ滅びたか

 

 『商店街はなぜ滅びたかー社会・政治・経済史から探る再生の道―』 

  新 雅史 著 (2012.5.光文社新書)

を興味深く 読みました。本の要点は,次のようなことでしょう。

 日本の近代化の過程において,農村の余剰人口は,一部は,(資本主義の展開のセオリー通り),工場労働者を典型として,何らかの形で雇用される者となった。しかし,少なからざる他の一部は,雇われる形でなく,自力で生活を立てる,(雇われることなく)自営の生活者として,農村を離れた。被雇用者(労働者)と自営者(自営業者)の2つのグループ,いわば両翼をなす。商人,個人商店経営は,後者の代表である。

 

 大正末期以後,この自営層,(なかんずく商人層(零細小売商)を安定させるべく,商店街の設立が構想され,実現した。内容的には,(またこの時期に成立した)百貨店,共同組合,公設市場などの影響を受けている。(商店街にも,繁華街の商店街と,日常生活に密着した地元の商店街がある。)このようにして商店街は意図的に作られて成立したのであり,まず終戦時まで,安定した発展を遂げた。終戦後も,物資不足,経済成長,行政府による保護規制の後押しもあり,(1970年代初めの)オイルショックごろまでは,深刻な先行きの問題は自覚されず,そこまでは商店街,商店のそれなりの安定期であった。

 

 こういった,(自営の)商店の特性は次にある。

 ①     経営と労働が分離されていない

 ②     経営単位としての家族(家族経営,家族労働)

 ③     血縁者による相続

 ④     地域性

 ⑤     規制(免許など法的規制+商工会など自主的規制)による保護,それによる安定

小売商という自営は,こういった特性の下に,ある時期まで安定していた。

 

 しかし,小売商に対する外部の状況は,オイルショック前後(経済のグローバル化,市場原理の浸透)から変わる。

 ①     大規模店の成立(スーパーストア)

 ②     流通革命(消費者優先,市場の大規模化,値段は消費者が決める)

 ③     コンビニエンスストアーの普及(商店の一部は,コンビニ経営者に移る)

 ④     (保護)規制撤廃の潮流

 

 さらに内的な問題の顕在化として,

 ①     一般に家族という共同体の崩壊

 ②     後継者の不在

 ③     業界が,既得権を守ることを目指す自己中心の利益集団になってしまっ  たこと

 そして,最も根本的には,日本社会自体が,雇用者対自営という両翼のうち,雇用者を中心とし,自営者は従とする方向を選んだことである。企業中心,従って,雇用者中心という体制である。その一つの例が,年金制度で,それは,雇用者と専業主婦を基本とする構成になっている(日本型福祉社会),という。つまり,自営者と,そこにおける家族労働は,身捨てられた。

 

 かくして,1970年後を境として,商店街は,基本的には崩壊に向かい,小売商にとってはつらい時代になってきたのである。しかしながら,著者は,①人々が生きるについて,生きる術は,一つの形だけではなく,多種類用意されているのが望ましいこと,②地域社会の自律性を取り戻したい,ということから,自営業の復権(その中には商店,商店街の復活もはいる)の可能性を探る。

 

 そしてそのために,次のように言う。

国の仕事は,給付と規制の2つから成り立つ。そして,それぞれが,個人に対するものと地域に対するものの2つに分けられるから,次の4つの領域が成立する。

 Ⅰ 個人に対する給付 (公的扶助,社会保険,社会手当,・・・)

 Ⅱ 個人に対する規制 (労働基準法,派遣規制,・・・)

 Ⅲ 地域に対する規制 (ゾーニング,距離規制,・・・)

 Ⅳ 地域に対する給付 (公共事業,地方交付税,・・・)


 昨今の政治の主流は,給付を塩梅することによって,政治を動かそうとしているが,そこには周知のように多くの問題が出現している。一方,規制については,規制緩和が喧しく言われるが,著者は,この4つの領域のどれかを特出させるのではなく,そのバランスのとれたミックスが重要であると言う。そして,商店街の復活,ひいては地域振興のためには,(これまでの反省の上に立った,新しい形の)地域に対する規制の実現が大切とする。

 

 以上が,(私の興味を中心としての),この本の要約です。

 

 以下,私の感想を述べます。

 

 まず,雇用と自営という二分は示唆的で,それによって見えてくるものがあります。その上で,私が最も興味をもつ論点は,自営の復権ということです。

 

 雇用者,(個々の仕事の種類はまちまちですが),要するサラリーマンです。サラリーマンは企業に所属するものです。企業においては,労働と経営とが分離されており,それによって,企業は,合理的に,効率的に運営されていくとされます。今日,我々の経済活動は,企業中心に理解されます。企業の目的(経済活動の目的)は利潤の追求で,経営はそのための過程であり,そこでは雇用者は手段ということになります。企業中心主義です。今日,これが世の中の主流で,多数派の目指すところです。

 

 一方,自営業の特色は,先に述べたように,労働と経営(マネジメント)が同一の主体によって行われることです。自営にもいろいろあります。個人商店も,飲食業も,町工場も,職人的なサービスの提供も自営ですし,そして,農業もそうです。資格に基づいて開業する業種もあります,いわゆる自由業もここに入ります。幅は広いのです。

 

 ただその中で,他から強力に特化された基盤に基づくもの(資格によるとか,特別なパテントによるとか,引き継いだ権威によるとか)は別として,一般的な,自営業者にとっては,今日の,企業優先,雇用人優先という状況は,辛いものになっているのではないでしょうか。今日の状況は,上の著者のいう通り,この種の自営業を支える環境はありません。


 先にも述べましたが,自営業の特性は,①家族労働(少なくとも夫婦),②地域性,③大きくは儲からない(企業にしない限り),④顧客との個的な人間関係,⑤血縁による相続,などでしょう。

 それに対して,今日の世界は,グローバリズムと市場主義をトレンドとしています。そちらがよしとされているわけです。企業中心です。自営業の,上の様な特性,家族性,地域性,限界ある収入(無限の利益を求めると言う立場ではありません),人間的接触の世界は,その反対の極にあるものです。ですから,グローバリズムと市場主義をよしとする経済環境においては,自営は,非効率で,発展の足かせで,消えゆくものとされます。それが現在の状況です。

 

 しかしながら,グローバリズムと市場主義が,最終的にひとを幸せにするものであるかというと,大いに疑問は残りますし,今日の企業主義の社会の中で,サラリーマンの立場も,弱くなりつつあります。その対極にあるのは,一つには,地域主義であり,一つには,利潤追求の市場主義に基づくのでない別の価値(人間あるいは人間関係に根拠をおく,いわば人間主義)の追求ということになるでしょう。もし,人間の基本が,個々人の労働と,自分による自分のマネジメント(自立)であるとするならば,労働とマネジメントの両方を備える,自営という生き方は魅力的なものになります。自営という生き方の検討には,そういった深いものが含まれていると思うのです。グローバリズム,市場主義でいくか,地域主義,人間主義でいくか,自営の評価は,そこに関わる大きな問題なのです。どちらを取るかで,世界は変わってくるのです。

 

 私は,30歳を過ぎて,それまで勤めていた公立高校を退職して,学習塾を開いて身を立てることにし,30代の何年間かを過ごしました。自営業です。今でいえば,わざわざ(安定した)勤めをやめて,何で零細自営を,というところでしょうが,その頃は,経済の成長期でしたから,そういう試みも可能で,一般的に,生き方にも,職業にもそれなりの流動性が存在した時代でした。しかし,その時身にしみて感じたことは,自営業ですから,教室の設定から,事務処理,生徒の募集まで,すべて自分でやるわけで,その上,予定収入の保証はありませんから,しばらくは,心身に渡ってそれなりにハードで,サラリーマンの安定性は,なかなかに得難いものだということでした。

 

 自営業をこんなふうに位置付けした上で,本を貸してくれたK.S.君にお礼と共に,商売発展のエールを送ります。