3.11.について2年たって思う

 

3月と言えば,何と言っても震災を思い出すのですが,少し辛口に言えば,今度の震災への日本人,あるいは,人々の,対応(まだ終わってはいませんが)について,ああ,また,日本的というか,いつも通りだったなというのが私の感想です。ちょっと述べさせてもらいます。ただし,これは,被災の当事者についてどうこう言おうというのではなくて,この件に対する,日本人の反応,対応についての感想です。

 

その対応の手法は,

1)   感情的なところに(情緒的なところに)すべてを流し込んで,終了とする

2)   ことがらについてタブーを作る

ということです。

 

例えば,被災者は気の毒だ(それに違いはないのですが),命は大切だ,復興へ向けて一生懸命努力している,人々の絆の尊さ,何ものにも代えがたい生命,・・・,こういう感情的な土壌の中に,いわばバケツの中に,何の仕分けもなく,震災の全てを流し込んで,そういう感情を共有することによって,日本人全体としては,一件落着として,それ以上には進まないわけです。そこに安住してしまうことによって,自然災害とはどういうことか,どのようにして避けられるか,与えられた環境の中で人間にどこまで何ができるか,自然と人間の関係,こういう問題は不問に付せられるのです(こちらは,気の毒だ,頑張ろうだけで,自動的に解決する問題ではありません)。

 

一方,2)ですが,そこに,言ってはいけない発言というのが出てきます。被災者および被害について,同情以外のことは言ってはいけないのです。復興に努力している被災者に関して,「災難はままあるものだ」「人は誰しも,逆境に置かれれば,そこから逃れるべく,努力するのは当たり前だ」など言ってはいけないのです。そのことは一般論として正しいとしても,感情を逆なですると思われるからです。タブーですから。たまたま,今日の朝日新聞の夕刊に,谷川俊太郎の詩を毎月掲載する「今月の詩」という欄が,5年,60回続いてきたが,今月で終わるという記事がありました。それによると,60回の内,1回だけ,震災の翌月4月だけ休載にしたそうです。詩は出来ていたのですが,被災者の感情を配慮して,編集者の意見に従って,谷川も納得して,休載になったそうです。今回その詩も,そこに紹介されていました。これは,時期を考えて,当人も納得して,そして,2年経って,内容も掲載されたのですから,正しい判断であって,批判の対象ではありませんが,その配慮は,それなりに,タブーへの配慮なのでしょう。タブーをなくすことは,社会的には,難しいことなのです(よほど社会が成熟していないとできません)。

 

情緒的なところに閉じこもり,その外に出ることをタブーにすること。これによって,ことがらに対する情報を偏らせ,それに対する対策の幅を狭くさせます。本当は,情報は最初から選り好みせずに広くとり,対策はタブーなく自由に議論する(合理性と目的に対する功利性ですが),万事にこれが望まれるわけです。

 

同じようなことが,今度の太平洋戦争にもいえます。戦争中は皆苦労した,戦後は復興目指して頑張った,兵隊さんは国民のために命さえ指しだした,その自己犠牲の気持ちへの感謝,・・・。一方の陣営では,戦いは悲惨である,何があっても生命が失われることはあってはならない,と言われます。苦労した,頑張った,自己犠牲への感謝,生命喪失の悲劇,戦争の悲惨,そういった情緒的なところ(それは誰しも認める感情です)に,終わった戦争を流し込んでしまい,その外を言わせないから,戦争の真相が,その他の問題が隠されてしまうわけです。原爆でもそうです。「繰り返しません,過ちは」(すみません)で終わらせるから,ことがらはそれ以上進まないわけです。日本国憲法と天皇制についてもそうです。昭和天皇も今上天皇も,誠実な方であり,常に国民をやさしく見守って下さっている。そうかも知れませんが,それ以上はタブーで,そこで議論が終わってしまうのです。

 

東日本大震災での死亡者の方々は無念でしょうし,被災者の方の落胆,復興への努力は,何をどう言おうと,批判や,評価以前に,そのままあります。これは与えられた事実で,何とも仕様がありません。今回はたまたま東北であっただけで,明日は我が身です。これは厳しく言えば,当事者の問題です。もう一つの問題はこの災害を,広くどのように捉え,回復に向かって,合理的に,効率的に,どのように,有効な施策を創り出し,実行していくかです。それを邪魔しているのが,感情論とタブーの存在で,3.11.に関しても,またもや出てきた,日本的やり方かなと(もっと言えば,上に述べた,戦争や原爆も同様に,責任を曖昧にするべく,だれかが,謀略的にそう仕向けてしているのかなあなどと),「3.11.」後の2年を見て思うのです