三度許すまじ原爆を

 

 A君の奥さんの書き込みをきっかけに,私は私で,故A君との,50年にわたる付き合いは,何だったのかと,いささか分析的に考えてみました。ただあまり個人的なことを述べても,多くの皆さんには興味がないので,一般論ふうに話してみます。それ故,ここではA君としておきます。A君は,世田谷のK大学の教授をしていて,定年までもう少しという時に,循環器系の疾患で急逝しました。私とは,大学入学以来ですから,20歳前後からの付き合いになります。ちょうど60年安保の前年の入学でした。それ以来,老年あるいは老年近くまで,「離れず,離れず」に過ごしてきました。

 

 孔子は,「その人の由るところ(つまり経緯)を知れば,その人物の何であるかは知れる」と言っていますが,若いころから付き合っていると,その人に何か起こったとき,その人が何か行動したとき,それに到る経緯を身近で知っています。そういう経緯の結果が,その総合が,A君の人となりであるとすると, A君が何からできているか,言わば,A君の部品は心得ていることになります。さらにそのメカニズムも大体分ります。だから,こういう状況ではこう動く,こう押せばこうなる,と見当つくわけです。もちろんそのことはお互い様ですが。また,私とA君は,(職業環境を中心として)生活の場も,部分的には重なっていましたから,その点からも,よく分るのです。よくも悪しくも,「気心が知れている」(お互い様に)ということです。

 

 それから,もう一つ,自己とは何かと問うたとき,自分だけで孤立して存在しているのでは,そこには何も成立していません。ですから,自己とは,孤立した一つ(主体とか個人)のことではなく,自分をもその結節点の一つとして,まわりのさまざまな物体,あるいは,他の人間とのいろいろな関係が成立している,そのネットワーク,網の目全体のことだというのが正しいと思います。自己とは関係性だとしたのはキルケゴールですが,ややこしいことは言わないとしても,自分を含んだ網の目が,関係全体がその折々にあって,それが連続的に移り変わっていくというのが,我々の一生であると言ってよいでしょう。その網の目の近いところの結び目に,A君がいて,私がいて,共通の友人がいて,共通の恩師や,先輩がいた,そして,その目はある時は延び,ある時は縮み,また,新しい結び目ができて,全体の様相が変わってきたりする。そういうことです。もっとも,私の網については,作今は,あちこちで,結び目が,ぽろっと欠けるようになってきましたが。かく,私とは,孤立した私ではなく,私という網の目のことであるとすると,A君は,その意味で,私の構成要素でもある(仮に故人になったとしても)ということになります。このこともお互い様ですが。

 

 このように解説したからと言って,何がどうということでもありませんが,一般論をすれば,そんなことでしょうか。いずれにせよ,「馬が合う」とか,「気心が知れている」とか,「気が置けない」という間がらは,得難いものであるのでしょう。

 

 A君と,唱歌の好みに関して,感性において,共通する部分が少なからずあったかもしれません。しかし,それだけでなく,A君(や当時の友人)との共通の歌の思い出としては,次のようなことがうかぶのです。懐かしく。

 

 大学時代,60年安保をはさんで,A君は,闘士でした。一方,私は,(宗教哲学を構築しようなど思っていて,)反闘争ではないにしても,社会思想的には軟弱分子でした。でも,当時,都心の大学では,そういうことはお構いなく,デモと集会は,連日行われ,私を含めて,多くが参加し,盛り上がっていました。少なくとも,東京の,そういう範囲では,雰囲気はそういうものでした。時節がそうであったというか,でも,万事,人間の世では,雰囲気が大事らしいのです。その後,(A君がどうなり,私がどうなり),時代がどうなった,そのことに対する批判,反省は,ややこしい話になりますから,ここではおきます。

 

 問題にしたいのは,それぞれ,その時代,その場所に,懐かしい歌がくっついていることです。「想い出に歌は寄り添い,歌に想い出は語りかけ」です。A君も私も当時周辺の多くの友人も,そこにおいて,共通の感性を示す歌があります。これはある意味で,当時の若者にとって抒情歌かも入れません。小学唱歌が複数であるように,ここでもいくつかあるのですが,本命としては,ひとつ取り上げておきます。

 

ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土に
今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を われらの街に

 

 雰囲気だけなら,一番だけでよいのですが,全部あげておきます。

 

ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を われらの海に

 

ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を われらの空に

 

はらからのたえまなき 労働にきづきあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を 世界の上に

 

 これを聴くと,当時の気持ちに戻ります。A君も多分そうでしょう。集団的共通感性とでもいいましょうか。

 ついでに,次のようなものもありました。ややセクトが絡みますが,私と同年輩の者にはすぐにメロディが浮かんできて,懐かしく,若い人には,老人の繰り言と思われるでしょうが。

 

「 たて 飢えたるものよ  いまぞ 日はちかし
 さめよ 我がはらから  あかつきは きぬ
 ・・・ 」

       (インターナショナルの歌)

   

 

   「 学生の歌声に 若き友よ 手をのべよ
   輝く太陽青空を 再び戦火で乱すな
   われらの友情は 原爆あるもたたれず
   闘志は 火と燃え 平和のために戦わん
   団結かたく 我が行くてを守れ 」

            (国際学連の歌)